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いつまでも現役でいる理由

42歳の時にリストラにあった。もうそろそろ働き盛りを過ぎるという年齢で仕事を失うというのはつらい。しかも買ったばかりのマンションのローンが数千万円残っている。息子は中学に入ったばかりだった。しばらく途方に暮れていた。これからどうしていけばいいか。

ただなんとかなるものでリストラをした会社に新しく着任をした社長がいた。社長の出身先の会社を紹介してくれた。そこが三菱商事グループだった。社長もきたばかりの会社がこれほど財政状況が悪いということは知らされてなかったのかもしれない。その会社は品川にあったアイ・ツー・テクノロジーズというサプライチェーンのソリューションを販売していた。

失職を前にわらをもつかむ気持ちで面接をうけた。なんとか受け皿として拾ってもらうことができた。ここで考えたのは外資系企業を転々とするのはもうやめよう。のんびりとした日系企業で働くことにした。しばらくすると退屈してしまい、なにか仕事らしいことを探した。でも見つからない。机に座っているだけだ。それでも給料は入ってくる。贅沢な悩みであって別の意味で途方にくれていた。

あるときなぜこんなにやりがいがないのだろうかと自問した。そこでやりはじめたのはボランティア活動だった。2003年から浅草での観光ガイド、地方創生、MBA海外組の応援、読書会の運営があった。いまでもいくつかは続けている。

今週号の英紙エコノミストになぜいつまでも引退をしないほうがいいかという記事があった。事業でとりわけ成功をした人たちは90歳を過ぎても現役で働き続ける。そういったひとたちは例外中の例外である。ただある調査によるとアメリカで3人にひとりはいつまでも現役でいて引退はしないという。もちろんお金が必要ということもあろう。しかしそればかりではない。記事では一戦を退いたあともなにかしら現役でいる人が増えているという。

記事の要旨はここにある。

ここでの論点はいくつかある。まず現役を続けることは知的興奮がボケ防止になる。果たしてどの程度の頭脳への刺激がいいのか。心地よい刺激がうつ状態や認知症の予防になる。

だれもがなにかしらの目的を必要とする。また必要とされることはかなり深い意味があるらしい。そういった会社で現役でいたときとは違った理由で引退をしない人がふえているという。会社では役職の上を目指す。給料を少しでも上げようと転職をする。しかしそういった職位や金銭への野心はない。

まず頭脳労働者は引退をした後でも知的な活動をしたいと願う。それは現役の時にあれだけ脳のエンジンをフル回転したためである。いつまでの現役に近いの時の感覚でいたい。脳は使わなければ退化する。使わないと思考の深化も起きない。

ただうつ状態の予防になるかどうかは確かではない。うつになるのはいろいろな理由があるからだ。知的な活動や過度なボランティア活動がかえってうつ状態を誘発してしまう場合があろう。そこは気を付けなければならない。認知症の予防になるかどうか。なったことがないのでわからないがいろいろな実験結果はあろう。

だれもがなにかしらの目的を必要とする。これはほんとうであろう。会社にいてそれなりにやっていれば会社の目的ということを少しは考えてきたはずだ。お金儲けだとわりきっていればいいが、それだけだたお金持ちになったときに会社勤務はやめる。そのまま居続けていれば若い人の迷惑になる。

専門的に経営コンサルティングをやったことがあれば一つの会社だけでなく複数の会社についてめざす将来像や存在意義というものを描いてアドバイスをしていた。

それはこれからの個人にも当てはめる。それは自然なことであろう。なにかしらの活動に参加するにしても目的と関心事を持っている。

必要とされるということはあろう。特に会社で働いていて人の役に立ったという実感を持っていた経験が少しはある。自分のやってきたことが世の中のひとになんの役にも立っていないとしたらそれはつまらない仕事をしてきたことになる。ただそういう仕事は東京には山ほどある。

そういう思いで会社勤めを続けていたのならば単なるお金儲けのためだけに会社に行っていた。なにも身についていない。むしろ人はやりがいというところに成長と変化を覚える。これは引退した後にもいえる。

人によってはこういうことは贅沢なことだという。だれでもできるわけではない。そうやって引退をしていきゴルフ三昧、釣り三昧、そしてなにかしらの競馬やギャンブルでお金を使い果たしてしまうことがある。

これはもったいないことだ。どうしてかというと中産階級であってもこのことに気づいていれば有意義な第二の人生は送れる。要は気づいていないだけであろう。

わたしはリストラにあった42歳のすぐあとにボランティア活動をはじめた。働き始めて20年。決して幸運に恵まれていなかった。ローンを抱え、息子の教育もあった。

ボランティア活動を通して会った人は口をそろえていった。お金儲けだけではやりがいを感じられなくなった。なにか貢献をしているという実感がほしかった。そう答えている。会った人は何人も繰り返しこう答えた。

実をいうとわたしはボランティア活動をしながらもそれほど恵まれた状態ではなかった。20年心身を酷使したためか診察券は20枚を超えていた。毎週医者に通った。40代には健康面で万全であったことは一度もない。お金もかなり出費する。ローンと教育費がある。家計のやりくりはすべて女房に任せていた。それでもなにかやりがいがあることを見つけれたのである。

ここでひとつだけボランティア活動を20年やった学びを紹介しておこう。病気のときはやってはいけない。楽しいからと言って無理はいけない。週当たりの時間を3時間くらいと決めてやること。

そしてなによりも本格的に始めるかなり前からスタートしたほうがいいということだ。ボランティア活動をしたことがないひとが60歳になっていきなりはじめてもうまくいかない。うまくいった試しがない。

実際に浅草のボランティアでは外資系の大手企業で役員をしていたひとがボランティアとしてはいってきた。そしていきなり会員に向かってお茶を持って来いと騒いだのである。その人はすぐに辞めたという。

いつまでも現役でいるには理由がある。