素人による素人のための憲法論- [日本国憲法の問題5]


なぜ、日本国憲法には「緊急事態対処条項」が無いのか?
新型コロナウイルスの世界的流行を受けWHOがパンデミックを宣言しました。
感染は世界的な規模での広がりを見せており、米国トランプ政権からは、ウイルスへの対応を「戦争」になぞらえる発言が相次ぎ、ドイツのメルケル首相は第二次大戦後の最大の危機と表しています。我が国にとっても「事変」と呼んでよい状況となっています。
※ 事変とは「異常な出来事。非常の出来事であり警察力ではしずめ得ないほどに混乱、拡大した騒乱。又は国際間の、宣戦布告なしに行われた武力行為」
こうした事態を乗り切るべく、政府は新型コロナ特措法基づく対策本部設置することで「緊急事態宣言」が可能になりました。
緊急事態宣言では首相から都道府県知事に対して外出自粛(外出自粛や休校の要請)、施設の使用制限(学校や娯楽施設などの使用制限の要請・指示)、医療施設整備(臨時の医療施設用に土地や建物を強制使用)を要請することが可能になります。しかし、医療施設整備を除くと要請・指示ということになり特段の強制力はありません。
特措法に基づいて強制的に外出を禁止したり店舗営業を閉じさせるということは憲法(法的)にはできないのです。小池知事が「ロックダウン(都市封鎖)を招く」と発言しましたが「都市封鎖」をする権限は誰にもありません。憲法の第3章国民の権利及び義務22条「何人も、公共の福祉に反しない限り、住居、移転及び職業選択の自由を有する。と、第31条「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその刑罰を科せられない」とあり、こうした条項をたてにとられると緊急的な対応が難しくなる可能性があります。他方、フランスでは「生活必需品の買い物などを除き外出禁止。悪質な再犯者には最高45万円罰金、禁固刑が科せられる」、ドイツは「警察により監視され、違反すると具体的な"罰則"がある」など、多くの国が強制力を伴う実効性のある対策を講じコロナ感染防止に取り組んでいます。「日本の緊急事態宣言」について安倍首相は「(日本は)フランスでやっているようなロックダウンはできない。さまざまな要請をさせてもらうかもしれないが、フランスなどで行っているものとは性格は違う」としています。あくまでも「自粛」「要請」という実効性の低い手しか無いのです。
コロナウイルスという敵は寸時も待つことはしてくれない筈です。こうした中で「事変」と呼んで差し支えないような国難を乗り切ることは出来るのでしょうか。
最早、「緊急事態を宣言」するというだけでは難しい状況です。
殆どの国は国家緊急権として緊急条項を憲法に規定しています。
※ 国家緊急権(こっかきんきゅうけん)とは、戦争や災害など国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際して、政府が平常の統治秩序では対応できないと判断した際に、憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大幅な権限を与えたり、人権保護規定を停止するなどの非常措置をとることによって秩序の回復を図る権限のことをいい、当該権限の根拠となる法令の規定を緊急事態条項(きんきゅうじたいじょうこう)という。
なぜ、日本国憲法には「緊急事態対処条項」が無いのか?
有事(事変)ともいうべき新型コロナウイルス感染対策が後手後手に回らざるを得ない日本政府の状況をつくり出しているのは実効性のある「緊急事態対処条項」が無いからです。
戦後GHQの指示を受け、日本国憲法の制定に向け松本国務大臣を中心に策定した日本政府案では当初「国会が召集できない場合の緊急措置条項が設けられていましたが、結果的にGHQ(連合国総司令部)によって拒否された経緯があります。日本国憲法の創設にあたったGHQ民生局側には行政府には英米法にあるエマージェンシー・パワーが認められるとし、それで対応できると考えていました。しかし、日本にはそうした慣例はなく法律重視で「憲法上に国民の権利の制約を伴うことが記されていなければ実効性のある緊急事態条項とは言えない」というのが感覚的に見て妥当と思われます。

日本国憲法は有事を想定していない、むしろ有事を否定している
日本国憲法は戦後の米国の理想と事情を踏まえてつくられたものであることは間違いありません。
太平洋域での戦争はヨーロッパ戦線のそれとは全く違っていたというのが米側の理解のように思います。
米軍と独軍の欧州戦線での戦争映画は今の我々にも充分理解可能です。米軍にせよ独軍にせよ「刀折れ矢尽きた」後は実に簡単にサレンダー(降参)する。しかし、太平洋戦域の日本軍は違っていました。抵抗不能に陥っているにも関わらず、最後には「バンザイ突撃」を敢行し玉砕(全滅)に至る。「神風特別攻撃隊」を編成し百死零生の爆弾を固定した航空機による体当たり攻撃を行う。米側から見れば信じられない神経という他なく理解不能という状況でした。その一方で合理的な科学性に基づいた工業力も有しており、開発当初は当時の世界水準を超えたと言われる最先端の工業製品とも言うべき零式艦上戦闘機の実用化に成功しているのです。
米側から見ればこんなにも厄介で恐ろしい敵はいないということになり、戦後の占領政策の主眼は「日本の牙」を折る。いわば牙の前提となる日本的精神(武士道)を根絶やしにする他ないというものであったと思います。そうした中で「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(日本のやった戦争は罪である)」という洗脳的政策も行われた可能性が高いのです。
但し、「菊と刀」に代表されるような文化人類学的視点から日本文化に対する公正な視点もあったことは付記しておきます。
※ ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとは、文芸評論家の江藤淳がその存在を主張した、太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部による日本占領政策の一環として行われた「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」である。
※ 『菊と刀』は、ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版された。ベネディクトは、フランツ・ボアズより教わった急進的な文化相対主義の概念を日本文化に適用するべく、恩や義理などといった日本文化『固有』の価値を分析した。本書は戦争情報局の日本班チーフだったベネディクトがまとめた5章から成る報告書「Japanese Behavior Patterns (日本人の行動パターン)」を基に執筆された。
そうした中でGHQの民生局により策定された日本国憲法は自然法といって差し支えない「自己を護るためのフォース(力)」が否定されており、有事に対応ができないようになっているように思えます。
現憲法では、有事に際して政府が自国民を護ろうとするとき手枷足枷が幾重にも絡まっており対策が後手後手に回ってしまっているようにも感じます。
有事を否定するような憲法で国民(我々)を護ることは不可能ではないかと思えます。
今回の論は9条の問題にも関連しています。ぜひ、ご意見をいただければと思います。

次回からは、日本国憲法の前文から始め、各条項について考察していきたいと存じます。どうぞお付き合いを願います。


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