マガジンのカバー画像

きっといいことありそう

168
ある日、肩の痛みが強いから整形外科に行ってみたらいきなり大学病院紹介されて。。突然肺がんって告知を受けてからの心境をここに残します。
運営しているクリエイター

2021年2月の記事一覧

2月28日。昨晩来た老人が東北弁で大声で怒鳴り、せき込んでえづきを繰り返し騒がしく不潔でとても不快だ。看護師はなぜか甘やかす。この空間、気が狂いそうだ。右肩の違和感といい左肩の痛みといい特に対応なし。横の老人が解熱作用の点滴が効かないことに疑問を呈したが看護師はふふっと笑うだけ。

なんでも、咽頭がんが発見されたときに糖尿病のためPET-CT検査を受けられなかったことと健康診断でバリウムだったため発見できなかったことが重なり発見が遅れたらしい。自分はその失敗を起こさないようここから1年は特に注意を払いたい。5年生存率が3~4割ならば、その3割に入ってやる。

O氏とは以前WEB制作会社で一緒だった。その社長と織が合わす退職したのだがO氏とはよく飲んだり泊まりに行ったりする間柄。その社長が数年前胃がんで逝去されたが、その前に咽頭がんだったらしい。やはり放射性治療を行い退院後1年ほど復帰していたらしいが胃に転移しておりステージⅣだったと。

内容云々より考えてくれたことに熱くなる。とりあえず礼を伝えLINE終了。立て続けにO氏からLINE。以前の職場でベンダとして繋いだ仕事を打ち切ったとのこと。窓口になっていた専務の横柄な態度に嫌気がさしたらしい。むしろここまでよく耐えてくれたと思う。

2月26日。昨夜遅く中学の同級生NからLINEが来た。先日病院に来た時に忙しいことと自分は力になれないことをしきりにアピールしていたが、反省したのだろうか「自分にできることを考えた」とのこと。100万円貸すから投資で増やして入院費の足しにしてくれとのこと。

理由は夜勤との引継ぎとのこと。看護師が辞めてシフトがひっちゃかめっちゃかと、内情を教えてくれる看護師が一人いる。よくある話w。なので点滴が終わってアラームが鳴り響いてもいっこうに取り換えに来ないが仕方ない。結局抗がん剤の点滴が終了したのは16時近く、放射線は17時は過ぎていた。

2月25日。4回目の抗がん剤投与。担当医が針を刺しにきたがなかなかのヘタ。1回目は刺した後も痛みが続き耐え難いので抜いてもらった。2回目もなかなか痛かったがもうこれ以上やり直して足に刺すなどなってはたまらないので耐える。日勤の看護師たちがなんだかざわついているように見える。

2月24日。入院から3週間、自分はこの時間に何をしたのか振り返ると全部中途半端だ。まずは持ってきた本を読破しよう。そして要約しよう。

静かだが緊張の糸が張り詰めている。しばらくして「大丈夫」との声がかすかに聞こえた。一命を取り留めた瞬間からそれぞれが自分の仕事に取り掛かる。普段の杜撰な管理からは程遠い見事な連携を見た。

突然ひとりの看護師が廊下で何かを叫んだ。看護師たちが慌ただしく走りまわる足音とけたたましい院内アナウンス。ほどなくスタッフが続々と隣の部屋へ集まる。数にして30人、時間にして1分。隣の患者が意識不明の状態の様子。素早く無駄のない行動。数名の医師が状況報告と指示のため叫んでいる。

2月23日。今日でちょうど入院から3週間経過。6週間プログラムの中間地点。但し、抗がん剤検査入院が+1週間。まだまだ先は長い。

そして放射線の効果は1~2か月してから現れるらしい。つまり放射線医の担当は30回の間、該当箇所だけでそれ以降は呼吸器内科の管轄とのこと。転移は起こりえるのでその際は化学療法が一般的とのこと。また、放射線と抗がん剤の相乗効果はかなり期待できるらしい。

2月22日。ねこの日。午後から放射線と診察。以前気になった、全30回の照射で予定より癌細胞が小さくならなかった場合、次のプランはあるのか?という疑問を投げかけてみた。まず放射線を1回当てた癌細胞は100%消滅するらしい。だから小さくならなかったという事象は起こりえないらしい。

2月21日。最近担当医のTと世間話をするようになった。仕事のことや趣味のことなど。話してみると医学を志したまじめな(少し生真面目な)青年。きっかけはONEPIECEの単行本を発見して彼から話しかけてきた。彼も無類のONEPIECE好きだった。