見出し画像

【て】 手料理が出来るという能力

僕はいまマレーシアのイポーというところに5年以上住んでいる。
この国には、イスラム教のマレー系と中華系とインド系の3つの人種が生活をしていて、それぞれの民族ごとに日本で言うお正月のようなお祭りが年に1回づつある。

イスラムのマレー系は、1ヶ月に渡る断食(太陽が出ている間は飲食が禁じられる)後のハリラヤと言われるお祭り、インド系はディパバリと言われる光の神を迎えるお祭り、中華系は日本でも最近有名になっている「春節」と言われる旧正月だ。

旧正月というのは太陰暦で行われるので、日本のように毎年元旦と決まっている訳ではなくて、その年によって日程がずれるのだが、今年は1月26日が旧正月の始まりだった。

大体旧正月が始まる1週間ぐらい前から正月が明ける2週間後(日本の小正月と同じで15日間で終わる)まで、ほとんど毎日大宴会が行われる。街中の有名な中華料理屋はすべてフルブッキングで、豪華なお正月料理を食べながら延々と酒を飲む。

日本の忘年会や新年会の比ではない。マレーシアにはヤムセン(飲勝)といわれる一気飲みの習慣があって、これが宴会の間中続くのである。

マレーシアで出来た友人や会社関係の人たちが僕みたいな外国人を誘ってくれるのはとてもありがたいので、出来るだけすべての宴会に参加するし、ヤムセンを仕掛けられたら絶対に断らないことにしている。

それがマナーだし、大和魂でもある。

食事のときは、男女関係なく、グラスを片手にみんなテーブルを渡り歩いて、適当な相手を見つけるとヤムセンを挑んでくる。
こちらにはウーロンハイとかレモンサワーとかそういう飲み物はないので、だいたいウィスキーで一気飲みを繰り返す。

この3週間で、何リットルのウィスキーを飲んだかわからないし、何度記憶を失ったかも覚えていない。

この時期の中華料理は日本のおせち料理と同じで、だいたいどこのレストランでも同じような食事が用意される。

干し鮑、干し椎茸、干し貝柱などの高級食材を鶏の出汁がたっぷり出たスープで戻す「ブッダジャンピングスープ」(これは仏陀が飛び上がるほど美味しいという意味らしい)、干したナマコや牡蠣を餡掛けにしたもの、豚の丸焼きや海老など、ホントに美味しい高級料理が味わえるのだが、すべてナイスカロリーだし、これを週に4日程度、記憶をなくすほどウィスキーを煽りながら食べ続けると、身体に異変が生じるような気がする。

なんというか摂取する栄養分が多すぎて、常に胃が動いていて、一日中何かを消化しているような感じがする。
たぶん消化というのは、人間の身体にとって一種の運動でもあるような気もして、身体が休まらないような感じだし、更にそれに常態化した二日酔いが加わるので、恐らく健康という観点からすると、素晴らしくよろしくない状態なんだろう。

しかし昨日やっと戦争が終わって、久しぶりに落ち着いて家で夕食をとることが出来た。

疲れた身体にムチを打って、日本の野菜が手に入る高級スーパーに出かけた。日本産の野菜はべらぼうに高いのだけれど、完全に身体が欲している。「食べたい」と思ったものを本能に任せて手にとった。
気づいたら、こんな感じの買い物をしていた。

千葉産の大根、群馬産のごぼう、大分産の白ネギ、茨木産の山芋、こんにゃく、鳥の手羽元、ステーキ用牛肉、豚バラ肉。

僕はいま50歳で、栄養学のことはよくわからないんだけれど、そのときに身体が欲するものを食べるのが一番健康にいいのではないかと思っている。
だから僕はいま自分が何を食べたいか、身体の声をいつも聞くように心がけている。

恐らく本能に任せて買ったこの食材たちには、連日の大宴会で疲労した身体に不足しているものが間違いなく含まれているんだと思う。

買い物から帰って、まっすぐキッチンに向かう。
自分がどうしても食べたいものは、自分で作るのだ。

まずは昆布をよく拭いて、鍋に入れたミネラルウォーターにぶち込む。出汁をひく間に、千葉県産の大根の皮を剥き、丁寧に面取りをして、水にお米粒をいくつか入れた鍋に放り込んで、弱火を点ける。

その間に手羽元をキッチン用のポリ袋に少量の塩と日本酒を入れて漬け込むようにして、常温に戻す。

同時に群馬産のごぼうを取り出し、包丁の背で皮むきした後に丁寧に細切りにしていく。切ったごぼうはお酢を少し入れた水にさらして、アクを取り除く。

そうしている間に、手羽元が常温になってきた。マレーシアの2月は一年で一番暑い季節だ。すぐに常温に戻る。

さっき昆布を入れておいた鍋に火を入れてひと煮立ちさせ、昆布を取り除いておく。

大根の様子を見ると、「もう味が染みやすくなってますよ」という顔をしているので、火を止めておく。

次に煮物用の鍋に日本酒とみりんを入れて火にかける。沸騰したら火をつけてアルコール分を飛ばしたら、そこに手羽元を入れ、表面が白っぽくなるまで軽く火を入れる。そこに昆布だしを入れて強火にかけて、丁寧にアクを取り除く。ここで手を抜いてしまうと、仕上がりのだし汁が濁ったりするので、何度もおたまを使ってひたすらアクを取る。

