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能登の今を見てきた範囲で書くnote

東京在中ですが、震災前からずっと能登推ししていたアカウントがこちらです。

ぜひ多くの人に魅力あふれる能登に訪れてほしい・・・その願いは今年元旦の地震により砕かれてしまった。

能登推しの民として、推しは推せる時に推せ、の教えに従い、とりあえず募金やクラファンはそれぞれ複数、また能登の方が都内でイベントを行う時は馳せ参じたり、宿泊を支援するなど、出来るだけのことはしてきた。

が、やっぱり行かないとダメだなという気持ちがあり、今回色々な巡り合わせもあって、いつもお世話になっている民宿「ふらっと」に宿泊しながら、彼らの輪島塗プロジェクトやマルシェをお手伝いをするスタイルで能登入りした。

このnoteには現地で撮影した写真も載せていく。

普通にボランティアに行くことも考えて、登録も済ませているのだけど、通常のボランティアのスケジュールだと、お世話になっている方々のところへ顔を出す時間や思い入れのある場所への訪問が難しいこともあり、今回は別の手段をとった形だ。

のと里山空港

7月11日現在、のと里山空港は開通している。
ただし、以前1日2便だった能登便は1便に減便となり、午前着、午前発のみとなっている。能登発は10:45となっており、正直、朝宿をチェックアウトをした後は何もできない。

売店なども6月から再開して、一見何も影響がないように見えるが、滑走路は大きく波打ち、離着陸の際はサスペンションが効き過ぎた車のように何度も大きく揺れるような状況。レンタカーは借りられるが主にボランティアなどの活動に向けて電話のみでの予約となっている。
元々の車両が出払っているのか富山ナンバーのNissanのノートが貸し出されたが能登でノートを借りてnoteを書いていることになる。みなまでは言わない。

道路状況について

能登半島への大動脈である、のと里山街道はところどころ補修中で片側一車線となる場所も複数あるが繋がってはいる。7月17日からは対面通行可能となるようだ。

特に何処でも酷いのは橋桁の前後、隆起や陥没によって入射角度が急になっており、通常の速度で走ると腹を擦りそうになったり、車両が跳ねたりする。
前の車も減速するので車間距離などは注意したほうが良い。

この数日後に里山街道は復旧。
いまだに土砂崩れの痛ましい姿が残る。

また、幹線はそれでも補修はされているが、一本外れると路面の大きな亀裂などもそのままになっており、ダート状になっている所もある。
各所に土砂崩れの堆積などもあり痛ましい。

総じて道路状況は良くなく、ちょうど滞在期間中にも不注意からか単独事故を起こした車両もあった。被災地にさらに負荷をかけることになるので安全運転を心がけたい。

合わせて金沢〜能登の間は朝夕の渋滞がちょくちょく発生しているようだ。
震災前と比較してプラス30分〜1時間ほどかかることを想定しておきたい。

輪島の状況

輪島の被災状況は想像以上だった。
朝市通りの火事や大きなビルの倒壊は報道により多くの方の知る所だが、その他の場所でも多くの電柱は傾き、多くの家屋が大きくひしゃげてなんとか地面に立っている状態だ。

在りし日の輪島(ホテルルートイン輪島から撮影)
現在、歩道の隆起もまだ残っている

「古い家屋が多かったからでは?」

と思う方もいると思うが次の写真を見てほしい。

右側が震災により利用ができなくなってしまった旧棟。電気がほとんど消えている。


ルートイン輪島は比較的新しい建物で旧棟は2006年に、新棟は2018年にそれぞれ開業しているが、この写真を見てお分かりいただけるように向かって右手の旧棟は震災の影響で客室として利用されていない。

つまり、築20年未満で且つホテルのような剛健な作りの建物でもそれほどのダメージを受けるようなとんでもない地震と隆起があったと言うことなのだ。(しかも、それでも比較的被害は少ないエリアだと言う)

このルートインのすぐ近くに輪島には7月1日から、Mebukiと言う居酒屋がオープンした。

以前はライバルとして鎬を削っていた輪島の食の精鋭たちが炊き出しの活動の中で思いを同じくし、能登を盛り上げる場所として立ち上げた、分かりやすく言うとアベンジャーズ・アッセンブルである。

ミシュラン一つ星の輪島のレストラン ラトゥリエ・ドゥ・ノトをやっていた池端さんも震災でお店が全壊となったが、このMebukiのメンバーとして携わっており、池端さんへのご挨拶ついでに食事もさせていただいた。本当に素晴らしいお店に仕上がっており、輪島塗の大きなカウンターの向こうではシェフたちが気を吐きながら、腕を振るい渾身の一皿を出してくれる。

和洋折衷のコース料理。

ちなみに今日現在輪島では港の隆起のために漁船は出せない。この居酒屋のために、店員の方が毎朝釣船を出して調達してくる貴重な「釣りもの」の魚たちだ。

その話を聞き、その思いを知って食べたお造りの美味しさに思わず涙がこぼれた。このMebukiの空間だけは震災の苦しみや悲しみから一時でも解き放たれて食を楽しめる、そんな場所にしたいと言う思いがひしひしと伝わってくる。

食材は基本的に能登産で改めてその豊かさを思い知らされるが、それもこれも生産者たちが必死の思いで紡いでいる結果だ。引き続き応援したい。また、機会があればぜひ訪れてほしい。

