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AI(人工知能)は緊急度が低い

おおよそ30年前にアメリカのビジネススクールを卒業。通った大学院はジョージア工科大学。技術系の総合大学としては著名である。特に電気工学や産業工学、いわゆる組み立て系製造業に強いということで知られていた。そのビジネススクールに2年通い、MBA(経営学修士)を取得。その間、情報技術の単位もいくつかとった。しかしその中でAI(人工知能)を扱った授業はひとつもなかった。

その10年後、2003年には帰国していくつかの会社を渡り歩いた。その中には渋谷にある日本コカ・コーラでの情報開発部。赤坂にあるコンサルティングファームのカート・サーモン・アソシエイツ(のちにアクセンチュア・テクノロジーズ)。そこではサプライチェーン・マネジメント。いわゆる基幹系・計画系のシステム・ソリューションズ。そしてサプライチェーンのソリューションベンダーとしてアイ・ツー・テクノロジーズ(品川)で働いた。そのときもIT全般については常に情報を仕入れていた。しかし、AI(人工知能)が話題になったことはなかった。

さらに10年後。日本では人工知能というのは映画の世界くらいでしか知らない。ずっとこのまま話題にもならないかとも思われた。ところが2013年頃からアメリカを舞台にAIの可能性がささやかれはじめた。話題としてもとりあげられて特に研究者や識者が注目をしはじめた。その可能性と同時に将来へのインパクトが懸念されはじめて、倫理ということが問われ始めた。

あるオンラインイベントで「AIリスクにどう対処するか」という話題で読書会があった。ダイヤモンド社のハーバード・ビジネス・レビュー11月号を使った。その月刊誌には特集として5本の記事が掲載されていた。読書会ではその最初の特集記事を話題にあげた。

タイトルは、「テクノロジーの進歩がもたらす『倫理的悪夢』を回避せよ」というものでコンサルティング会社の代表が執筆したもの。要点としては倫理的悪夢を特定せよ。次にテクノロジーのリスクを回避せよ。そして上級幹部つまり社長の仕事として認識せよ。そのようなことが書かれていた。

この読書会に参加してきたのは15名。わたしは4人のサブ・グループに参加した。ファシリテーターのひとがいて他には製造業のひとがいた。そのひとが記事についての感想を述べた後、こんなことを聞いた。

AIって緊急性が高いのでしょうか。この文章はその問いに対するわたしの回答である。結論としては緊急性は低い。限りなく低い。ビジネスにはならない。その理由は以下の3点である。

まず日本国内に人材が少ないこと。次に日本は他国に比べて投資をしていないこと。最後に法律すらないし、あったとしても法治国家としてビジネスの機会がないこと。どういうことだろうか。

まず人材について。これは実名をあげて申し訳ないのだがあえて書いてみます。ここに記したひとたちは一流のひととして載せています。それでも日本としては人材が少ない。例えば日本で第一人者といわれると次のひとが思い浮かぶ。東京大学の松尾先生。あるいは慶応義塾大学の安宅先生。このふたりはまず間違いない。また理研にも研究者はいる。

ところがAI人材というのがどれだけ国内にいるのか。そういわれると50人くらいの名前が出るかというとそうではない。AIの研究者としてどれだけ論文が発表されているのか。またその論文が他の研究者によって引用されているか。そういわれると日本人の研究者が書いた論文というのはほとんどないのではないか。それだけAIの論文は少ない。

次に日本は他国に比べてAIに投資をしてこなかったといえる。これは英紙エコノミストが約4年前に掲載した記事からとったもの。

The Economist, "Can China create a world-beating AI industry?", Jan 22, 2020

このチャートを見ればよくわかるのではないか。2020年の民間部門での投資額。単位は10億ドル。当時の年末為替レート114円で計算するとアメリカは2兆7千億円。中国は1兆1千億円。どう見てもこれはアメリカと中国の二国間での競争になっている。

