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映画の思い出①亡き父と「砂の器」

※タイトル写真は映画「砂の器」に登場する島根県奥出雲町にある亀嵩駅(かめだけえき)

「砂の器」(1974年公開)監督/野村芳太郎 脚本/橋本忍、山田洋次 出演/丹波哲郎、加藤剛、森田健作、島田陽子

6年程前に亡くなった親父は大正14年生まれで、大工さんだった。いわゆる「職人さん」で、普段は寡黙。基本優しかったが、とても頑固で、怒ると怖かった。映画やドラマに興味もなかったし、相撲中継以外はテレビもあまり見なかった。

ただ、父は偏屈だったが、僕の教育には寛容で、勉強やスポーツができなくても絶対に責めなかったし、学校の様子を自分から聞くこともなかった。

怒られたことはあったが、それは嘘をついたり理不尽なことをしたときで、成績のことで怒られたことは一切なかったし、「勉強しろ」と言われたこともない。

当時、小学生の僕は、ひどい「いじめ」を受けていた。

いじめられていた理由はよくわからないが、僕は勉強やスポーツが壊滅的に苦手で、友だちと同じ速さで物事をこなせず、集団にもなじめなかった。

度を越した暴力も受けていたのだが、そんな「いじめ」がピークだった5年生のある日、親父が僕を映画に誘った。

僕がいじめの復讐で教室で暴れてガラスを割り、いじめっこに割ったガラスを投げつけた時は親たちを巻き込む大問題になって、父が「負けん事が大切。ようやった」と褒めてくれた頃だったと思う。

作品名は「砂の器」だ。

父が、どうして僕を映画に誘ったのか。そして、なぜ「砂の器」だったのか、もう天国に行ってしまったので聞けない。

だが、僕はこの映画に魅せられた。難しいことはわからなかったが、クライマックスの演奏会「宿命」の場面と父子の放浪の場面が交互に展開するシーンでは、身体中、特に背中が痺れる感覚に襲われ、涙が止まらなかった。

どうして僕は小学生で「砂の器」にそこまで感動したのか。

僕は、劇中、ハンセン氏病を患った父とともに放浪する幼い少年が、凄まじい偏見と厳しい環境の中で見せる鋭い「目」に、やはり理不尽な理由でいじめられている自分自身を重ねて見たからだと、ずっと思い込んでいた

でも最近、この作品を久々に鑑賞し、ハッとした。父より前に亡くなった母から聞いた話が頭に浮かんだのだ。

父と母は本土からかなり離れた離島で生まれ育った。結婚は終戦が近い戦争中。お互い10代だったが、出征が近い父を思い、親同士が決めたものだった。母は他に好きな人がいて、嫌々結婚したらしい。若い頃の父は気性が荒く、喧嘩になると母に手をあげ、ケガをしたこともあったという。

当時は離婚を言い出せる環境でもなく、母は我慢。やがて出征直前に終戦を迎えると、兄と姉が生まれた。島には中学校までしかなく、尋常高等小学校しか出ていない父は「これからは学歴が大切」という想いがあった。

ちょうどその頃、島に自衛隊の基地が建設される話が持ち上がり、該当地に田畑を持っていた父は大金を手にして、それを元手に島を出た。

島を離れてからは幼い兄や姉に勉強を強制し、時には鉄拳も辞さなかったという父。「できないこと」に寛容で、怒っても絶対に手を出さなかった僕が知る父とは全く違う姿だ。

そんな父が変わったのは、姉がかかりつけ医の誤診で、わずか九歳で亡くなったからだという。

重い急性肺炎になったのに、かかりつけ医は投薬で済ませ、家に帰らせたが、帰った途端に容体が急変し、そのまま息を引き取った。

最初から大きな病院に診せれば助かった命だった。兄は今も尚、父親を許せないでいるし、父も生涯このことを悔やんでいた。

母の話では、父は姉の亡き骸を一晩中抱きしめて泣いたという。この話を聞いた時、あの頑固な父が「泣く」姿は、正直想像できなかった。

僕は姉の死から数年後に生まれた。

「父ちゃんはね、あれから優しゅうなったんよ。じゃけえ、あんたには勉強せえ、て一言も言わんかったじゃろ。勉強ができるとか社会的に偉くなるとか、そねえなことは意味がないと思うようになったんよ」

母は、この話を亡くなる直前に僕にしてくれた。嫌々結婚したはずなのに、その時は父のことを「愛している」と言っていた。

「砂の器」で、ハンセン氏病の施設に隔離されている名優・加藤嘉さん演じる父親は、刑事に成長した息子の写真を見せられて「知らん!わしゃ知らん!」と叫ぶ。再見した時、犯罪を犯したかもしれない息子を守ろうとする、父親の渾身の叫びが大人になった僕の心を揺さぶった。

僕は「砂の器」の少年に自分を見ただけでなく、この映画の父親に、自分の父を感じたのだろう。「いじめ」の時も、どこまでも僕を信じ、守り抜いてくれた父。その覚悟と想いは、最愛の娘の死をもって彼が得たものだった。

小5で「砂の器」を観てから、僕は毎週映画館に通い詰めるようになった。それから観た映画の内容について父に語り始めた。意味もわからなかっただろうが、黙って僕の話を聞いてくれた父の姿が好きだった。

今、好きなことを仕事にできているのは、少年時代にできなかったことを絶対に責めず、好きなことを容認・肯定してくれた父のお陰だ。

生涯でただ一回、父と映画館で一緒に観た映画。映画を観る習慣さえなかった父が、なぜ僕を誘ったのか?果たして映画の内容を知って誘ったのか?

今や知る由もないが、「砂の器」を観るたびに、父を想う。




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