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破壊的ビジネスが社会的弱者を生み出す

アメリカに住んでいたころ余暇といえば家族でピクニックに出かけることだった。場所はストーンマウンテン。ジョージア州アトランタ市内からだと30分程度でつく。そこには南北戦争の記念として一枚岩に将軍の雄姿が刻まれていた。それを一望できる場所はピクニックには最適なところであった。20ドルを払えば1年間有効でいつでも中に入ることができた。

家族と住んでいたところはストーンマウンテンへは片道40分。ほとんど信号がなく60マイル、時速100キロでとばすところだ。家に帰るとぐったりとつかれている。そこから夕食をすませてベットで休む。それでもまだ寝れない。そうするとテレビを30分くらい見る。そんなことが週末には繰り返された。

テレビも30チャネルくらいはある。こんなにあって何を見ればいいのだろう。しばらくどんな番組があるのか観察してみた。ところがほとんどの番組は面白くない。ときどき面白いドラマや映画の放送はある。にもかかわらずコマーシャルによる中断は頻繁であって一気に見ることができない。日本の映画などはやらない。そこでわたしはレンタルビデオショップにいったことがある。

当時ショップにはブロックバスターとタートルズというのがあった。どちらもすぐに会員になることができた。レンタル料は1ドル程度であった。

2月号のダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビューを読んだ。そこにある記事が目にとまった。イノベーションのすべてが「破壊的」とは限らない。寄稿者はフランスのINSEADで教鞭をとるWチャン・キム教授であった。彼はブルー・オーシャン戦略の提唱者として知られている。

これまで血みどろの戦いをしてきたビジネス。レッド・オーシャンのように血を流すような戦いでないブルー・オーシャン。そういったビジネスをしようという提言であった。その彼が今度は破壊的なイノベーションがすべてではない。それはむしろ社会的弱者を生み出す。そんなビジネスはやめて破壊的でないビジネスをしようではないか。少なくともわたしはそうとらえた。

破壊的なビジネスは勝者総取りになってしまう。勝ったものがお金を独り占めにするだけでなく弱者の雇用を破壊してしまうケースがあるという。どういうことだろうか。

記事の中で述べられている事例にNetflixがあった。Netflixは定額制のストリーミングサービス。月千円でどれだけでも映画を見ることができる。必要なのはメールアドレスとクレジットカード。それにスマホがあれば登録ができる。登録が済めばすぐにでもサービスにアクセスできる。実に手軽で便利だ。

ところがレンタルビデオショップは経営難に陥ってしまった。だれもわざわざクルマを乗り付けてショップにいくことはなくなった。店内にお目当ての映画があればいいがそれを探しにいくだけでも手間がかかる。1週間あるいは2週間後には返却しなければならない。この手間がわずらわしい。ときには返却を忘れる。延滞金を課せられる。決して安くはない。そのため顧客はショップからストリーミングサービスへと乗り換えた。

経営難で店舗をしめたのは経営者。あるいはフランチャイズのオーナーだった。しかし雇われていた店員はどうするのだろうか。これまでショップで働いていた人たちは仕事がなくなってしまった。しかもビデオの取扱店の中でレジで決済をしていたひとたちだ。その人たちは仕事がなくなったときにどうするのだろう。

Netflixに勤務したところで何ができるというのだろうか。店舗はもうない。オフィスにいったところで見渡しても机にあるのはデスクトップくらいである。そこで何をしたらいいのか。ショップでやっていたことと同じようなことをしようとしてもなかなかできないのではないか。

ショップではビデオを探しにきたお客の手伝いをする。店舗のどこにあるかはすぐにわかる。そこへ案内する。しかしストリーミングサービスの場合は顧客が自分で探すのだ。しかも検索をすればわかる。そうなると客の要求どおりに探すというサービスがなくなったことになる。探してあげればお客は借りていったのに。

お客が探すものだから店員としては探す必要はない。そうなるとお客さんの数を増やしてほしいという指示になるのかもしれない。Netflixのお客さんを増やす。それには定額サービスに加入してもらうしかない。ではどうやって増やすのだろうか。

そうなると見放題の映画に工夫が必要だろう。人気の出るようなコンテンツを盛り込まないといけない。例えばワンピース実写版。こういった企画が浮かんだとする。しかしこの実写版をもとに加入数を増やすという方法にはどんな方法があるのだろうか。それをそもそもショップにいた店員が考えられるのかというのがある。

セールスとマーケティングの違いは大きい。しかもひょっとしたら顧客分析をしてほしいという依頼があるのかもしれない。加入者の視聴履歴からどのような嗜好を持った購読者がいるのか。その特徴から似たような映画を提案するにはどうしたらいいか。

それは人工知能がやるにしてもそのアルゴリズムはどのようになっているのか。そこまで知らないとできないだろう。たとえできなくても知っておいた方がいい。

ビデオショップとストリーミングサービスとの違いは大きい。ショップで働いていた人がITの会社でいきなり働けるわけではない。

そういったところでキム博士は破壊的なビジネスを少し抑えていこう。そう提言しているようにも読み取れる。これは確かに言えるであろう。ストリーミングサービスで喜んだのは顧客であってショップの店員は仕事を失った。つまり社会的弱者になってしまったのだ。

ビデオショップのオーナーはどうしたらいいのだろうか。そこでアイデアとして出てきたのがコーヒーショップとのコラボであった。レンタルスペースを縮小してこれまでの本のスペースは確保する。その書籍の棚の近くでエスプレッソ系のコーヒー・チェーンで共同経営しようというものだ。

蔦屋書店はスターバックスやタリーズコーヒーとコラボしている。そこでは飲み物を注文すれば書籍をテーブルで読むことができる。時間制限はない。冊子数の制限もない。平日であればほとんど読み放題である。こういったひとつのビジネスが他のビジネスを助ける。破壊されてしまったあとになにかビジネス同志で助け合うというのが出てきた。

ではビデオショップの店員がコーヒー・チェーンの店員になれるのか。その疑問は残る。しかし希望はあろう。仕事が全くないわけではないのだから。

アトランタにいたときのブロックバスター店。ときどきいった。そこでは書籍は取り扱いがなかった。アメリカでは専業が進み書籍とビデオははっきりと分かれているようだった。また書籍と映画を見る人たちの客層が違った。そんな中でも余った時間を過ごすというコンセプトでコーヒー・チェーンと書店がコラボしているところを見かけたことはある。