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赤道を横切る

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祖父・三巻俊夫が昭和11(1936)年に台湾から鳳山丸をチャーターして南洋を巡った旅行記です。
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記事一覧

赤道を横切る:第20章 ボイテンゾルグ

沿道は芭蕉、竹林、水田で台湾の田舎道と大差ない。近来キャツサバ(芋のなる熱帯低木)が幅を…

赤道を横切る:第19章 バタビア

10月25日、午前6時17分水先案内人乗船、午後6時50分バタビア着港。シンガポールより航程535カ…

赤道を横切る:第18章 赤道祭

10月23日、午前6時40分出帆、リオ水道へ向けて進行、海上極めて平穏、追々赤道に近づく。この…

赤道を横切る:第17章 シンガポール鳥瞰

商船会社シンガポール支店調査に基づく『御案内概要』によれば 英領マレー歴史年代記 1786-90…

赤道を横切る:第16章 シンガポール(第3日)

10月22日、シンガポール滞在第3日は午前6時半集合、同7時よりシンガポール島内の名所巡りとな…

赤道を横切る:第15章 シンガポール(第2日)

10月21日、午前中ジョホール往復の予定である。午前7時集合の触出で同7時30分出発は少々つらか…

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赤道を横切る:第14章 シンガポール

10月18日、航海中、晴天和風なれどもウネリありローリングす。それはあたかもモンスーンが西南風と西北風の交錯する時期で逆風となったからであった。 10月19日、航海中、昨日同様、夕刻より稍々【やや】平穏となる。両日とも読書に暮らす。気温81~2度、一向南洋気分とならず涼しい涼しいと言い続ける。三度三度の食事が単調で格別の話題もなく、余興係も一向活動してくれぬ。船はシャム国境を過ぎて英領馬来【マレイ】にさしかかる。 10月20日、午前9時40分新嘉坡【シンガポール】海峡ホー

赤道を横切る:第13章 シャム大観

暹羅【シャムロ:シャム、タイのこと】から遠ざかるにつれ、船中例によって参考書により此国を…

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赤道を横切る:第12章 バンコク

やがて8時30分バンコク着、アングロサイアム桟橋に繋留する、サイゴンより715カイリ。何でも予…

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赤道を横切る:第11章 シャム海

10月13日、航海中、午前11時10分仏印南端オビ島灯台を距離18カイリ半に航進、シャム海【現在の…

赤道を横切る:第10章 仏領印度支那概説

仏領インドシナを去るに臨み、今少しくその全般について認識しておく必要がある。前掲盬田氏談…

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赤道を横切る:第9章 西貢

午後0時45分、西貢【サイゴン】岸壁繋留、ハイフォンより813カイリ、領事代理の手塚浩介氏を初…

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赤道を横切る:第8章 航海

6時30分港口において水先案内人退船、夜に入り稍々風浪あり船体多少動揺す。 10月9日、航海に…

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赤道を横切る:第7章 河内

翌10月8日は河内【ハノイ】往復の予定である。今回の旅行中最大の馬力をかけ午前4時銅鑼を打ち鳴らして全員を叩き起こし、松竹班は二回に食卓を開き、5時半集合、例の人力車で海防【ハイフォン】停車場に駆けつけ、6時8分全員漏れなく発車に間に合った。もっとも特別挺身隊として前日から河内に出かけ同地に一泊した者もある。その連中は馴れぬ洋式旅館に落ちついて、入浴もロクロクできず、スリッパも掛毛布もないのに閉口したとは後に聞いた事だが、中には相当フランス本国にでも行った気持ちで喜んだ者もあ