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富山のプロジェクトで感じた「地域文化資本」の価値


quodの一連の活動で得た知見を活かして、地域の文化資本を研究・分析する「地域文化資本ラボ」。前回のnoteでは、ラボを立ち上げます!ということで、前段的に僕の経歴などを前・後編にわたって書かせてもらいました。
 
「地域文化資本ラボ」立ち上げに向けて【前編】
「地域文化資本ラボ」立ち上げに向けて【後編】
 
今回はもう少し踏み込んで、なぜ「地域文化資本」が大切だと感じたのかについて書いてみたいと思います。
 
読んでくださった方のちょっとした学びになれば。また、この記事をきっかけに、地域に対して何かしらの興味を持ってもらえたりしたら嬉しいです。
 

散居村に佇むアートホテル


「地域文化資本ラボ」の立ち上げに大きな影響を与えた経験の一つが、富山で取り組んでいるプロジェクトだ。
 
僕は普段、家族で富山に住んでいて、東京との2拠点生活を送っている。富山に来たばかりの頃は地縁がなく、知人から「地域の人と関係性を築いていくにはDMOの取り組みに参加するのがいいよ」と言われて、DMO「水と匠」のプロデューサーである林口砂里さんを紹介してもらった。
 
以後、色々と協力させてもらうようになり、株式会社化したDMC「水と匠」の取締役を僕が務めることになった。そこで手がけたのが、アートホテル「楽土庵」の物件開発だ。
 
富山西部にある砺波平野には、日本最大の散居村が広がっている。散居村とは、広大な水田の中に屋敷林で囲まれた家屋が点在する集落形態のことを言う。
 
家屋は全てアズマダチという伝統的な様式でつくられていて、その名の通り東向きに建っているのが特徴だ。南西の風を避ける目的とともに、極楽浄土のある西方を背にして仏壇を配置すると玄関が東を向くという浄土真宗の信仰も影響している。
 
このアズマダチの古民家を改装して、3客室とイタリアンレストラン、ショップを併設したのが「楽土庵」である。
 
最初、地元の人の反応は「こんな何の変哲もないところに人が来るの?」という感じだったけど、2022年のオープン以来、海外の富裕層を中心に高い評価を得ている。
 
当初は欧米豪の割合が高かったが、シンガポールや中国、香港など、アジアからの旅行者も徐々に増えてきた。
 
日本政府観光局(JNTO)は富裕層を二つのカテゴリーに分けて整理している。一つは三ツ星ホテルなどを求める従来型ラグジュアリー志向の「クラシックラグジュアリー」、もう一つが文化的体験や意義を重視する新型ラグジュアリー志向の「モダンラグジュアリー」だ。
 
「楽土庵」は、後者の「モダンラグジュアリー」層に支持されている。
 

自然と人が一体となってつくり上げた価値

では何が刺さっているのか。先に答えを言ってしまうと、それこそが「地域文化資本」なのだ。
 
「楽土庵」に訪れた人はまず、景観の美しさに感銘を受ける。四季折々の表情を見せる水田に、独特の趣を添えるアズマダチの古民家。ここで重要なのは、自然なだけでも、人工的につくっただけでもダメだということ。自然のグランドルールに則って人が手を加えているからこそ、えも言われぬ美しさが生まれるのだ。

周辺住民の方々のキャラクターも「楽土庵」の魅力に一役買っている。みんなすごく優しくて、「うちの畑でいっぱい採れたからレストランで使いなよ」と、新鮮な野菜をおすそわけしてくれたりする。これだけだったら“田舎あるある”と思う人もいるかもしれないが、優しさの背景に浄土真宗の影響があることが、この地域の独自性と言える。
 
浄土真宗が現れたことで、貴族など一部の上流階級のためのものだった仏教が民衆化した。“真宗王国”と称される北陸地方は特に、今でも日常生活の中に信仰が根付いている。
 
浄土真宗には「他力本願」という教えがあって、これは他人任せということではなく、「阿弥陀仏の慈悲のはたらき(他力)によって、あらゆる衆生(生きとし生けるもの)が救われる」というのが本来の意味。自己を超越する大きな力をよりどころにしているため、野菜をくれるのも「天からのいただきものなのだから、みんなで分けるのが当たり前」といった感覚なのだ。
 
僕たち日本人でも感銘を受けるが、海外の人がこの背景を知るとすごく感動する。単に美味しかった、気持ちよかったということだけではなく、「楽土庵」の体験には学びがあるのだ。さらに滞在で得た“生きる知恵”を自地域に戻って反芻することで、自分の生活や仕事にも何かしらの示唆を与えてくれる。
 
こうした一連の経験を通して、自然と人が一体となって営んできた生活が蓄積することで形成された地域固有の資産、すなわち「地域文化資本」が価値として受け入れられることがよくわかった。
 

DNAのバトンを後世につなぐ

前回のnoteにも書いた通り、ブルネロクチネリの本社があるイタリアのソロメオ村を訪れた際、地域の人が豊かに暮らせる環境をつくることで、製品のクオリティやブランドの価値も上がるという構造に感動したが、あの時はあくまで“訪れる側”。「楽土庵」では“受け入れる側”としてその価値が実感でき、より解像度が上がった。
 
とりわけ富山はもともと豊かな土地で、幸い都市化もそこまで進んでいないため、「地域文化資本」が価値化される構造が見えやすい。
 
一方で、発信側の編集能力も求められると感じている。学びというものは総合的な概念で、同じものを見ても、その人の状況や何に興味があるかによって受け取り方が変わるからだ。もちろん自由に解釈してもらってもいいのだが、その地域のコンテンツを一つのストーリーとして訴求できれば、より体験価値が上がる。
 
少し余談になるけど、自然と人の営みが長い歴史の中で表面化したものが「地域文化資本」だとすると、それってある種、民族のDNAみたいなものなんじゃないだろうか。そして僕は、DNAのバトンを後世につないでいくという観点がすごく好きだ。
 
それに気づいたのは、東大ラクロス部で監督をやっていた時。これも前回のnoteに書いた通り、日本一になるために大学生活の90%以上の時間をラクロスに費やしたけど、僕にとっての本質はもっと深いところにあって、この集団のDNAを次の世代へつないでいくことに喜びを感じていた。
 
今、quodの仕事が楽しいのも、きっと「地域文化資本」というDNAのバトンをつなぐ営みに関わることができているからだと思う。
 
ただ「地域文化資本」が何なのかは地域によって異なり、見極めるためには綿密なエリアリサーチが必要だ。そして、このエリアリサーチこそが「地域文化資本ラボ」の活動の主体にもなる。
 
というわけで、次回はエリアリサーチの手法について詳しく書いてみようと思う。



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