見出し画像

コメディはコメディとして受けとる

大学を卒業するとほとんどの日本人は22歳になる。どんなに年齢がいっても24歳だろう。中学、高校、そして大学の10年間を学生として過ごしてきた。何らかの理由で数年余分に過ごした人もいる。それでも働く準備はできているはずだ。大学を卒業をすればほとんどの人が就職をする。さてどんな仕事についたらいいのか。そういったことにすごく頭を悩ます人がいる。

自己分析をし就職の資料を読む。説明会にいく。卒業生が就職をして評判がいいところはどこか。安定をしていて給料のいいところ。そんなあたりから探し始める。わたしはこういったことを考えている学生にはこう答えてきた。それほど悩むことはない。大学は専門を磨くところ。よって学部と学科に合った就職先を選ぶのが間違いがない。いらずらに選択肢を多く持つことはない。

経済学部であれば金融業界があろう。工学部であればIT企業に就職するのが間違いのない。この二つの学部が就職には困らない学部のはずだ。他は苦戦する。

ところが幅広く人気のある仕事というのはどういうところか。人があこがれるところを目指すひとがいる。女性からモテる仕事はなにか。それを探ってみる人がいる。そうすると人気のある職業が出てきて俳優、スポーツ選手、コメディアンというところが上位に入ってくる。このコメディアンというのはどうなのか。

あるオンラインイベントで日本人のコメディアンを例に出して話をする機会があった。例とは最近イギリスの人気番組であるBritians' Got Talentというタレントを発掘するコンテストに出たひとであった。だれもが知っている人であり太り気味の彼はパンツひとつで舞台に上がる。そこでいろいろなポーズをして聴衆を笑わせる。ポーズの特徴として前から見るとパンツをつけているのかいないのかわからない。

そこで彼がメッセージを出す。Don't worry. I am wearing. 心配しないでください。ちゃんと(パンツは)つけてますよ。このポーズが笑いを誘い予選を勝ち抜いてどうやら最終審査にまでいったらしい。この演技に対してイベントにきたひとたちに反応を聞いてみた。

ほとんどが引退をしたシニアのひとたちで反応としてはあまりよいものではなかった。ひとつにはあれは才能というのにはちょっと首をかしげる。パンツ以外なにも身につけないでポーズしてイギリス人の前で見せる。さらにどうもあのフレーズに違和感があるということだった。私が出した結論からすればまあそう理屈をとなえることもない。無関心を装い軽く笑ってごまかせばいい。コメディはコメディとして受け取ったほうがいい。そのようにいたった。どういうことか。

コメディアンにもいろいろな型があろう。ただ一般的なコメディアンというのは語りを特徴としている。なにかしらのストーリーを披露することで聞いている聴衆になにかしらくすっというかくすぐるところを聞かせるというのがコメディではないか。なるほどそれを英語でやるというのは簡単なことではない。あるジョークでウケを狙ったがそう受け取られないことも多い。

ただ何も語ることなくステージでポーズをとることが才能ということであればこれはちょっと違うのではないか。人というのは見た目でモノを判断するようになった。そこにつけこんだのがポーズ。必ずしもことばをたくさん話せばいいというものではない。特に英語が苦手な日本人ならば。そこで見た目はどうなのかということに関心が移る。

パンツ以外のものをつけないでいろいろなポーズをとる。このポーズだけでなにかしらのメッセージを出すものとしてはボディビルがある。鍛えられた筋肉を披露してパワーの象徴である肉体美を見せる。かつてはあの映画俳優だったアーノルド・シュワルツェネッガーがよくやっていた。ただ彼は話術にも長けていた。そして彼のような肉体を見ていて笑うことはない。見る側からすればどうやってあの身体をつくったのかというところに関心が向くことになろう。

しかしこのコメディアンの場合は筋肉というのとは程遠い。どちらかというと贅肉をつけてある部分を隠すという形にしている。ボディビルダーとは真反対である。そこがウケたのかもしれない。そうなるとこういった太ったひとでさえも舞台に上がったときに何かができる。それを考えさせてくれる才能であるのかもしれない。

メッセージとして彼がポーズをとっている間に聴衆が考えている可能性がある。心配しないでください。ちゃんと(パンツは)つけていますから。ほんとうにイギリス人がそう考えているかは別にしてみる。そういった軽いタッチのフレーズで公衆エチケットの違反をしていませんよと伝える。それは理解はできる。

ただし聴衆としては少し笑えるけれどもどうして彼があのようなポーズをとるように至ったのか。何を伝えたいのかということがいまひとつ理解できない。イギリス人のひとたちに理解できるのか。この理解ができないところが笑いを誘うのかもしれない。ウケたということはいえよう。

わたしはこの話題について話をしていると不思議なことに気づいた。あるシニアのひとはこの話をしはじめてから10分も経たないうちにがまんができなくなってしまった。そして他の話題にしようといいだした。そして他の参加者がまだ話たがっているにもかかわらずひとりだけげっそりとした。コメディアンのことや参加してきた人たちを見下すような口調で攻撃しはじめたのである。こういうことをやったり喜んだりするのが程度が低い、と。

こういったいきさつはあるにせよある結論にいきついた。コメディはコメディとして受け止める。そのほうが平和ではないか。いたずらに理屈であれ才能だとかそりゃコメディアンとして語りが必要だとかはそれほど重要ではない。そういったことに違和感を示すのではなくて軽いタッチで割り切りをしたほうがいい。

それがコメディといったものの本質であろう。そういう結論に至っただけでもやや得をしたという気になった。無関心を装い軽く受け流す。あのことばを荒げた人はなぜそこまで感情を露わにしたのだろう。それもどうでもいいことだ。

さて大学生が就職先としてコメディの世界にはいることはまれであろう。あくまでも学術的なところを探す。できれば研究といった分野が向いている。そうであればコメディというのは縁遠いところだ。芸能界やお笑いタレントが出入りするところである。まさか大学卒がコメディアンになろうと考えない。ありえない。

しかし昨今と将来いろいろな暗いニュースに包まれるなかでどうしても笑いというものをほしい。コメディアンという人気の仕事につきたい。人を笑わせるのに才能があるのではないか。そういった勘違いをする大学生がいることも事実であろう。そうであってはいけない。

コメディは人から勘違いされやすい職業である。どこかの余興で笑いがとるのがうまいからといってその才能があるわけではない。ひとからそうやってそそのかされてもコメディアンにはならないほうがいいだろう。一般の人は誤解をしている場合が多い。不可解な職業であるからだ。