「日本国憲法第1章天皇」について


先にも触れましたが、戦時にまで例えられる今回の新型コロナウイルス問題に対して日本国憲法の条文が阻害要因となってしまい危機突破に向けた政治対応を難しくしています。
日本国憲法に見られる極端な理想主義は「自らの理想から外れた物事に対して目を閉じてしまう可能性」があります。要するに外部変化に伴う情報に対して自分の都合と希望的観測に合わせるが如く主観的に判断してしまいがちです。
今回のような未知のウイルス感染症に対しては初動集中が不可欠なのですが憲法・法律的に難しいと思われる問題に対して官僚レベルでは「大変なことにはならないだろう」「起きない可能性が高いだろう」という思いに傾き、とりあえず様子を見てということで時期を逸することになりがちです。状況変化の都度に対応を重ね、持てる力の逐次投入となり、総合投入量に比して効果は半減してしまう恐れがあるのです。今、まさにそんなことが起きようとしているのかも知れません。

台湾、韓国そして発生もとの中国にも遅れを取りつつある我が国の状況にあって「現憲法」が手枷、足枷となっている部分があることは否定できないのではないでしょうか。くどいようですが、もう一度、ドイツの法学者カール・シュミットの「平時は何も示さず、すべては非常事態に明らかになる」名言を思い返して日本国憲法を我々日本国民の憲法とすべく見直す時に来ているのでは無いかと思います。

さて、今回は前文に続いて第1章天皇〔天皇の地位と主権在民〕についてです。
私自身で言えば、天皇条項が第一に上がっていることは日本の歴史・文化といった観点からみて「佳い」ように思えます。そして「第1条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という天皇の位置づけについてはある種の安堵感を覚えます。
これは、日本国憲法の草案を指示した連合国軍の最高司令官マッカーとそれを受けたGHQ・民生局長のホイットニー准将等の苦肉の策とも言えなくありません。
※ 「佳い」の意味は「すっきりとしていて、形が整っていること」です。

 今回はここまでにさせていただきます。参考に日本国憲法の第1章を入れておきますが、次回では、天皇制と軍事国家・大日本帝国を結び付けて考えていた米国が憲法草案の段階から第1章に天皇条項を持っていったかについて考えてみます。

第1章 天皇
〔天皇の地位と主権在民〕原文のまま
第1条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
〔皇位の世襲〕
第2条皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
〔内閣の助言と承認及び責任〕
第3条天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
〔天皇の権能と権能行使の委任〕
第4条天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
〔摂政〕
第5条皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
〔天皇の任命行為〕
第6条天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
〔天皇の国事行為〕
第7条天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
〔財産授受の制限〕
第8条皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

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