「日本国憲法の前文」について

「平時は何も示さず、すべては非常事態に明らかになる」政治体制に対するドイツの法学者カール・シュミットの言葉です。
戦後の日本はそれなりの紆余曲折はあったものの国際紛争や戦争に直接的関与することもなく、高度成長を機に我々個人のレベルではある程度は満足できる状況を続けてこられたと思います。しかし、今、戦後始まって以来の未知(新型コロナウィルス感染)の国難に際会したといって良い状況です。国民の多くが気持ちの上で命の危険におののき経済は底割れすら予感させます。こうした中、シュミットの言葉を借りれば「日本はいま戦後はじめて政治体制の基底を成す憲法が試されようとしている」と思うのです。
改めて憲法を読み、考えて、場合によっては見直すべきなのかもしれません。

「日本国憲法の前文」について

「日本国憲法前文」原文のまま
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

【問題1】実に崇高な理想に満ちた内容ではあるが、私程度の普通若しくは普通以下の読解力の人間には矛盾を感じる所があります。例えば、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と云い、その一方で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し」とある。これは読みようによっては、我々国民は国会の決議に従って行動せよと言いつつ、万が一、国会が有事対応(緊急事態宣言等も含むかも)の決議を行った際はその決議には従うべきではないと言っているように取れるのですが?そういえば、今回の「緊急事態宣言」の発令にあたっても宣言を尊重し従った人は少なくなかったが、他方、従わなかった人もそれなりに居たことは事実です。憲法の前文のここに、どうしても矛盾を感じてしまうのです。
皆さまの理解としては如何でしょうか?
次号に続く。

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