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英語学習に関する思い込み

日本人の英語学習については、多くの言説があります。例えば、よく言われるのが、「中学高校大学と合計8年、あるいは10年も勉強しているのに、まったく話せるようになれない」というものです。しかし、その8年とか10年に、英語を「話す」ために必要な話す力と聴く力を育てる教育がなされているかといえば、疑問符がつきます。目的に沿ったトレーニングをしなければ、いつまで経ってないも、使えるものにはならないと思います。

言葉の習得は、技能の習得です。したがって、例えばピアノを弾くことができるとか、サッカーのリフティングを何百回とできるようになるとか、そういった技能の習得と同じ性質のものです。「ピアノ上手になるために必要なことは?」とか「リフティング何回もできるようになるのはどうしたらいいの?」ときかれれば誰しも「練習するしかない」と答えるに決まっています。もちろん、そうした練習を効率的に行うには、しっかりした理論を身に付けたり、良い指導者につくことも有効です。でも基本は練習なんです。

中学校や高校の教室で英会話練習はほとんどしないですよね。だったら、話せないのは、当然の結果と言えます。

これに加えて、日本の英語教育の中で、疎かにされていると私が感じているのは、英語の音やリズムといった、話すことに関する知恵の伝授です。それを受け継いでこなかった教師が教えるわけですから、伝わるはずもない。

この「英語を聴くこと」についてさらに言えば、なぜ聴こえてこないのかについても、多くの人の誤解があります。曰く「発音が悪いから」。確かに、日本語と英語では音そのものの数が違うので、いわゆる「カタカナ英語」を話すと、意味が通じないことはあります。しかし、問題は音そのものだけではなく、別の記事(ノーベル物理学賞を取られて真鍋先生の記者会見について書いた記事)にも書きましたが、音節やストレスといった問題があります。この問題を教室内で伝えるようにしなければ、何時間、何十時間、何百時間やっても、日本人は「英語を話す」(含む聴く)ようにななれない気がします。


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