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二ッポイタリアーノ その1

知る人ぞ知る(知らない人は知らない)【The Milano Times】の人気記事だったシリーズの再掲加筆です。

日本語と英語が混ざってジャパングリッシュと呼ぶことがあります。サボタージュからサボるという言葉が生まれたりする類です。ただ気を付けていないと、英語だとばかり思っていたのに実際にアメリカ人との会話に「セクハラ」とか「リストラ」などと使った場合全く意味が通じないことがあります。もちろん賢明な読者の皆さんはお分かりでしょうが、正確には前者が「セクシャルハラスメンタイコ」後者は「リストランテ」が正しい単語になります。

言語学上本来あまり推奨されるべきでないジャパングリッシュですが、ある程度の知識も持ち合わせていないと、現代日本語まで分かり辛くなってくるほど浸透しているのも事実です。「的確なソルーションを提案」とか「アポを取ってあるのでプレゼンに行く」程度の表現はまだいい方で「サラビリに架けてユーシャムをゲロッピシュ」なんかになるとほとんど意味不明です。

さて、今回ご紹介するのはイタリア語と日本語をミックスした表現方法で、専門家筋で二ッポイタリアーノと呼ばれているものです。こういう表現も、ある程度の知識を持っているとイタリア旅行が面白くなると言われています。多分。きっと。ともかく、ここでもシリーズで取り上げることにして二ッポイタリアーノ普及に、そしてより楽しいイタリア旅行(または滞在)のお手伝いになればと思う次第です。

例えば期限が切れることをイタリア語ではスカデーレ(scadere)といいます。このイタリア語に由来し、期限が切れることを「スカデる」と表現するのはイタリア在住の日本人社会ではかなり普及した表現です。「あっ、このヨーグルト今日でスカデちゃう」「ガス代の支払いをうっかり忘れてスカデていたので慌てて払いに行って来た」みたいに使います。もっとも近年は支払いに関してはオンライン化が進んだため、慌てて何かを払いに郵便局の窓口に行くことはなくなりましたね。

話を盛ること等を指す「エサジェる」という言葉があります。エサジェラーレ(esagerare)とはイタリア語で「誇張する、大袈裟に言う」という意味なので、ここでは「ちょっと大袈裟よねえ」が「ちょっとエサジェてるよねえ」とか、自動詞的表現として「あんまりエサジェると信じてもらえないかもしれませんが」と使います。あまりにも調子がいい話ばかりする人には「あまりエサジェ過ぎないように」とくぎを刺すことも時として必要ですね。人生経験を積めば誰がエサジェてるかどうか分かるようになるものです。イタリア人は会話中もジェスチャーや表情をフル回転させ意思伝達をするため、エサジェてるように感じても、実は話の内容はごく当たり前のことだけな場合も多いようです。

イタリア旅行の案内サイト等には今でも「旅行中は、スリや置き引きに要注意」などと書いてありますが、泥棒することは「ルバる」といいます。これはイタリア語のルバーレ(rubare)からの変化形です。もちろん日本からイタリアまではるばるルバりに来る人は少ないないと思いますが、受身で「ルバられる」ことは残念ながらありうるので気を付けましょう。ちょっと語学からはそれますが、イタリアでは現金のやり取りをするときの数え方が日本とは違います。お釣りで62ユーロを渡すとすれば、小さい方から出して渡すのです。「じゃあお釣りの、2ユーロと、10ユーロ、それと50ユーロです。」みたいな感じです。これはBARでもタクシーでもどこでも同じイタリアスタイルなんですが、これを知らない日本人はお釣りをもらう時に、例えば上記の62ユーロのお釣りの10ユーロ札をもらったところでタクシーを降りてしまい、あとで計算して「あ、ぼられた!」なんて勘違いするのです。タクシーの運転手にすれば「おお、50ユーロもチップ残してくれるなんて、気前がいいお客だな」となります。リストランテでもありがち。なのでお釣りをもらうときにはしっかり心の静寂を保ち永遠の時間を感じながら受け取りましょう。しかしホントにイタリア滞在中に財布をルバられた場合、日本領事館では「財布をルバられました」と習いたてのニッポイタリアーノでなく、「財布を盗まれました」と正しい日本語で報告することをお奨めします。

友達とカルチョの試合をするとき等、プレーすることを「ジョカる」といいます。原語のジョカーレ(giocare)は英語のPlayにあたります。日本語訳では「Play」を「遊ぶ」と訳すのが一般的ですが、この場合プロの野球選手やサッカー選手が「試合を遊ぶ」みたいなニュアンスになってしまうことが避けられないのでサッカー(カルチョ)に関しては「ジョカる」を一般的な日本語表現ににも採り入れるといいかも知れません。(うそです。話の流れでテキトーに書いただけです。あまり目くじらを立てないようにお願いします。しかし、ホントに目にくじらが立ってしまうと、大変なことになりそうですね。)

さて、逆にイタリア語に混じった日本語表現はイタロジャポネーゼと呼ばれています。こちらの使用例としてよくニュースで耳にするのはKAMIKAZEがあげられると思います。(これは実話)つまり自爆テロのことなのですが、外国で起こる自爆テロもイタリアでは「イスタンブールでカミカゼ、〇人死亡」みたいな感じで報道されます。これはイタリアに限らず、フランス語や英語圏内でも割と一般的な表現になっているようです。

一方、近年普及したイタロジャポネーゼにはHIKIKOMORIもあります。動詞になるとヒキコモーレとなり、今日からひきこもる人は「ダ オッジ ヒキコモロ」みたいな使い方をします。ヒキコモリという現象は日本以外の国でもありますが、それぞれの国では対応する制度なども違うので、全く同じ現象というわけではないのですけれどね。例えばイタリアではヒキコモリで学校に行かない子供がいれば、学校の職員か契約してある精神科のカウンセラーが子供の接点となり、話を聞いたり問題を解決することを手伝ってくれます。そして、カウンセラーなど専門の医師の診断書がなければ学校へ行かないことは認められません。なので、基本、日本でヒキコモリのまま中学卒業まで学校へ出席することなく卒業するということはできません。だから未成年の間は学校へ行かない子供でもカウンセリングを受けるために精神科の医師のところや学校へ通うことは義務付けられます。そして出席日数が足りないとテストが受けられない。そうなると、本当に学校へ行けない子供は、高校卒業時のマトゥリタと呼ばれる国家試験が受けられず、その後の人生で就職などには大きなハンディを背負うことになります。多くの職業でこのマトゥリタを最低条件にするところが多いのです。

話がそれました。いろいろ混ざってくるとややこしいですね。皆さん、美しい日本語を使いましょう。

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