ひろと

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正…

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科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

最近の記事

エッセイ おすそ分けと冷凍冷蔵庫 2024年5月8日

ホモサピエンスの歴史の中で、大きな転換点として穀類の貯蔵がある。小麦やコメ、アワ、ヒエのことである。カラハリ砂漠で生活をしていたブッシュマンを見ても分かるように、食糧を貯蔵できなければ、その場で食べるしかない。大きな動物を捕獲したとき消費しきれない肉は皆に配るしかない。というより、食糧は皆(バンド、小さな共同体)で共有することが前提であった。そして彼らは食糧が尽きるまで働かない。今ここに食糧があるのに、さらに食料を確保する理由がないからだ。 ところが貯蔵できる植物の発見と、

    • 障害戦略 自分の能力が一般より劣っていることを受け入れると生きるのが楽になる 2024年5月8日

      精神医学の最近の傾向を見ていると、精神障害(精神疾患)や発達障害の範囲をなるだけ広義に解釈しよう、という流れがあるように思う。 その根底には、生きづらく感じている、より多くの人を対象にしたい、という意図があると思う。 また疾患と障害の境があいまいになってきているようにも思う。同じ対象として扱おう、としているように感じる。その根底には、良い薬がが出てきて、どちらの症状にも薬が有効であることが分かってきたからではないか、と思う。元来、障害とは、症状が固定した状態に対して使われる

      • 生きづらさから生じるもの 2024年5月8日

        まず始まりに集団生活があった。ヒトは集団にならなければ、捕食者から身を守れなかったからである。 たとえ小さくても集団生活は軋轢を生む。全く自由には振る舞えないのだから当たり前である。つまりそこに、生きづらく感じる必然性がある。 ではその生きづらさを思考できるようになったヒトはどうやって乗り越えるか、または解消するか。 1その原因を自分に帰着させれば、コンプレックス化する。 2外部に帰属させれば、外部を変えることによって生きづらさを解決しようとする。自身の変化は訪れない。

        • エッセイ 有料の書籍と無料のネット情報 2024年5月8日

          以下は自然科学、社会科学について当てはまる。人文科学、特に文学には当てはまらない。 最近はネットの無料サイトでもかなり詳しい情報が手に入るようになった。かなり、というか、入門者には十分な情報量だろう。 生成AI、例えばチャットGPTが公開されてからは、頻繁に誤回答を繰り返しはするが、ますますネットで容易に情報を入手しやすくなった。 では書籍の役割は終わったのか。 書籍の良いところは体系的に書かれていることだ。私の興味のある箇所は、書籍の中の一部分なのだけれど、全体の中で

        エッセイ おすそ分けと冷凍冷蔵庫 2024年5月8日

          エッセイ 非典型たちが人生を豊かにしてくれた 2024年5月7日

          最近数年ぶりにエレキギターのゲイリー ムーアGary Mooreを聴いている。彼の曲をほとんど知らないが、「The Loner」「Parisienne Walkway」は素晴らしい。主旋律を変奏して崩して弾いていくのも心に負荷をかけて切ない気持にさせる。 https://youtu.be/-G-PtmcPyK0?si=oBQJq0VOQzgnfo3k https://youtu.be/e356RkTWUUM?si=9C6myi7t619JNAFg https://you

          エッセイ 非典型たちが人生を豊かにしてくれた 2024年5月7日

          エッセイ アメリカ警察のボディカメラ映像 雑感 2024年5月7日

          最も普及している動画サイトのユーチューブでさえ警察と容疑者のリアルな銃撃戦がアップされている。他のサイトならもっとリアルだろう。 当たり前だけれど、その迫力は映画顔負けである。 アメリカでは、警官のボディカメラ装着は、義務化されている州から自治体の判断に任されている州まで幅がある。例えばカリフォルニア州は義務化されている州なので、出動後、すべての行動が記録されているだろう。そのなかに容疑者との銃撃戦がある。 ボディカメラは胸の前に装着する。なので警官が構えた銃の動きや、息

          エッセイ アメリカ警察のボディカメラ映像 雑感 2024年5月7日

          エッセイ カレーライスとお茶漬け 2024年5月4日

          中学生の時か、高校生の時だったか、夕食にカレーを食べていた。もちろん既製のルーを使った日本カレーである。平皿にご飯を盛って、上からカレーをかける。当時子供のいる家庭ではどこでも作られていた、忙しい母親のための手抜き料理である。私の母親は忙しくなかったが。 あの時はラッキョがのっていたかもしれない。で、ぼんやりとカレーを食べていたのである。カレーとご飯を混ぜると柔らかくなって食べやすいなぁ、と思いながら。 そして突如ひらめいたのだ。そして大声で叫んでしまったのである。 カレー

          エッセイ カレーライスとお茶漬け 2024年5月4日

          エッセイ 越冬蛾の逞しさ 2024年5月2日

          蛾の羽根模様を美しいと思う。なので蛾には興味がある。しかし自信をもって種を同定できるほど詳しくはない。 チョウは近づくとすぐに飛んでしまうのでゆっくり観察できないが、ガは擬態する種が多いので近寄っても動かない。だから羽根模様をゆっくり観察できる。 若い頃から興味があったので保育社の蛾類図鑑を持ってはいた。しかしガを同定しようといざ図鑑を広げてみると、無限とも思われる写真が掲載されていて、全く手のつけようがなかった。 で、ガを同定することをほぼ諦めていたのだけれど、去年「

