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バックシートの記憶

「ずいぶん静かだな」
男がバックミラーを覗くと、娘たちは3人ともすやすやと眠っていた。ほんの少し前まで、スマートフォンでポップスを流して合唱していたのに、今は肩を寄せ合う小鳥のようにもたれ合っている。来年には末っ子も中学生だが、寝顔は3人とも小さな子どものようだ。助手席の妻も窓に頭をあずけて眠っている。男は交通情報を流すカーラジオの音量を少し絞った。

イギリスの高速道路の流れは速い。ディーゼルのステーションワゴンは130キロほどの走行レーンのペースについていくのがやっとだ。オクスフォードからロンドンの自宅に向かうM40はなだらかなグリーンベルトの起伏を貫く。林の合間の牧草地で羊たちの群れが草を食んでいる。夕陽がたなびく雲を赤紫に染めている。

高速区間が終わり、自動車道に入ったあたりでラジオから、
「今日、11月26日はスヌーピーの父、チャールズ・シュルツの誕生日です」
という声が流れてきた。
ふいに、男は昔ネットでみかけた「スヌーピーの名言」を思いだした。

「安心というのは、車のバックシートで眠ることだ。前の席に両親がいて、心配事は何もない。でも、ある時、その安心は消え去ってしまう」

たしかそんな言葉だった。
男は、自分はバックシートで眠ったことがあっただろうかと記憶をさらおうとして、苦笑した。子どものころ、家族の車は家業で使う3人乗りのトラックだった。そもそも後部座席などなかったのだ。
週末には、そのトラックに両親、小学生の兄2人、幼稚園児の5人家族がすし詰めになって近くの喫茶店に行った。助手席のダッシュボードの下にダンゴムシのように身を縮めて入り込んだときの、息苦しいような、ワクワクするような感覚が蘇った。父の事業が行き詰まり、家庭は給食代も払えないほど貧しかった。喫茶店での日曜の朝食は、働きづめの両親のささやかな息抜きだったのだろう。

車が幹線道路を外れて自宅近くの住宅街に入ると、ハンプの揺れに促されて娘たちがごそごそと起きだした。
この子たちは、今日のように後部座席で眠ったことを覚えているだろうか。東京に帰れば、また車無しの生活に戻る。バックシートの記憶は、残るとすれば、イギリスでの思い出として刻まれるのだろう。大人になって思い起こすとき、それは「安心」と結びついたものになるのだろうか。
いつの間にか遅い夕闇が空を覆っていた。道路の両脇に並ぶレンガ造りの同じような造りの家々から、暖かい明かりが漏れていた。

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