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自由とは

私は昔から自由が好きです。というよりは縛られるのが嫌いです。

自由になりたいと思う人は多いと思いますが、では実際「自由」とはどういうもの/こと/状態でしょうか?ラクができること?楽しいこと?遊びまくれること?人それぞれ「自由」に対する定義は異なると思います。では私はというと「自由=責任」だと考えています。この考えは私自身の座右の銘にも近いかもしれません。

少し話が逸れますが、人対人の対面式の社会はもちろんのこと、昨今のネット社会では特にこの意味が大事になってきていると思います。一昔前までは人との関わり方が直接的でしたので、周りの顔色をみることも可能でしたし、なにか行動を起こす時は相手に直接、伝えることが主な手段だったと思います。意見を言うのもそうですし、注意するにしても、直接もしくは電話などで伝えるしか方法はありませんでした。陰口という方法もありましたが・・・(汗) とはいえ陰口にしても不特定多数の中から探し出すことは稀だったため相手を突き止めるのはそう難しくはなかったと思います。突き止めて文句を言うかどうかは別問題ですが。

それでは現代はどうでしょうか?相手の顔が見えなくなっている環境が多いように思います。先日もネットでの誹謗中傷が原因で起きた傷ましい事件がありましたが、ネットだから自由に発言していいのか?相手を傷つけてよいのか?

主に文章(文字)が相手に伝える手段となっているネット社会では、とても難しい問題になっていると思います。相手を傷つける側はそんなこと考えていないと思いますが、受ける側は直接言葉で伝えられるよりも傷が深くなります。

そこで話が元に戻るのですが、自由とはなんでしょうか?自由に発言ができるネット社会において、とても重要な問いだと考えます。SNSは個人が発信可能なツールとして、とても便利で今もなお進化しています。でも本当にその進化は人類に望まれているのでしょうか?不特定多数にアクセスが可能な便利ツールは本当に必要なのでしょうか?

この点は真剣に考える必要があるように思います。私が最初に書いた「自由=責任」ということを理解しないまま、便利ツールを使っていくことは危険な世界を生み出すように思います。もちろん私も個人でも仕事でもSNSを使っているので必要ないとは言えません。ただ使い方(使われ方)は改めて考える時が来ているように思います。加害者のつもりで発言していなくても、いつのまにか加害者になっていることも多分にある時代です。もちろん意図的に発言している場合は論外ですが、それでもそれを防ぐためには仕組みから見直す必要があると思います。誰でも手軽に簡単に発信できるからここまで進化・普及してきましたが、おそらく過渡期を迎えていると思います。

便利なことを否定しているわけではありませんし、もっともっと進化していくサービスをみてみたい気持ちは強いです。ただし、仕組みは見直した方が絶対いいと思います。たとえ仕組みが原因で登録ユーザー数が激減したとしても。実際はどんな仕組みを作ったとしても、悪いことをする人はいたちごっこのように沸いて出てくるので、仕組み作りが意味がないことに思えるかもしれないですが、それはサービスを提供する側の責任だと思っています。

私も今、なにかWEBサービスを作りたいと考えているのですが、より多くの人に使ってもらうサービスよりも、少人数でもいいので安心して使ってもらえる優しいサービスを作りたいなと日々頭を悩ませているところです。言うは易し、実際は最終的にマネタイズできないサービスなんて意味がないことは重々承知していますが、安心して使えるサービスを常に意識していきたいです。

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