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素人による素人のための憲法論2 - [日本国憲法の問題2]

立憲民主主義という理想と現実の狭間で

日本国憲法は経緯的には敗戦という未曾有の混乱の中で占領軍(GHQ)から問答無用に下げ降ったものだったと言ってよいように思えます。しかし、現憲法に正当性は無いのかと言えばそうとも言えません。GHQ最高司令官マッカーサー元帥の命令のもと、民政局長ホイットニー少将の指揮でケーディス大佐を中心に気鋭の憲法・法律の学者・専門家が、世界的に見て理想の平和国家を創設せんとして心血を注いだ産物であろうと思えます。一方、食うや喰わずのなか米軍の無差別爆撃に晒され、軍民合わせて300万人を超える死者を出し「戦争はもうこりごり」だと言う当時の国民感情からすれば、戦争放棄を謳った新・憲法には多くの人が瞠目し、もろ手を上げて賛成したのではないでしょうか。もう一つ、国民の半数を占める女性の過半が、女性の参政権の明記について感動を持って迎えた事は想像に難くありません。こうして見れば、国民の過半が支持した憲法はそれなりに意味と価値持っていると思えます。
とは言うものの、敗戦という未曽有の混乱と価値観の動転のなかGHQ主導で降って湧いたごとくの民主憲法では、もはや天皇は主権者ではなく象徴であるとされ「あなた方国民の一人ひとりが主権者なのだよ」と主権在民が囁かれました。これを国民は最初信じ兼ねましたが、いつの間にか気がついた頃には、主権を個人的権利・権力と勘違いし、それを振りかざし有頂天にさしかかっているようです。

【日本国憲法 第1章天皇】天皇は、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
主権とは直訳すればsovereigntyですが意訳すれば「Unlimited Power(際限の無い力)」という意味に理解する事もできます。大日本帝国憲法において主権は天皇に存する故に、国民にとって最大の惨事とも言うべき戦争は天皇の名において始められました。しかし、誤解の無いように言って置きますが昭和天皇は最後の最後まで戦争には反対であらせられました。大日本帝国憲法上、天皇は主権者であり天皇は戦争実力である陸海軍を統べるという事になっています。しかし、天皇は無答責であり、そのため「君臨すれども統治せず」と規定されていました。この矛盾をついて少壮軍官僚の一部が統帥権干犯を振りかざし、開戦に追い込んだというのが実態であったのです。

話しをもとに戻します。
我々日本国民は、フランス革命やアメリカ独立戦争(革命)のように自ら命をかけて主権を手にしたものではありません。戦争に負けたら降って湧いて来たに等しい思いしかないでしょう。このような経緯から、主権者たる自覚に思いを寄せるのは難しく、結果的に主権は「自分勝手」や「我が儘」に曲解されてしまっているのが現状です。それが大手を振ってまかり通り、日本人の本来的特性ともいうべき「謙譲」「惻隠」といった美質は失われつつあり、地域社会もまた失われようとしています。
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」
三島由紀夫の自決4カ月前の言葉です。いまや、その経済大国の地位さえも危うくなっています。
今になって見れば、単に肥えた豚がずる賢そうな目をしているだけで、自らを護りきる牙一つも持たず獣だらけの世界を鼻歌なんぞをを歌いながら彷徨っているようにさえ見えるのです。
ですからもう一度、これからの日本がこれまで以上により良くあるために、新たな視点で(我々国民目線で)日本国憲法を見直す必要があるような気がしてならないのです。

次回は「日本国憲法」の問題3

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