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新しい資本主義への長い道のり

1981年の夏、アメリカを1か月旅行した。その旅行は今から考えるとのんびりと贅沢なもので中西部から東海岸を車で駆け巡るというものだった。シカゴからデトロイト、ナイアガラフォールズを経てボストンにはいる。そこから南下してニューヨーク、DCへと続いた。訪れた先のほとんどのところで大学のキャンパスにいった。

シカゴ大学、ミシガン大学、ハーバード大学、MIT、イェール大学、そしてペンシルバニア大学だった。そのうち、シカゴ大学とMITでは著名な学者から直々の講義を受けることができた。中でもMITでは、経済学の教科書として当時だれでも読んでいた本の著者、ポール・サムウェルソン博士がいた。博士を囲んで1時間ほど、10人の仲間とアメリカの経済、そして資本主義について話ができた。

博士は静かに話し始めた。そして30分もたたないところで2名の経済学専攻の友人が質問をした。一人の質問はこうだった。アメリカでは、持つ者と持たざる者の格差が著しい。どうしたらいいか。わたしは当時、経済学をそれほど長く勉強しておらず、博士がなにか資本主義について語っていたことしか覚えていない。

今日、これまでの資本主義を反省し、新しい資本主義をめざす、そのためにどうしたらいいかというアイデアを描いた本を目にする。特に会社経営において多い。ひとことでいうとこれまでの資本主義は強欲な資本家を戒め、お金儲けのためならなんでもするということを改めようということであろう。その反省としてパーパス経営、ウェルビーイング、ワークシフトといった新しい会社経営や働き方というものが提唱されている。

では、どうだろう。いまから30年後、そのころになっても新しい資本主義になっていないとしたら読者はどうしたらいいのだろう。20歳の人は、50歳になっており、30歳のひとは60歳。60歳ということはそろそろ余生を考える時期。40歳(おそらく40歳のひとがわたしのブログを読むはずはないだろうが・・・)であれば、70歳というとすでに引退してから長い時間が経過しており、家でのんびりしているだろう。

この文章では、新しい資本主義への模索はとても長く続き30年後になってもほとんど現状と変化していないであろう。では読者はどうしたらいいかという内容で書いてみます。

その理由は、まず、40年以上前からその議論はアメリカで行われている。次に資本主義と反資本主義との対立は100年以上続いており、これからも続くであろうこと。そして株式市場というとても複雑で欠陥のあるシステムを作りあげたにもかかわらず、そこでの人の行動は予測不可能、あるいは、相変わらず、人は間違いを犯すという理由をあげてみます。

40年前からアメリカでは、資本主義はそのままでは完全ではない。料理でいえば、生で食べない方がいい。そうするとお腹を壊す。そういう表現は使われていた。目の前にポール・サムウェルソン博士がいた。彼は当時、ノーベル賞受賞者のミルトン・フリードマン博士となにかしらの対立をしていた。フリードマン博士といえば、シカゴ大学の名教授であり、サプライ・サイド・エコノミックスの権威だった。

ただ、彼の理論は世間から誤解されて、強欲は正しいという解釈をされてしまった。10年くらいバブル経済が続くと、映画ウォールストリートで描かれているような世界がほんとうに東京で起こってしまった。強欲なトレーダーが株式市場で縦横無尽にとりひきを繰り返す。特に外資系証券会社のトレーダーはめちゃくちゃだった。

わたしは、そのひとつ、スイス銀証券(現在はUBS)というところで働いていた。アナリストの下で働く、リサーチ・アシスタントであったため、報酬は限られていた。それでも結構よかった。ところがバブルがはじけたあとに大学の先輩に聞いたところ、凄腕のトレーダーの報酬はとんでもない額だった。8千万ではない、最も稼ぐのは、クレディスイス・ファーストボストンのトレーダーで8億円。日本のサラリーマンの中で最も稼ぐということだった。

こういったほんとうの光景と大学での話、その後出版されてくる本を眺めると40年くらい、ほとんど変わっていないことに気づく。強欲を戒める。会社というのはお金儲けだけをするところではない。健康、幸せ、そして福祉が大事である。また、働き方にもいろいろ自由が出てきた。ギグ・エコノミーも近い。それは強欲な資本主義からの反省から来ていた。

バブルがはじけて10年くらいした2000年の初め、失われた10年についての本や議論が多く続いた。そしてITバブルがはじけ、リーマンショックの後になって2010年になると失われた20年というトピックになった。2011年の震災を経て、2020年になると今度は失われた30年ということも目にするようになった。

ところが、アメリカでは1980年代から資本主義への警戒感は強まっており、それに対しての懸念はさらに進んでいったといってよい。2030年になったら、失われた40年というひとが出てきても不思議ではないだろう。そうなると失われた年月というのはいつまで続くのか。これは長く続くと考えて間違いはない。

というのは、この資本主義というのは、すでに19世紀の終わりから、もうひとつの共産主義との対立の中で語られており、すでに100年以上の歴史の中で語られているイデオロギーとしてとらえた方がよさそう。この資本主義の生みの親はアダム・スミスであろう。イギリスの議会でも多く取り上げられたという。そしてケンブリッジ大学にはケインズの貨幣理論があった。そしてもうひとりがシカゴ大学のミルトン・フリードマン博士をあげてもおかしくはないだろう。

