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第十四話:無条件に愛される

第十二話で、日本人には「イイコ」が多くて、アサーションがしづらいということを書いた。前を読んでいない方は、「アサーション」ってなに、と思われたかもしれない。簡単に言えば、自分の思っていることを、相手に言葉でうまく伝えられないということ。一時期「KY」という言葉が流行ったが、いまだに空気を読むことを強要されるのが日本社会だからね。

宗像は、カウンセラー・セラピスト研修の中では難しい言葉を使う。それを引用しながら、ここに紹介しているため、私の書いていることも「難解」だと言われる。わかりやすく書きたいのだけれど、なかなか至難の業だ。そこで今日は、宗像が一般向けに書いた書籍『「自ら愉しむ人間」のすすめ』の中から、この「イイコ」の解説を引用してみたい。

イイコが生まれる背景

心の悩みをもつ人は、本人が自覚していなくても過去に大事なところで無条件に認められ愛されなかった体験が何度もあるはずです。だから、何か心の調子が悪いとすぐ「認めて、分かって!」という気持ちが押し寄せてきます。そのようななかでは「自己信頼心」など十分に育ちようがありません。

「いい子」が生まれる社会的背景には、競争型の学歴主義社会があることは歴然としています。けれども、家族的背景には、子供と接する「重要他者」、とりわけ母親自身が「慈愛願望欲求」が満たされずに大人になっていることがあげられます。

無条件に認められる(愛される)ことによって「自己信頼心」が十分に育つ。でも親自身が「慈愛願望(まわりから愛されたい)欲求」が満たされないため、子供のありのままを無条件に認める(愛する)ことができない。これが「いい子」、すなわち自己抑制の強い人間を形成する大本だということなのだ。

イイコの拡大生産

無条件に愛されるべき時代に愛されなかった「いい子」で日本は満ちています。より深刻な問題は「いい子」は拡大生産し続けるということです。
娘を愛せない母親に育てられた娘はどうなるか。娘もまた「いい子」行動をとり続け、自立できないまま大人になります。

ここで思い出してみてほしい。泣きじゃくる子供を目の前にして、あなたはどんな接し方をしているだろう…。

「どうしたの、甘えん坊ね」と抱きかかえてから、「今は忙しいから後でね」と手を離すようなことをすれば、子供は傷つかずにすむ

家庭や学校だけでなく日本社会という施設に入れられ続けることで、日本人の多くが自分自身の頭で考えることを停止し、自分の「内なる欲求」より世間の期待に沿うことを優先する「いい子」となってしまったのです。

「過去に傷ついた自分がまだ心の中に生きていて、鍵となる状況があるとその過去の自分が出てきて現在の自分を支配している」

目覚めよ、日本人!

「イイコ」は、家庭や学校のみならず、「日本社会」が創り出した、思考停止の産物だったのだ。でもいまの多くの大人たちは、このことを解っているのだろうか…。電車やバスに乗れば、ほとんどの人が電子ゲームに興じているありさまは、思考停止の末期の姿とも思えてしまう。人間放棄していませんか。

いま、時代は大きく変化をしている。過去のやり方は一切通用せず、創造力を働かせ、自ら動いて行かないと生きていけない。なのに、人目を気にする「イイコ」のままだったら、この先の日本はどうなるのかな。
なにか主張すると叩かれる。だから、自分自身で考えることを放棄し、まわりに合わせて生きる。これが日本人のサバイバル戦略なのか…。

見ない、言わない、感じない、関わらない…。あなたは、そんなふうに生きていないか。
これでは問題の本質が解決しないから、フタをし、そうやって深層に押し込んだネガティブなエネルギーは、いつしか破綻することにもなる。SNSが盛んな世になったが、炎上、そのような形で、日本社会に渦巻くフラストレーションがあからさまになることもある。

まったく別の話をする。いまは、日本人の2人に1人はがんにかかり、3人に1人ががんで死んでいくという。それを聞いて、あなたはどう思うかな。おかしすぎるだろう。なんで日本人の半数ががんにならないといけないのか。人の身体は昔から、そんなに変わってはいないよ。なのに、なぜ、こんなにがんが増えたのか。人がつくっているとは思わないかい。ある人は、そこに大きく、環境問題があるという。
自分の命に直結する、いまの危機的な日本の社会環境。それでも、あなたは、まだ見ないふりを続けるのかな。無関心でいるのかな。
そろそろ目覚めよ、日本人!

追記

実はこの原稿、昨年の秋に書き貯めていたものなのだ。
いま、世界には新型コロナ旋風が吹き荒れ、日本も自粛ムード一色となり、経済状況が急激に悪化している。小さなイベントを打ってみても、みな一様に鳴りを潜め、自宅に籠っているのか姿を現さない。マスクやアルコール製品が真っ先に市場から消え、トイレットペーパーの奪い合いまで起きている惨劇。
コロナによる荒療治、いや、この機会に、いま本当になにが必要なのか、自分はどう生きたいのか、ちゃんと自分の頭で考えてほしい。マスメディアの奉る責任のない専門家先生の言葉に踊らされることのないように、自分で調べて考えてほしいと私は思う。
ちょうど9年前の今日、東北に起こった出来事をあなたは覚えているだろう。あの時、日本人はどんな行動を取ったのか。まだまだ復興最中のところもあるだろう。でも、そこにはたくさんの愛があるじゃないか。この世界を救えるのは、日本人じゃないのかな…。

自粛(じしゅく)とは、自ら進んで行動、態度を慎むことである。

本当の自粛は、なにをすることだとあなたは思いますか?


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