          エッセイ 越冬蛾の逞しさ 2024年5月2日

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          写真 エッセイ 巧妙な擬態 ムラサキシャチホコ 2024年4月30日

          写真 エッセイ 巧妙な擬態 ムラサキシャチホコ 2024年4月30日

          エッセイ 巧妙な擬態 ムラサキシャチホコ 2024年4月30日

          近くにいるはずだが一生会えないだろうな、と半ば諦めている生き物たちがいる。その一群が擬態している昆虫である。 憧れの生き物たちだ。 先日アパートの階段で突然遭遇した。 えっ、こんなに小さかったのか、が第一印象である。 図鑑でこのシャチホコガの仲間を見た時、どうすればこんなに羽が捻じれるのだろう、ととっても不思議だった。捻じれた羽でどうやって飛ぶのだろう。とまっているときだけ羽を捻っているのだろうか。とても興味を掻き立てられたが、こんな巧妙な擬態の昆虫を見つけ出す自信は

          エッセイ 巧妙な擬態 ムラサキシャチホコ 2024年4月30日

          エッセイ 勘違い「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」高村光太郎? 2024年4月24日

          この歌を長らく高村光太郎の歌だと思っていた。光太郎が、精神疾患になった智恵子と房総半島に療養、滞在した時、すっかり変わってしまった智恵子を嘆き悲しんだのだ、と思っていたのである。実際は石川啄木であった。 人生勘違いだらけである。勘違いとはミスコネクティング、2つの情報を間違って接続してしまうことだが、間違う、とはすべてミスコネクティングだと言っていいと思う。 なぜミスコネクティングしてしまうかと言えば、2つの情報がある概念で共有されてしまうからだ。 今回の例で言うと、上記の

          エッセイ 勘違い「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」高村光太郎? 2024年4月24日

          エッセイ タイの友人 2024年4月21日

          私には1990年に知り合ったジョフというタイ人の友達がいる。タイの農家でホームステイをしてみたい、と思い、偶然知り合った農家の息子だ。私とほぼ同じ年である。 初めて滞在した時は1ヶ月ほどいたと思う。家族同然に扱ってくれた。東北タイ(イサーン)の小さな田んぼを所有する自作農で貧しい農家だ。ジョフと毎日一緒に行動した。同じものを食べ、同じ板間で寝た。食事は毎日ほぼ同じメニューで、飲み物は水しかなかった。村に電気が来たのが2~3年前で、電気製品は電灯しかなかった。雷が落ちるとしば

          エッセイ タイの友人 2024年4月21日

          エッセイ 私の昭和「ブルーライトヨコハマ」 2024年4月21日

          今でもごく稀に、いしだあゆみの「ブルーナイトヨコハマ」を口ずさむときがある。 https://youtu.be/xqgqRI0fjXM?si=b0-oPL3GDx9O1N4R 本作は1968年末にレコードが発売され、1969年に爆発的に売れた。1969年大晦日のレコード大賞の作曲賞を受賞している。私が小学2年生の時である。 私の記憶では、いしだあゆみが涙を流しながらこの曲を歌っているシーンを覚えているので、てっきり大賞を受賞したと思っていたが、そうではなかった。 この曲

          エッセイ 私の昭和「ブルーライトヨコハマ」 2024年4月21日

          拡張現実モバイルゲーム 「 お城でゴー」 2024年4月21日

          私はコンピューターゲームに全く詳しくない。と言うか、ドラゴンクエスト1しかプレイしたことがない。 が、ポケモンゴーが発売されたとき、その拡張現実を面白いと思った。 私は城下町が好きである。また戦国時代の攻城戦に興味がある。というのも特別の武器を使わず、知恵を使って城を攻める、城を守る、のが面白いと思うからだ。私にも理解可能だからである。 何年か前に岡山県の備中高松城跡に行ったことがある。ここは秀吉の水攻めで有名な城である。同じ時期に兵庫県の三木城にも行った。ここは秀吉の

          拡張現実モバイルゲーム 「 お城でゴー」 2024年4月21日

          エッセイ ブログという落書き 2024年4月18日

          かつて大学のトイレは落書きで溢れていた。もちろん猥雑な記述もあったが、真面目に書かれた政治的記述もあった。学生運動勧誘の文章もあったと思う。 不特定の人たちに自分の書いた文章を読ませるためには、かつては出版か、ビラとして配るか、壁新聞、落書きぐらいしかなく、ビラや壁新聞、落書きは手間や場所の問題があり、かつ手書きの文字は信憑性が低く見られた。落書きは言わでもがな、である。出版はハードルが高く、専門家が専門知識を持って書くものとイメージされていた。 しかしインターネットの普

          エッセイ ブログという落書き 2024年4月18日

          エッセイ ヨーロッパの広場 2024年4月17日

          映画「ピータールー」のブログからの派生である。 https://imakokoparadise.blog.jp/archives/24291791.html この虐殺は1819年にマンチェスターで起こった。 映画「ピータールー」の中で、虐殺が起こったのは、、町の中心地ピータールー広場であった。日本語のイメージで言うとセントラル パークである。 そういえば、日本には町の中心に広場が歴史的にない。 中南米はほとんどがスペインの植民地であったが、今も残るかつての植民都市、つまり

          エッセイ ヨーロッパの広場 2024年4月17日