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アスリートと顧問の心得

半世紀前の冬だった。とうとう待ちに待った中学校に入学できる。小学校よりも体格のいい生徒が集まる。ひとつ年上でも身長が高い。筋肉もある。そのためジャンプすれば高いところに手がとどく。なんといってもかっこいい。そんなことをおぼろげに考えながらバレーボール部に入った。

練習は厳しかった。指導者は愛知教育大学を卒業したばかりの新任の数学教師だった。とにかくこの若い先生のことが好きだった。TVドラマからそのまま飛び出してきたような人だった。指導の一つ、どうしてもうまくボールをとらえられないパスを教えてもらった。模範どおりしてみた。指をやわらかくしてボールをとらえれるようになった。

3年が過ぎて豊田市にある高校に進学した。バレーボールを続けた。顧問の先生は女子と兼任でほとんど練習に顔を出さなかった。一度も体育館に来たことがない。そのため部員だけで練習を考えて毎日同じような練習をしていた。教員室にいくといきなりどなりちらして何をいっているのかわからない。しゃべっていることが理解できないことを連発しているような人だった。合点がいかなかったけど練習にこないことが助かった。

そんなこともありわたしは高校のスポーツ顧問には期待をしないようになった。

わたしの住む千葉県にある市立船橋高校でバレーボールの顧問が暴力を振るったとして犯罪容疑者として逮捕された。この件について少し書いてみることにした。まずだれも止めなかったのか。次に部員との信頼関係はどうだったのか。そして顧問本人と学校はどうしたのか。

事件の様子は事実として報道されているとおりであろう。それが校内の体育館で行われていた。ではなぜだれも止めなかったんだろう。いいかげんにしてくださいと注意しなかったのか。校長や教頭といった顧問容疑者の上に立つ人たちがなぜ止めるようなことをしなかったか。被害者は親にいうだけでなく教員室に向けて手紙を書くとか生徒会を通して訴えることができなかったのか。

顧問の起こした行動には責任を問われるだろう。被害者が裁判を起こせば弁護士が代理として調停をしてくれる。加害者は頭ではいきすぎたことをしたとわかっている。ただ頭ではわかっていても人間にはできないことがいくつもある。人は不完全である。しかし暴力はいけない。そこは事実として責任が問われる。

泣き寝入りをすることなく弁護士を雇った方がよい。代理人として調停をしてもらえる。証拠や証人をそろえて被害届を警察に提出したことだろう。軽度であれば民事裁判になろう。再発防止にもなる。一方でスポーツの顧問や高校の先生は生徒や親から訴えを起こされる可能性があること。そこを理解して指導すべきであろう。それは常にある。

わたしは高校時代に顧問が体育館に現れないので練習の前後に逆立ちをしてコートを一周する練習をひとりでやっていた。なぜそんなことをするかというと当時男子バレーボールの大男たちがそんな練習をしてバランス力を鍛えるということをしていたからだ。

何度やってもうまくいかない。1年、2年すぐに過ぎた。でも気がついたときにひとりで練習だけした。ところがあるときふと逆立ちができてバランスがとれるようになった。逆立ちで少し歩けた。そこから少しづつ腕の力をつける練習をする。不思議にコートを一周することができた。頭に血が下がることもなくなった。なんだこれは。できるではないか。そんなことを覚えている。ただ指導があればもう少し別の方法があったであろう。

助けてくれる人がいないときはひとの力を借りなくてもやりたいことができるようになる。うれしい。やりたくてもできないことがある。指導者というのはやりたいことをできるように助けるという役目がある。その指導者が一線を越えて暴力を振るってしまった。それをだれも止めることができなかった。

次にバレーボール部員との信頼関係がなかったのではないか。指導者はおそらく競技用のスポーツとしてバレーボールを見ていた。生徒は競技でなくあくまでも放課後の身体を鍛えるための同好会として見ていたのではないか。ひょっとしたら将来はアスリートになりたい。そう考えていたのかもしれない。

ただアスリートというのは賞金稼ぎができる競技者のことをいう。つまり強くないと競技者としては成功しない。ある人にいわせるとギリシャでアスリートという言葉が使われそれが走る人と見なされた。ランナーであった人たちは賞金目当ての奴隷あがりであった。つまりアスリートというのは奴隷が賞金稼ぎをしたくて練習をする人のことをいう。結果として強くなって競技をする。なにもかっこいいことをいうのではないということだった。

ここは誤解のないように生徒本人、保護者、指導者とよく話をしなければならない。部員が何をしたいのか。本人がどこまで許容しているのか。練習中に一生懸命にやったのかどうか。やらないのならば競技用のスポーツでなくて趣味の同好会としてやっていてもよい。

わたしの高校時代に部員たちがやりたいように練習をすることがあった。すると下級生はとたんに練習にすらこなくなった。部員として登録しているにもかかわらず練習に来ない。そういうときに顧問がいてなんとかしてほしいと依頼したことはある。しかし無駄だった。

そして事件の顧問本人と学校のこと。自分と組織に厳しくする必要はもうない。顧問は60歳だという。であればもう引退であってのんびりと余生を過ごしてもいい時期であろう。55歳を過ぎればもうほとんど成功とか栄誉とかに執着しなくてもよい。バレーボールの指導にそこまで熱心にやる必要はないだろう。年をとれば怒りを抑制できない。だれかほかの若い指導者にまかせるべきだった。

学校としても強くなって全国に名をとどろかせるようなことをする必要はない。市立高校であって市の税収が財源であること。財源も市政から出ていることから私立のように理事会や保護者の意見が強いわけではない。スポーツでプロモーションをする必要はないだろう。市の税金で運営をしている組織なので船橋市長も責任は問われる。市立は有名になることが目的ではない。都内の大学に進学することで目的は達成できる。

わたしは高校時代に3年間バレーボールをしていた。しかし顧問は練習にはこなかった。それでもバレーボール部として成立していた。しかも県大会に出場をしていた。上の方にはいけなかったけど練習は毎日していた。夕方6時になて暗くなり始めたころ近くのパン屋さんで甘い蜜をのせた食パン一枚を食べた。60円だったけどとてもおいしかった。20分かけて自転車で家に帰った。月曜身から金曜日まで。

顧問の指導者が暴力を振るうということは考えられなかった。バレーボールを続けていてよかった。やりたいことがふとできるようになった経験がある。逆立ちをしてコートを一周できる。それだけでなく3年間運動をしたことで病気一つしない身体ができあがった。高校生活一度も休んだことはなかった。学校に行くことが楽しみだった。