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旅行記というバトン 『0メートルの旅』

旅行記は、良い書き手を得れば、ほぼ確実に良い読み物になる。
見知らぬ風景や人との出会いに刺激された書き手の熱に巻き込まれ、気づけば読み手も旅人となる。

新型コロナウイルスのパンデミックの前、旅行記はインフレ時代にあった。あらゆるフロンティアが掘りつくされ、検索すれば、ISS(国際宇宙ステーション)の滞在記すら複数見つかる。
そんな状況をパンデミックは一変させた。
国境どころか、ときに県境さえ「越えるべからず」とされる。旅は久しぶりに特別な営みとなった。

『0メートルの旅』(岡田悠)の前半「海外編」はオーソドックスな旅行記だ。南極、南アフリカ、モロッコ、パレスチナ、イランなど、なかなか濃い行き先がそろい、それぞれ出会いやエピソードがあり、「ああ、旅に出たい」とムズムズしてくる。

『0メートルの旅』ダイヤモンド社 岡田悠/著

旅心を煽られた後、「国内編」「近所編」と行動半径が狭まるにつれて読み味が変わっていく。最終章「家編」ではタイトル通り、『0メートルの旅』に行き着く。
移動距離と反比例して「旅とは何か」という自問の濃度が増していく。
その自問は、頭でっかちな内省ではなく、ユーモアをたっぷり含んだ「運動」を通じて掘り下げられる。

有給休暇をすべて旅行につぎ込む人生を送りつつも、なお「旅が大好きかと尋ねられると、実はうまく答えられない」という著者は、安易な答えに飛びつかない。
「行動ありき」の著者に巻き込まれ、読者も旅を考える内面の旅に誘われる。

電子書籍ではなく、紙の本での一読を強くお勧めする。本の作りが愉快だからだ。

「はじめに」から目次まで厚めのコート紙が使われ、海外編までは白みの勝った明るいページが続く。ここまでは手触りが持ち重りのする旅行ガイド、そう、あの『地球の歩き方』と似ている。
後半の手触りは一転、「普通の本」になる。紙質のグラデーションがコンテンツと歩調をあわせる楽しさを味わい、読後に本を閉じて表紙だけに触れると、それはまるで分厚い封筒のように感じる。
この「手紙」は、実物を手元において時折拾い読みするのに向いている。

「旅を書くことは、次の誰かの旅につながる」と著者は記す。
この文章も、バトンのつもりで書いた。
コロナ後の「次の旅」に備えて、まずは内なる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。

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本稿は光文社のサイト「本がすき。」に寄稿したレビューです。編集部のご厚意でnoteにも転載しています。

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