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無料のオンライン授業には限界がある

2011年7月くらいのことだと記憶している。MBA留学を後押しするという連中が銀座に6人ほど集まってきた。アメリカでMBAを取得して帰国。これから東京でビジネスのプロとして活躍をするひとたち。しばらくビジネススクールで得た感動がなかなか忘れられない。あの学びとネットワーキングの醍醐味は他では味わえない。そんなところに共通点があったのだろう。そして海外留学プロモーションは5年くらい活発に行われた。

あるとき活動を続ける中で面白い場面に出くわした。ビジネススクールの卒業生の一人で活動を支援するメンバーがこんなことを知らせてくれた。それはアメリカの大学の授業がネットを使って無料で視聴できるというものだった。しかもあのハーバード大学の授業だという。ほとんどの人がほんとうなのかという反応をした。それ以来有名校の授業や企業セミナーがネットで視聴できるようになった。

中でもマイケル・サンデルのJUSTICEという授業は有名。12回で構成されておりネットだけなくテレビでも放送された。DVD媒体としても販売されている。またイェール大学のシェリー・ケーガン博士による「死とは何か」は講義のすべてがネットで見ることができる。Google Talkは良質な内容のセミナーが多い。

こうなってくるとどうだろう。この文章を読んでいる人の中にはこう考える人がいるのではないか。なんだネットで見れるんだ。ならばわざわざアメリカにいって授業を受ける必要はないかな。このネットの動画を見て理解できれば単位をとったものも同然。渡航代の節約になるし、わざわざ宿泊もしなくていい。安上がりになる。

これは相当な間違いを犯している。理由はネット動画は学びとネットワーキングにおいて限界があるからだ。少なくとも3点紹介したい。まず授業の外で何が行われているかということ。次に動画では出てこない学びがあること。最後に授業内容が常にアップデートされていること。これらを理解していないとネット動画では限られたメリットしか得ることができない。どういうことだろうか。

アメリカの授業というのは実は授業の前にたくさんの宿題が出る。サンデル教授の授業1コマ90分に対してかなりの量のテキストを読まなければならない。つまり予習だ。それを読んでいないと授業が理解できないし発言できない。授業の外で何が行われているか。アメリカの学生は授業終了後にノートを読み返す。書いて理解する人が多い。人によっては予習と同じくらいの時間をかける。

また授業内容とそれに付随した内容で事例がいくつかあげられる。それを授業の外で教授とでなくクラスメートと話す時間が割り振られている。しかもそのディスカッションで得られたことをレポートにする。そのグループで作成したレポートが成績に反映されるのである。

加えて1学期に3回は個人レポートを提出しなければならない。それを教授のアシスタントが読んで点数をつけるというものだ。アシスタントはその大学に所属する大学院生であって博士課程に所属する。ハーバード大学やイェール大学の博士課程の学生は将来大学で研究者になることをめざしており優秀である。しかも教えるということに興味を持っている。サンデル教授やケーガン教授はお手本である。

これらの予習、復習、ディスカッションとレポート。これらをやって初めて単位が取得できる。ここまでネットではできない。

次に動画では出てこない場面があるということだ。イェール大学シェリー・ケーガン博士の授業はどちらかというと一方的な講義のため双方向にはなっていない。つまり先生と学生、あるいは学生間という場面はほとんど見られない。サンデル教授の動画を見てほしい。かなり編集されている。ということは学生同士の討議やサンデル教授との討議においてかなりの部分が編集されそぎ落とされてる。

ところがこの一般には公開されていないところで授業を現場で受けている学生には重要な気づきがある。わたしはそれをミシガン大学の学生時代に体験している。授業で発表をしたあとのあの教授の一言がとても大きな気づきになった。アメリカの大学というのはどういうところか。わたしにとってはやる気になる教授の一言だった。

それはなにかというと積極的に発言をしたほうがいい。また発表をした方がプラスになるということだった。教授もそれを評価してくれる。こういったことが動画では見られないためネットには限界がある。編集されたネットでは気づかない。

最後にわざわざ無料で公開してしまうということは公開する側になんらかの意図があるということである。ひとつのプロモーションビデオとして理解できる。サンデル教授の動画は13年前につくられたものだ。その内容は少しづつアップデートされているはずである。

ビル・クリントン大統領を引き合いに出して哲学者のカントの理論を説明するところがある。カントの理論は不滅であろうがもはやビル・クリントン氏のことを引き合いに出して説明するの古いといわれてもしかたないであろう。

2015年版の授業はネットに登録して受けることができる。しかしあくまで過去のものであり内容は常にアップデートされている。現在進行形で生活しながらボストンの教室で受けない限りメリットは限定的であろう。

13年前に留学を後押しするメンバーが紹介をしてくれたことはうれしかった。実際にあれと近いことをアメリカでしてきたこともあり授業の様子が肌感覚でわかった。そのためネットと実際はどこか違うのではないか。ちょっと不足していることがあるのではないか。そんな考えが浮かんだ。

さて東京の大学に通う大学生の皆さんはどうだろうか。普段対面で受けている授業とネットで配信されている授業で違いはあるだろうか。学びの程度とクラスメートとのネットワーキングにおいて。もし対面の方が多いということであれば問題ないであろう。ところが対面とネットと違いがない。どちらでも同じということであれば学生の皆さんの授業に対しての取り組み方に問題があるかもしれない。

そして違いがないときのもうひとつの理由として先生がなまけて楽をしている場合がある。まともに授業をしていない。一方的な講義を90分するだけ。同じ内容の授業を何年も繰り返す。そういっただらけた時間を過ごしていることが考えられる。学生は個性があり画一的には学べない。ひとりひとりの学びをきめ細かく指導するように依頼した方がいいだろう。