便利になった旅行と不安の関係 2024年9月14日

高校生の夏休みに、能登半島を大阪から1週間かけて友達と2人で自転車で一周したことがある。持っていたのは5万分の1の道路地図帳で、天気はラジオの定時天気予報を頼りにした。宿泊場所は、Googleマップで確認することもできなかったので、夕暮れ時に適当な広場を見つけて野宿をした。テントは持っておらず、エアマットと寝袋だけで寝ていた。食事は全て外食か、雑貨屋でパンを買って済ませた。

楽しい思い出しか残っていないが、おそらく当時は様々な不安があったと思う。例えば、雨が降ったらどうしようとか、寝ている時に追い出されたらどうしようとか。

当時と比べると、旅行環境は格段に良くなった。Googleマップを使えば、細かい道路まで正確に把握でき、衛星写真で宿泊場所の状況も確認できる。目的地へのルートも教えてくれるし、天気予報も好きな時に確認できる。さらに、雨雲レーダーまで見ることができる。テントを持参しているので、寒さや雨の心配もあまりしなくて済む。今回の旅行で特に便利だと感じたのは、Googleマップで公営キャンプ場を見つけ、その場で電話して予約できたことだ。以前なら、公衆電話を探し、その場所まで行かなければならなかっただろう。

つまり、サイクリング旅行の不確実性が大幅に減少したのである。しかし、だからといって旅行に対する不安が大幅に減少したわけではない。不確実性のない旅行というのは形容矛盾だが、旅行工程において完全な情報を得ることは不可能だ。天気も宿泊場所も依然として不確実である。そもそも、不確実性のない旅行など面白くないだろう。何が起こるかすべて分かっているなど全くつまらないだろう。

人の心に占める不安の大きさは、おおよそ同じだと思う。不確実性が完全になくならない限り、技術がどれだけ発達し、より正確な情報が得られるようになったとしても、その人の心に占める不安の大きさは変わらないのだろう。

だとすれば、旅行時の不安を減らすためには、より正確な情報を求めるのではなく、心の中に占める不安の割合を減らす工夫をした方が良いだろう。

その点については、これまで何度か書いたことがある。簡単に言うと、不安が大きく感じられるのは外界を敵と認識しているからである。もし外界を自分の延長と捉えることができれば、不安は大幅に減少するだろう。

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