エッセイ 悩んだときに、言葉化することの大切さ 2023年2月

人は悩む生き物である。世界は生きるに値するか、社会は生きるに値するか、人生は生きるに値するか、という存在にかかわる悩みから、夢の実現や、職場での、隣近所との、家族内での人間関係まで、私たちの悩みは尽きない。

多くの人の解決法は以下のようなものだと思う。
お酒を飲んで酩酊して、嫌な気分から離れる。(私は飲まないのでできないが)
お笑いの動画を見て大笑いして、一時的に楽しい気分になる。(私は行き詰ったとき、ついお笑いを見てしまう。サンドイッチマンのコントが秀逸だと思う)
友達とお喋りして、癒される。

このような方法もときには良いが、既にみんな知っているように、一時しのぎに過ぎない。同じことの繰り返しである。何の進展も、気付きもない。

ではどうすれば良いのか。
陳腐すぎて申し訳ないが、言葉化することだと思う。言葉化することによって意識化され、意識化することによって、考えられるようになる。
この段階で初めて問題がまな板の上に置かれるのである。

多くの人にとってこの過程で大切なのは、帳面に書いて視覚化することだと思う。頭の中に情報を置いているだけだと、一覧性が無く、ものごとの関連性が見えにくい。
さらには書くことによって問題を留め置き、とりあえずの到達点を確保できる。次に考えるときはそこから始めればいいのだ。これによって少しずつ問題を深めていくことが出来る。
問題のとりあえずの原因はどこにあるのか。問題の本質は何処にあるのか。その解決法にはどんなものがあって、どれが実現可能か。このような思考を頭の中だけで進めることは常人には不可能である。

世の中には書いて考えることを極端に嫌がる人がいることは知っているが、それは考える気がそもそもないか、書くことの力を知らないかのどちらかである。世の中のどの偉業一つとってみても、書かずに成されたものはないだろう。ひらめきは頭の中で起こるが、そこに至るまでには書きつけて考えるという長い作業があった。

以上、言葉化は問題解決の初めの第一歩である。言葉化することによって、つまり前頭葉を使うことによって、むやみに感情に流されず、感情に支配されず、沸々と怒りが湧いて憎しみの権化にもならず、穏やかな気持ちで日々を過ごす手段を獲得できる、または近づける、と思うのである。
実際私はそうやって生きてきた。それによって私の人生は激変した。皆さんに薦めるゆえんである。


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