前号に続き、日本国憲法の前文の問題1と2


【問題2】「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し」の傍線における国民とは私を含む我々のことを指しているのでしょうか? 私で言えば国政に係る権威を持している自覚は残念ながら全く無いのです。
「平和で当たり前」「衣食住足りて当たり前。でも他人と比べての不遇をかこち不満タラタラ」そう言えば、私が20代前半の頃、明治生まれの祖母が「今はいい時代だねー、随分と戦が無いよ、お陰で着るも、食べるも充分で本当に有難い」と独り言のようにいっていたの思い出します。
祖母にとっての戦後は実に「有難い」ことだった。そして、彼女は、この平和的状況は「当たり前」では無いという自覚の中に生きていたと思います。ゆえに、他者に対して注意深く、慎ましく、そして労わりの気持を抱えていた。対して、私は今の状況を「有難い」と思った事は無いに等しいのです。「衣食足りて礼節を知る」平和で衣食の足りていることを有難いと感じる感性を我々は失いつつあり、実態は「衣食足りて、我がままになり」が少なくないように思えます。
戦前の残滓とも言うべき戦後社会が培った平和は有難いという精神は最早無くなっているのではないでしょうか?残ったのは、決して自力で手にしたものでもない憲法をたてに自己の権威と権利を自己のためのみに振りかざす個人的な我がままだけのようにも思えます。
欧米社会における基本的な道徳観として「ノブレス・オブリージュ」があります。身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるということだそうです。私たちは憲法によって「権威・権利」を得た者としての義務を考えざるを得ない時期にさしかかっているようにも思えるのです。
※「ありがとう」は英語の「thank you」とは違います。「ありがとう」「有り難う」であり、あり得ないような、嬉しい境遇に恵まれたことに対する全てへの感謝の念の現れを指していると思います。対して「thank you」は「君は僕の必要なことに応えてくれたから君に感謝している」ということでしょう。
「有り難う」は極めて日本的な広範かつ自然な感謝の念ということのように思います。
戦後70年他者からもらっただけの憲法をそれぞれが自分都合に解釈を重ねた結果、とても大事な日本的美徳を失いつつあるのかも知れません。
本欄も含め素人丸出しの稚拙な論である事は認めます。ですからお読みいただいた皆様からのご意見を頂きたいのです。ぜひ、ご叱責も含めご意見をお寄せください。

【問題3】
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
傍線部分は崇高な理想であることはわかりますが、見方によっては「楽観的グローバリズム」に過ぎないのではないでしょうか。そして、今回ほど「楽観的グローバリズム」の恐ろしさが身に染みたことは無いのではないかと思います。中国の武漢の市場に発した「新型コロナウィルスの人・人感染」はグローバリズムの波にのって世界を席巻しました。
中国政府による情報開示の遅延が世界的な感染流行の要因の一つと上げる人もいます。
多くの国が危機的な状況に追い込まれ日本も例外ではあり得ません。経済的に見てもカントリーリスクを懸案せず世界は一つといった「楽観的グローバリズム」に乗りサプライの多くを海外に依存したメーカーはサプライチェーンが寸断され業務遂行が立ち行かない状況が多く見られます。
世界は決して一つでは無い。中国は共産党による一党独裁であり党を牛耳る一人の決定が全てを動かす事もある。カントリーリスクというよりはソブリン(統治者)リスクと考える他ない体制もあるのです。
※ソブリンリスクとは国に対する信用リスクのことを指します。 主に国が行う投資や融資などに関するリスクに関して用いられます。 このソブリンリスクが高まることで、金融市場における国際的な信用が下がり、国債や政府機関債などのランクの格下げや債務不履行に陥る危険性があります。

公正も信義もそれぞれに違うのです。
戦後の日本を取り巻く状況を考えてみれば、歴史的に見て日本の領土である北方4島は依然としてロシアによって占領状態に置かれています。そして竹島は韓国による不法占拠が続いたままです。一方で中国の艦船・軍用機による領空・領海侵犯は枚挙にいとまがない状態です。そうした国々は自らの信義を公正なものとして勝手な理詰めと力で押し付けてくるのが常道です。
つい最近では「香港」で若者を中心に中国政府による政策に反対して血みどろのデモが繰り返し起きました。彼らは自分達の信義と中国共産党の信義の違いに危機感を抱き行動したと思います。
楽観的で安直なグローバリズムは危機を招来する可能性を含んでいます。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、は大事考え方ではありますが、それに加えて我々日本としての信義と公正を明確にして憲法宣言する必要があるように思います。

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