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17歳でうつになった僕が大人になるまで

『胃がキリキリする』という言葉を覚えたのは中学校に上がってからで、登校前にやってくるお腹の痛みは、小学生の頃から続いていた。

時折、内臓がねじ切れるような痛みでベッドから起き上がられなくなり、内科へ連れて行かれても異常が見つからない。家に帰れば元気になるので、母からは仮病を疑われていた。

思い返すとあれは完全にストレスによるもので、その原因は学校にあったと思う。

酷いイジメに遭っていたわけじゃない。
遊んでくれる友達もいたし、勉強もそれなりにできたし、学校は好きだった。
でも、なんとなく馴染めなかった。

孤立していたわけではないけど『ここには自分の居場所がない』と感じる。
性格的なものだろうか。
大人になった今も、今だって、ずっとそう感じ続けている。


高校2年生、17歳。
人間関係のもつれをきっかけにして、僕はうつ病になった。心の中に積もっていたストレスが雪崩のように一気に押し寄せた。

人と関わるのが難しすぎる。
嘘をつかれて、指さして笑われて、でも本人に悪気はないらしくて。
どうすればいいか、わからない。
苦しくて胸がきゅっとなる。

ずっと憂うつで、寝ると起きられなくなるので学校は休みがちになり、小さい頃から続けていた習い事もやめた。

この状態だと勉強もついていけなくて、自分の人生はもう、ここで終わりだと思った。
毎日死にたいって考えていた。

真夜中のレンタルショップでCDを借りて、バンドサウンドを中心に聴いた。音楽はいつも寄り添ってくれて、裏切らない。ずっと好きでいても許される存在。

イヤフォンの音量を上げて、他のものすべてを遮断する。僕はその世界にすがった。
どうにもならないことばかり。いっそ悪いことやって捕まってしまおうかな。とか。

あまり外光の入らない仄暗い海の底のような自室で、どろどろと深く深くへ沈んでいった。


「うつ病かもしれないから病院へ行きたい」と母に頼んだのは高校3年になってから。
メンタルクリニックの医師は、思っていたよりもやさしかった。

僕は <軽度のうつ病> と診断され、薬局で抗うつ剤をもらった。
そこで初めて『抜け出したい』という気持ちのスイッチが入った。

うつ状態から抜け出すために僕が取った行動は『人と話すこと』だった。
漠然と感じていた将来への不安、自分はどう生きるべきか、どうすれば上手く生きられるのか。
手あたり次第、人に話を聞いてもらうことにした。

クラスメイト、部活のチームメイト、ネットで知り合ったオジサンやオバサン、友達が通っていた予備校に忍び込んで講師の方に話を聞いてもらったこともある。
(この講師の方は、初対面にも関わらず熱心に進路相談に乗ってくれた大恩人ですが、今となっては顔も名前も思い出せません)

おかげで僕は、自分の人生がまだ終わっていないことを知った。まだ挑戦できることを知った。
そして、なんとか単位を取得して高校を卒業し、
この小さな町を飛び出すことに決めた。

明るい未来のはじっこを手に掴むことで、僕はうつから抜け出したのだった。


東京へ出てきて今年で18年。
もうすぐこっちに居る方が長くなる。

メンタルの調子は完全に良くなったわけではない。と思う。
時々無性に死にたくなったり、全部投げ出したくなったり、何でもない帰り道に急に涙が出て止まらなくなる日もある。

でも支えてくれる人がいるおかげで、自分の心の守り方を学びながら、こうして大人になることができました。

辛くて、生きたくなくなっても、それでも朝は来るものだね、と嘆いていたら、「だからいいんだよ」って友達が言ってくれて、その言葉に僕はすごく救われました。

いつも話を聞いてくれる友人たち、本当にありがとう。


僕はまだやれる。きっとどこまでも行ける。
つまづいても、人生は終わらない。

それを知れたのは、うつになったからだと思う。
知れてよかったと思う。でも、もう二度とごめんだよ。

明るい未来のはじっこを手に掴んで。
明日も。明後日も。

生きるぞ。

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