見出し画像

アメリカに留学してはいけない理由

わたしにとって40年前にアメリカ留学をすることは定めのようなものだった。そのために南山大学外国語学部英米学科に入学した。なんとしてもアメリカ留学をしたい。ただ親はもうお金を出してくれない。学力と英語力があってもお金がないので断念するしかないのか。途方に暮れていたが運よく奨学金をもらえた。こうなったら留学にかけるしかなかった。

お金以外のことで問題はなかった。アメリカ留学の後には成功例も多くあったからだ。日系企業の海外赴任に抜てきされる。国内の給料をもらいながら海外でも滞在手当が出る。役員にもかけあがれる。待遇は2倍だ。外資系企業に転職してお金を稼げる。

そんな期待の中帰国した。また6年後にもアメリカ留学をした。このときもバブル崩壊で金融をやめて新しい仕事を探すしかなかった。必死に新たなスキルを身に着ける。アメリカ留学は切り札だった。しかも女房と子供を連れてのことである。

あるオンラインイベントでアメリカの比較的裕福な人が通う大学内の暴動について話す機会があった。いま、ハマスによるイスライル・ユダヤ人への攻撃がとりだたされている。イスラエル・ユダヤ人による反撃で大きな惨事が起きている。アメリカの大学内ではそれに対する言論の自由をめぐって暴動が起きているという。キャンパス内は物々しい。

ある調査によると38件の暴動があり227件の反対運動が勃発しているという。それにより多くの授業がキャンセルされている。過激な発言をする教授が処罰をされている。中でもハーバード大学、MIT、ペンシルバニア大学が問題視されている。そこの学長3人が議会によばれて共和党の下院議員から厳しい質問を受けた。5時間に及ぶ質疑の中、学長たちは口をそろえて発言内容によると答えたのだった。

それがかえって状況を悪くしてしまった。ただこの討論には政治劇の舞台裏がある。

この状況につきどのような考えを持っているか。参加してきた人に聞いてみた。わたしはいつものごとくだまって傾聴していた。

ある人はこうはじめた。もはや学術と政治が切り離せない。本来は切り離されていなければならない。しかし学術が政治から影響を受けることは避けられない。この均衡をどうやってとるかというものだ。ハマスによる攻撃。それに対するヘイトスピーチが暴動化した。3つの学長はその取扱いを誤ったのである。

次に加わってきた人は答えた。言論の自由とそれにもとづく嫌悪化する言動。この内容をめぐりどこに線引きをするかが問題である。3人の証言では特定できる個人に向けての嫌悪や軽蔑が証明された場合のみハラスメントとして規則違反なり処罰を受けなければならないとした。ここが問題なのであって多くの学生が嫌悪や軽蔑を感じている。そのために暴動化したのだ。それを学長たちはうまく処理できなかった。

さらに大学の経営が自律的でなくなってきている。それが問題である。献金や学術的な権威により知識が集中化する。その知識を武器に政治的な地位を獲得している。権力、財界、そして教会、病院にまで影響力を及ぼしている。そうではなくて独立した機関として存在しなければいけない。

学長が大学に関係するあらゆるステークホルダー。学生、教授、理事、寄付者、政治。これらを考慮しながら経営しなければならない。はたして経営できるのか。

これら均衡、線引き、独立性、ステークホルダー経営といった指摘は的を得た知的レベルの高い議論である。

わたしはイベント終了後に状況をもう一度ひとりで振り返った。その結果として日本人はアメリカ留学をしないほうがいいという結論を出した。その理由は以下の3点にある。大学と政治が切り離せないこと。キャンパス内が危険なこと。そして学費が高すぎることだ。

まず大学がここまで政治色に染まってしまうのはよくない。政治と切り離して学業というところは進めないといけないだろう。研究というのはエビデンスに基づき客観的に物事を判断する活動だ。事象を正しく証明できないといけない。それにより普遍性と再現性を保証するのがアカデミックなところの使命だった。それこそがアカデミックな研究である。

研究では仮説を次々につくる。いくつかに絞り検証する。厳選され研ぎ澄まされた仮説を検証する。そんなところに政治的な恣意性を持ち込んではいけない。これは学術論文というものが定義上そうなっていなければいけないはずだった。そうでなければ情報操作になりうる。

ところがもうそういうことはいっていられないようである。学術論文を掲載するジャーナルが政治色に染まっているという。そうなると何を信じていいのか。科学的な証明がされているかどうかも疑わしくなってくる。特に政治学、心理学、化学が怪しい。根拠があいまいなまま出版されている。

次にニューヨークにあるコロンビア大学。そこにはキャンパス内に警察が常に配置されている。授業が行われている教室にたどりつくまでに2件の反対運動があり教室にたどりつくまでに危険を感じているという。その様子がテレビ番組で放映された。

キャンパスはもはや安全ではない。危険なのである。よって学習が妨害される。

最後にたとえ客観性が担保されており安全に通学できたとしても学費が高すぎるのである。アメリカはいまや学業バブルである。

学部であれば1年間で1140万円する。4年間通ったならば4500万円である。それでやっと学部卒である。ただしアメリカでは学部を卒業したくらいでいい就職ができてお金を稼げるわけではない。

そうなると大学院への留学である。しかしあれほど多かったビジネススクールに日本人は留学しない。2年間で2500万くらいはかかる。たとえ修士号をとって帰国したとしても成功は保証されない。それどころか2年というブランクが都内で働くにはハンディにさえなってしまう。

そうであれば留学などすることなく東京にいてお金を稼いだ方がいい。年収800万円であれば2年間で1600万円稼げる。しかも海外にいって2500万円をビジネススクールに出費しなくてもいい。修士号はとれないが4000万円以上をロスすることはない。どうしても東京にいながらにして大学院にいきたいならばビジネススクールには通える。一ツ橋ICSやグロービスがある。

アメリカに留学して帰国しても成功は保証されない。お金はロスをする。それだけのことをしていく価値はもはやないのである。

2度の留学はわたしの人生にとってかけがえのないものだった。留学なしではいまのわたしはありえない。しかしいまの大学生に向かってアメリカ留学をしよう推薦できない。もう一度お伝えします。アメリカ留学はしてはいけない。

大学生の読者の皆さんにとって参考になりますように。