クックパッドなどは決して見ない。本能で買い物をし、本能で調理するのだ。

アクが取れたら、小さめの輪切りにした生姜と味が染みやすくなっている大根を投入して、お醤油を入れる。最初からたくさん入れてはいけない。これから沸騰して出し汁が減る分量を頭で計算して味をつけるんだ、味が薄かったら後から足せばいい。

大根と手羽元の鍋を最小限の弱火にして、ゆっくり火を入れる。火が強いと大根が煮崩れるし、出汁も濁ってしまう。
僕は大根の中心部がほんのり白いぐらいの煮上がりが好きだ。あんまりぐだぐだと煮込まれているのは好きではない。

煮ている時間を利用して、群馬産のごぼうの調理に取りかかる。冷蔵庫に人参があったので、きんぴらごぼうにする予定だったが、身体の声を聞いてみると「きんぴらは油っこいし、今日はちょっと味が強い」という返事が返ってきたので、シンプルなごぼうサラダにすることにした。

鍋に水を入れて沸騰させたのち、塩をひとつまみ入れて、ごぼうを投入する。1分程度煮るだけだが、僕は煮上がるちょっと前にお酢を少々お湯の中に加える。サラダにしたときにちょっと酸味が出て美味しくなるからだ。

ごぼうをザルにとって粗熱を取っている間に、冷凍枝豆をさっと茹でて、塩をした後に同じくザルにとって冷めるのを待つ。

これも身体に聞いてみたら「ビールには枝豆だよね」と言ってきたからだ。

ごぼうの粗熱が取れて、マヨネーズにお醤油をほんの少したらして、すりごまをくわえて混ぜれば、ごぼうサラダの完成である。

手羽元と大根の煮物は、一発で味が決まって、澄んだ出汁で満足の行く出来だった。

約1時間半の料理のあと、ごぼうサラダと枝豆でビールを飲んで、煮物で日本酒を飲んだ。

「やっぱりこういうのは体に染みわたるなー」と思いながら酒を飲んでいたら、家内が大根を食べながら、こういうのは身体に染みるよねーと言ってきたので、笑ってしまった。
家内も僕と同じようなスケジュールをこなしていたので、同じように身体が欲していたんだと思う。

そのあとシメに大分産の白ネギを刻んで、日本そばの乾麺を茹でて食べた。

生き返るとはこういうことだとすら、思ってしまった。

僕は人生において、食事はものすごく重要なことだと思っていて、いろいろなお店を知っているという情報力よりも、手料理が出来るという能力の方が、よっぽど食生活が豊かになるんだと思っている。

自分が食べたいものを奥さんが作ってくれないと嘆いている旦那さんもいるけれど、所詮夫婦は他人同士だし、食べてきたものも、母親の味付けも違うから、片方が美味しく感じるものも、もう片方からすると少ししょっぱいと感じたりすることも多いと思う。

僕はもう背脂がたっぷり乗った濃厚豚骨醤油味のラーメンの大盛り無料に興味がなくなってきたし、焼き肉食べ放題二時間3,000円!みたいなキャンペーンにも行きたいとは思わなくなってきた。

年齢とともに食べたいものや量は変わってくるし、それをある程度忠実に自分で手作りできるという能力は、食生活を豊かにすると思う。

ましてや僕はいまマレーシアにいて、手に入る食材にも制限があるし、同じ食材でも味が違ったりする。さらに日本料理屋がたくさんあるわけでもないし、日本ではごく当たり前に食べていたものでも、食べられないことがほとんどだ。

「炊きたてのお米に明太子をのせて食べる。」

まず日本米が売っていないし、明太子はクアラルンプールの伊勢丹に車で2時間かけて買いに行かないと売っていない。

「お昼ごはんはかんたんにそうめんを食べましょう。」

そうめんとめんつゆは手に入るのだけれど、茗荷が売ってない。

「秋になったので、秋刀魚の塩焼きでご飯にしましょう。」

そもそも四季がないから秋がない。サンマも冷凍を輸入しないと手に入らない。

このように、日本では簡単に手に入る食材でもこちらではなかなかお目にかかれなかったりするものも多い。

サーモンとか冷凍のノルウェー産のサバなんかはいつでもスーパーで売っているので、これを「鮭の西京焼き」とか「さば味噌」に調理する能力は非常に大事で、人生を豊かにするのである。

今晩は、昨日の残りの煮物で日本酒を飲んで、大分産のネギを大きめに切って油揚げと味噌汁にして、茨城産の山芋をすりおろして出汁と醤油でのばしてとろろご飯にしようかと思っている。

これだけでも、すごいごちそうなんです、マレーシアだと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?