他の国は大きく引き離されている。第3位はEU。EUというのは17カ国あるけれどもドイツとフランスの2か国としてよいだろう。次に英国。日本はまだ出てこない。イスラエル、カナダと続く。それでも日本は出てこない。次はどこか。7位のインド。そして日本がようやく出てきて8位。その下にはシンガポールとオーストラリアが来ている。つまり日本のAIへの投資額というのはシンガポールかオーストラリア並みである。

日本はAIに投資をしていない。してこなかった。つまりつくるということをしない。そのため、人材というものが育ってこなかったといえる。それだけ緊急性がないとみなしている。

そうはいっても新聞であれだけ騒いでいるではないか。やらなければいけないだろう。そういう議論も確かにある。しかしAIのエンジニアがいない。投資がわずかでお金をかけていない。そうなるとどうして騒ぐのかということだろう。それは法の整備をようやくしようということになってからだ。そのために騒いでいるのである。一番騒がしいのはあの霞が関。そのまわりに出入りする研究者が識者として早いうちに考えておきましょうといっている。それはそのとおりで法案が通ってから慌てて民間で対応しようというのも遅い時がある。

そのため倫理や責任ということがたくさん紙面に載ることだろう。並行して法律が国会を通過する。しかし日本の法律というのはドイツやフランスの法律を模範としてつくられてきている。いわゆる大陸法(シヴィル・ロー)であって英国やアメリカのような英米法(コモン・ロー)ではない。

どういうことかというと大陸法というのはフランスの民法典が起源にある。これは判例とともに変化していくものではない。日本はドイツの法体系がもとになっている。これから霞が関の官僚が法律の起源にさかのぼり立法の準備をしていく。おそらくはドイツやフランスの法整備ができたあとでようやく立法化するであろう。そのくらいのスピード感であろう。騒いでいても法律としてできあがるのはまだまだ先のことだ。

The Economist, "How free-market economics reshaped legal systems the world over", Oct. 19, 2023 

そうなると会社の中でいくら騒いだところでAIはまだ先。どのような悪さが出てくるのか。それをどう裁くのか。訴訟で勝ったのならばどのくらいの被害額が請求できるのかというのがこれから出てくる。どのような悪さや犯罪が出てくる可能性があるくらいは議論をしてもよいだろう。しかしそれを会社の中で議論するだけの価値があるのだろうか。

たとえ被害にあったところで何の損害賠償ができるわけではない。ということは会社の役員もAIのリスクには関心がわかないということになろう。最もなことだ。緊急性などないのだから。

ただ一般の市民としてAIを使うとなったらリスクは考えておいた方がいいだろう。ビジネスにはならないといっているだけで商品としてはもうある。なので週末に3時間くらい使って識者の本を読んだり講演会に出かけるのはよいことだろう。わたしは先ほどあげた安宅さんの「シン・ニホン」は参考書として読んでいる。よく書かれているしさすがという感想をもった。

読者の方々はあまりAIに振り回されないようにしてほしい。

わたしはMBAをとったあとに日本コカ・コーラに就職した。当時は基幹系のシステムが流行した。中でもドイツのSAPは一世を風靡した。生産性が爆発的に上がる。しかし導入した企業はことごとく疲弊した。システム・エンジニアも疲弊した。期待したほどではなかったのであろう。

そのあと電子商取引というのが出てきた。企業がCRMとして自社のホームページに掲載した。またヤフーや楽天のような電子商取引のプラットフォームが次々に出てきた。しかしその競争の激しさから利益を得ているのは一部の企業のみである。それ以外は期待したほどではなかったのであろう。

そこでAIがやってきた。わたしはこのAIの事業は一部の人たちがニッチなところでやっているだけで決して儲かっていないと見ている。実際わたしの知り合い2名がAIの新興企業に就職したものの1年以内に退職している。

このことからも緊急度は低く、概ね様子見でいいのではないか。