マガジンのカバー画像

きっといいことありそう

168
ある日、肩の痛みが強いから整形外科に行ってみたらいきなり大学病院紹介されて。。突然肺がんって告知を受けてからの心境をここに残します。
運営しているクリエイター

2021年1月の記事一覧

1月31日。治療方針が決まって安心していた。2か月だけの入院で終わりと思ってた。心に余裕ができたので自分でも検索してみた。見なければよかった。そこには罹患者たちが傷を舐めあうような不幸自慢と悲痛な叫びしかなかった。急に終わりを意識しだした。怖くてたまらない。涙が止まらない。

1月30日。今日Rがふと、がん患者のブログの話をした。自分は大きな間違いをしていたみたい。退院したらそこから抗がん剤との闘い。会社に復帰だってできるかわからない。死を特別視したくないけど想像と違ったことにショックを受けている。Rが悪いんじゃない、自分の考えが甘かっただけ。

程なくして自分が肺がんに罹患したこと、2か月入院すること、日用品など身の回りはRが世話してくれることを伝える。前回の大腸ポリープとかわらないから心配しないように伝えるがやはり母はなんとなくわかっている様子。RとLINE交換してもらい、少しでも安心してもらいたいと思う。

午前中に東光院でのお参りを済ませ千葉駅経由で実家へ向かう。Rがお土産で茅乃舎の詰め合わせと昼ごはんを購入。実家に到着し、まずは改めて紹介。ぎこちない会話が進むが1時間もしないうちに空気は和んだ。常識を言うならあってはならない関係だがすでに超越している。今更正論打たない二人に感謝。

1月29日。朝から鼻づまりで風邪ぽい。昨日とは一転、晴天に恵まれた。Rと一緒にいつもの出勤と同時刻にいつもと逆のホームで鎌取にある癌封じで有名な東光院へ向かう。絵馬やお守り、お札などあらゆるものに縋ってみた。

1月28日。朝は鼻が詰まり気味。風邪の予兆か?午後からRがローストポークを持って来てくれたので一緒に食べた。しかも今日は雪。Rが毎日会いに来てくれることに心から感謝している。

1月27日。会社へ状況を報告したが特に反応はない。母親への報告は金曜にRと鎌取の神社へお参りに行った帰りにしよう。Rに頼りきっている。

すべての検査が終了。ステージⅢBという限りなくステージⅣに近い状態らしい。2つのうち1つはリンパ腺を囲むように広がり、もう1つは鎖骨の下5㎝大の癌が動脈と静脈を巻き込んで存在しているため手術は困難。化学放射線療法を選択した。どちらも5年以内の再発率は6~7割らしい。

1月26日。明け方に夢を見た。クイズ番組に出演している夢。告知を受けた直後は、毎晩悪夢を見ていた。歯がゆく理不尽なことが目の前で起き、それは必ず自分の身に降りかかり、闇雲にもがき、絶望に苛まれ、叫びながら汗だくで目覚めていた。死への特別感を払拭してからは夢を見ないで済んだ。

1月24日。朝早く目覚める。昨日から自分は時間が限られていることを意識する。汚い言葉や邪な考えはやめよう、時間がもったいない。死は意識するが特別でいたいという考えは一切ない。「死にたくない」という考えは中途半端という意識と周囲の評価を気にする感情が働くからと、今なら理解できる。

1月23日。兄に途中報告。ふと、このまま順天堂病院でいいのだろうか、癌研有明ならもっと別の方法を取ったんじゃないかという疑問が生まれた。夜Yから電話。結局興味本位で根掘り葉掘り質問される。話しているうちに死と隣合わせであることに改めて気づく。Yには伝えなければよかったと後悔。

1月22日。朝からRが部屋に来てくれてここからリモートワーク。14時からのMRIも車で送ってくれた。帰宅後会社へ今後の方針についてメールで共有。会社の人間と連絡をとっていると自分が癌であることを一瞬忘れる。久しぶりにRと朝から夜まで一緒に過ごす。

1月21日。何もしない一日が怖い。こうしている間にも癌は進行しているんじゃないかという不安がよぎる。じっとしていると考えてしまいそうで朝から近所に散歩へ出かける。散歩途中、早朝にフォーム申請した高額療養費証明書の確認電話があった。前回同様手際がいいし話が早い。

さらに詳しい説明が始まる。種別は局所進行性肺癌。脳への転移がある場合や造影剤CTで手術が難しいと判断された場合は化学放射線療法を行う。手術可能と判断した場合は28日に外科へ引き継ぐとのこと。色々と調べたい気持ちを抑えつつ、全身転移がないことでひとまず安心できた。