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焼け残った大銀杏

あけましておめでとうございます。
きょうはこれから近所の飛木稲荷神社に初詣に行きます。飛木は「とびき」と読みます。

1年前の初詣の際に感じたことを、ご縁があって、昨年3月に成田山名古屋別院大聖寺の機関紙のコラムに寄稿しました。
以下、新年のご挨拶にかえて転載いたします。写真は昨秋撮影したもの。

焼け残った大銀杏

日本人にとって、3月は鎮魂の季節です。東日本大震災から10年の今年(2021年)は、特にその思いを強くした方が多いでしょう。

私が住む東京都墨田区では同じ時期に、もうひとつの大きな悲劇の記憶を引き継ぐ営みが長年続けられています。終戦の年、昭和20年3月10日の東京大空襲では、下町への集中爆撃で10万人もの方々が犠牲となりました。

スカイツリーからほど近い飛木稲荷神社の境内には「飛木」の由来となった銀杏があります。樹齢500~600年、あるいはそれ以上とも言われる区内最古・最大の巨木です。

この銀杏には黒く焦げた跡があります。
大空襲の際、旧本殿が焼け落ちるなか、銀杏がその身を焦がしながら踏みとどまり、その先の住宅街への延焼を防いだと言い伝えられています。

「身代わり飛木の大銀杏」と呼ばれるこの巨木は、一時は戦火による損傷で枯れてしまうと懸念されたそうですが、その後、樹勢は盛り返し、今に至っています。

今年の正月、家族そろってこの飛木稲荷に初詣に行きました。
新型コロナの感染が急拡大していた時期でもあり、人出はそれほど多くはありませんでしたが、マスク姿の近所の人々がしっかり距離を取り、前の通りにこぼれるほど長い列ができていました。

私はそれまでに2回ほど足を運んだことがあったのですが、家族は初めてだったので、順番待ちの時間が大銀杏の存在と由来を知ってもらう良い機会になりました。

御神木というものには人に敬虔な気持ちを引き起こす力があります。
あの大震災から10年、しかもコロナ禍の最中で見上げた大銀杏の姿からは、それに加えて勇気のようなものを分けてもらったように感じました。

飛木稲荷周辺には幸田露伴宅「蝸牛庵」跡もあります。スカイツリーを訪れる際には、足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

幸田露伴宅「蝸牛庵」跡地は公園になっている

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