珠洲の状況

珠洲に至っては言葉も出ない。
エリアによって差はあるが総じて被害が大きく、旧鵜飼駅の周囲の民家はかなり倒壊していた。廃駅のホームは手前側が完全に崩れ、桜の時期の美しかった姿は見る影もない。

震災後の鵜飼駅
震災前、桜に包まれる美しい鵜飼駅

蛸島は震災後に津波の影響もあったエリアだが、倒壊や傾いていない家屋を探すのが難しい程で、人の気配がほとんど感じられなかった。
あの風情のある街並みは何処へ行ってしまったのか。胸がつぶれる。

震災前、黒瓦の風情を感じる蛸島の街並み
車内から撮った被災後の蛸島(動画から切り出し)


復旧と解体の状況

解体や瓦屋根の工事などは始まってはいるが、まだこれからだ。Xのタイムラインはこれに対して多くの意見・不満ときに政治的な意図も絡めた罵詈雑言が流れてくる。ただ、これには色々な理由がある。もちろん早く進んで欲しいが、以下のリンクにある課題部分を理解すると進まない理由も理解できると思う。

https://www.pref.ishikawa.lg.jp/haitai/documents/r060722_kasokuka_sankou.pdf


公費解体の加速化に向けた主な課題

課題1:共有者全員の同意取得:同意取得ができない場合の措置の加速
課題2:建物性が失われた倒壊家屋等の対応: 職権滅失登記などを利用して対応
課題3:三者立会の円滑化・効率化:解体のための3者立ち会いを効率化
課題4:解体工事体制の強化:県外業者確保・解体状況の見える化
課題5:宿泊地の確保:業者向け宿泊地不足の解消
課題6:自費解体の促進:自身で解体するプロセスの周知・費用の償還
課題7:仮置場の追加確保:解体廃棄物の仮置き場確保
課題8:広域処理の推進:渋滞の発生・処理施設の能力向上

里山街道が開通してもいまだに金沢から能登への道は渋滞する上、平坦な場所も少なく、廃棄物置き場にも困る。さらに効率的な活動を続けるための宿泊施設も枯渇状態。また、その前に同意取得や諸々の行政手続きをする必要がある。
例えば輪島市の防災対策課は震災前で4名。当然増やして対応に当たっているとは思うがそれでも限界はある。多くのボトルネックがこの前に立ちはだかっているのだ。課題と対策は整理されているので今後の加速を期待したい。

ちなみに熊本の震災でも半年では公費解体は大きく進んでいない。

地域ごとに被災・復旧状況の差も大きい。
以下にあるように半島という地形も影響し、半島の奥にあるほど復旧が遅れているのもその通りだと思う。この地形の影響はライフラインの復旧だけでなく、仮設住宅や解体にも同様に課題となって立ちはだかる。

https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z0405_00033.html

政府の対応の課題などさまざまな要因はあると思いますが、半島という地形的な特性による要因が大きいと考えています。金沢から奥能登までは、道路があるていどは復旧した現在でも、片道2、3時間かかります。また、一般的に、半島のライフラインは脆弱です。2019年に房総半島を襲った台風のあとも、長期間にわたって停電が続きました。都市においてライフラインは“多重化”されており、一か所が止まっても別の方向から水道・電気・ガスを供給することができます。しかし、“多重化”が難しい半島では、ライフラインの一部が寸断されてしまうと、復旧にものすごく時間がかかります。

能登半島の場合は、もともとのインフラの老朽化に加え、地震による被害が広域にわたり、上下水道をすぐに元通りに復旧させることが困難でした。また、のと里山海道や能登自動車道をはじめとして交通網の復旧が遅れ、復旧のための工事車両や人員の移動が難しくなりました。能登にはビジネスホテルが少ないためでもありますが、現在でも能登での宿泊は難しい状況で、最近は応援職員や作業員用の宿泊場所が能登に作られましたが、長らく多くの復旧要員は金沢や氷見などから通う方も多くいらっしゃいました。

集落と大きな町での復旧の進み具合や物資の差異もあるし、祭りと復興のバランスの考えも個人で異なっている。これらを同じ向きに引っ張っていく強力なビジョンが今必要なのかもしれない。ただ、それをまとめることは想像を絶する難しさが伴うだろう。何よりそれができるのは能登の人たちだけだ。

自分たちが考えるべきこと

能登に住んでいない外野の我々はどうあるべきか?政府・自治体批判や非難もしたい気持ちを理解しなくはないけれど、少なくとも外部の人間としては主語を自分にして、何ができるか?を自身に問うのがよいのではないだろうか?部外者がXで批判を垂れ流しても自己満足以外の何も起こることはない。
時に義憤とともに誤った情報が垂れ流されることも多く、むしろそれによる風評被害も少なくない。

誰が悪い、誰が遅い、誰が酷い、という言葉よりも、自分は能登に何ができるか?を考えるようにしたい。何か良いこと、進んだことがあれば、応援する、祝福するコメントを残す、そんなシンプルなことだけでもいいと思う。

もちろん縁もゆかりもなく、興味もない人はいるだろう。ただ、地震列島日本に住む身であれば、一度ボランティアなどでもよいので今の能登を訪れることをオススメする。
同じことが都内で、もしくは自分の住んでいるところで起きた時にどんな状況になるかを身を持って理解できる。どのように自分が備えるべきか、その準備のイメージもつくようになるだろう。その準備が未来の誰かを救うかもしれないのだ。

私はまた、能登に行こうと思う。9月に関東であるイベントで能登関連のお手伝いをするので、その時はまたXなどで告知する予定だ。


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