対局として、イギリスには社会主義の生みの親、カール・マルクスがいた。彼は資本論という本の中で資本主義を痛烈に批判し、資本主義は未完成であることを論証したとされる。どちらもイギリスを拠点として活躍をした識者だった。

今日においてもアダム・スミスとカール・マルクスの主義論争は続いているといってよいだろう。その主義・主張を国家として実現しようとしているアメリカとロシアがいる。実は2大国は100年以上、特に第二次大戦後の1945年の冷戦を経て、対立を続けている。その対立はこれからも続く。特に冷戦が引き起こした対立はすざまじきものであって、1984年にミシガン大学にいたわたしは恐怖さえ覚えた。

これほどまでに社会主義思想と対立しているのか。アメリカでは、個人の自由が奪われることに対して痛烈な嫌悪感を抱く。これは日本人にはなかなかわからない。国家の非道や主義・主張が人権を奪ってきたことへの反発はすざまじいものだった。

アダム・スミスとカール・マルクス。古典派経済学とそうでない学派。アメリカとロシア。この対立構造の中に多くの国が巻き込まれている。そこでビジネスが展開されているというのが事実であろう。そうなるともはや社会主義国の崩壊なくしては、新しい資本主義というのは生まれてこないのではないかという憶測が生まれる。というのは、資本主義と社会主義がお互いに主張しあい、対立関係にあるからこそ、平和が続くという発想があるから。

これまでの強欲な(個人の自由を追求できる)資本主義を揺らがせることはできない。それは反社会主義への強い反発シグナルとして、ある種のジェスチャー、プロモーションとして発信しておく必要がある。

こういった対立構造が100年以上続いたことによって、2大国はかなり偏った国になりつつある。アメリカは、金融とソフトウェアの先進国となり、ロシアは広大な資源大国(石油、天然ガス、穀物)となった。これからも続くだろう。そんな中では、日本はものづくり、サービス、インフラ整備ではかなり強いものを持つに至った。

ただ、これらは、100年以上の対立の中でかろうじて安定を保つものであろう。これからも対立はなくならず、新しい資本主義は生まれてこない。それはこれまでの(強欲な)資本主義との対立の中からしか生まれてこないだろうから。この二項対立でないと新しいものは生まれない。ということは、100年どころか、200年、300年と経過するかもしれないということだ。

そして人というものが株式市場で間違いを犯すことが避けらないという。それは株式市場における人の行動特性をみごとに説明した行動経済学というのがある。行動経済学はこれまでの数理的に論証する経済学に人間の行動特性を織り込んでお金の動きを説明しようとする。

それは、株式市場が上向きな時には大きな間違いを犯すことが少ないという実験をする。ところが問題は、株式市場が一旦、下方修正をしはじめたとき、いわゆる暴落がはじまったときには、より危険な賭けをしてしまう。それによって損失を悪化させてしまう傾向があるという。

もうひとつ、付け加えるのであれば、一般にひとは、損するかもしれないとわかっていながら、ESG投資には手をださない。相当、変わっているのであれば別であろう。ただ、お金を出すから、会社に向かって、脱炭素をしましょうといってそれでほんとうにそうするのか、株価が上がるのかというとそうではなかろう。むしろ、炭素を排出している会社の製品・商品を買うのをやめようというボイコットに近い行動に出るのではないか。

さて、では起こらなかったとしたらどうしたらいいのだろうか。新しい資本主義が30年後に起こるか起こらないかはだれもわからない。ただ、ひとついえるのは、奇跡は起きないが、絶望することはない。議論はどこかで続けておいた方がいい。というのは、新しい資本主義が起きるかどうかというのは、かなりゆっくりとした過程ではじまるものであろう。わずかづつではあるもののそのようなものは起き始めている。

ただし、やはりお金がたくさんほしいという人は世の常だろう。著名なコンサルティング・ファームのマッキンゼー、BCGでは、新卒の年収が1300万円だという。JPMorgan,ゴールドマンサックス、CITYGROUPの新卒採用でも1300万円だという。22歳でこれだけもらえるのであるから、彼らはこれまでの資本主義といわれても納得するだろう。

日本国内でもキーエンスで働く人たちは平均年齢36歳、年収は2千2百万円だという。上場企業の平均年齢49歳という高齢化の中にあって魅力的な報酬を実現している。ただし、キーエンスがこれまでの資本主義の会社だといっているのではない。若い時にいっぱい稼ぐという働き方があるといっているだけ。

パーパス経営、ウェルビーイング、そしてワークシフトといった新しい資本主義へのアイデアが生まれている。ただ、どうだろう。30年経ったとしても、やはり、やさしい会社でなく、多少きつくても、年収をたくさんほしいという労働者はいるのではないか。

新しい資本主義への道のりはかなり長いといえよう。わたしはあのボストンでサムウェルソン博士に聞いておくべきだった。博士、この論争はいつまで続くのでしょうか。博士は車の中で欠かさず、フリードマン博士の音声を聞いていたという。