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サッカーW杯表彰式でのキスは悪くないこともありうる

もう40年前のことながらかすかに覚えていることがある。アメリカについて9月になる直前のこと。やる気に満ちておりいっちょやったるかという思いがあった。そのエネルギーはどこへやら。2カ月が過ぎ11月になるととても寒い冬がやってきた。それでも勉強量は変わらない。疲れが知らないうちにピークを迎えていた。

アメリカでは11月の後半には感謝祭がある。ありがたいことにわたしには友達がいた。キャンパスから離れた実家に招待してくれた。3日間七面鳥を食べるという経験はそれまでしたことがなかった。友達と彼の妹。そしてやさしいお母さんのおもてなしにゆっくりと休むことができた。彼らの家族はもともとは地中海に浮かぶマルタ島の出身だった。マルタというのはイタリア半島から南にあり、離島として情熱的なところだった。

彼らが用意してくれたクルマでキャンパスにもどった。そこでお母さんはクルマをとめて友人と妹にお別れのあいさつをした。そのあいさつは親子であっても口と口のキスだった。わたしはそういうこともあるなという一瞬の微笑ましさに包まれて友達のお母さんを見送ろうとした。お世話になりました。ありがとう。

ところがそのお母さんがわたしに向かって口をすぼめて別れの挨拶をしたいというポーズをとってきた。それもキャンパスの通りで公衆の面前であった。わたしはどうしていいかよくわからなかった。ただとても親切にしてくれたこと。そして親子でキスをする家族にもてなしをうけたこと。とてもうれしかった。

そしてお母さんとわたしは口と口でキスをしたのである。ほんの一瞬ではあったがこれまでそれほどしたことのない経験だった。しかも通行人が見ている外でするというのはなかなか慣れていない。これもアメリカでの経験である。

あるオンラインイベントでサッカーW杯での出来事が話題になった。スペイン女子チームが優勝。そして表彰式がとりおこなわれた。そこでスペインサッカー連盟の会長が年の離れたスペイン代表とキスをしたという。口と口のキスだった。その場面についてどういった意見があるのか。そういったことが話された。

イベントに参加してきたのは5人。2人はシニアの男性。1人は若い男性。そして中年女性が2名だった。それぞれに冷静に局面を解釈していた。

ある女性はいった。やはりしっかりとした同意を求めるべきであろう。求めたとしてもあまり認められない行為だ。その女性によるとキスをする場所により感情には違ったレベルがあるという。頬やおでこ。そして手の甲。あるいは髪の毛。ハグのありなし。ただし、口どおしは親密度が高いということだった。

会長がサッカー選手にするキスの場所としてはどのようなメッセージが現れるのか。なにを会長はしたかったのか。表現としてどうなのか。そのような意見が話された。

わたしは一瞬であってもキスとなると同意があるかどうか。その親密度によってキスをする場所はあるだろう。そう考えながら聞いていた。公衆がうけるメッセージを意識した方がよかったのではないか。

ある女性が加わった。日本でとりおこなわれたわけでなくオーストラリアという西側の場所で行われた。そこでは豪州の人たちにはどのように見たのだろうか。たとえ日本人の競技選手であったとしてもオーストラリアというところでの感情表現は理解したほうがいいのではないか。

日本人だけの集まりの中でああだのこうだのいったところで理解に限界があるのではないか。この中で海外で生活したことがある人がいるのか。そう話していた。確かに同質どおしでは限界があろう。

シニアの男性の意見はこうだった。どうも会長とサッカー選手の年が離れすぎている。しかも会長が女子選手に接するあの行為は小さい子供に対していたずらをするしぐさに似ている。たとえば頬をつねったりしているしぐさ。顔をゆらしてほめたたえるようなしぐさ。そこから口と口の称賛へとエスカレートしていったのではないか。度を越した行為ではないのか。確かに表彰式で感情が高ぶっていたとは考えられるだろう。

わたしはだまって聞いていた。ここではわたしの公式の見解と非公式の見解を書いておくことにする。

公式の見解としては会長という立場のひとが表彰式ですることではなかろう。できれば踏みとどまってほしかった。なぜなら多くの視聴者が見ている中で口と口のパフォーマンスはする必要はなかったであろう。冷静ならばこれが表彰式であったことはわかる。そして負けたチームの選手が見ているところでやるべきことではない。個人としての感情が先に出たとしてもまずいことをした。そういえる。

そうであればルールや解釈に基づいた罰則を受けるべきであろう。注意喚起では終わらない。多くの誤解を生みだしてしまう。会長という立場であるためだ。もう少しなんとかならなかったのか。そうなると次期W杯では表彰式では女性の役員にお願いした方がいいのではないかということもありうる。あくまで儀式であろう。そこまでが公式の見解である。

ただし非公式の見解としてはオーストラリアという西側の国で開催されたということがある。しかもW杯優勝ということはめったにあることではない。そういった事情はある。つまりオーストラリアのひとたちの反応はどうなのか。そして主催をする組織としてのサッカー連盟はどのような所見をもっているのか。そういった意見は踏まえなければならない。イベントではそういった立場を指摘したひとはいなかった。

というのはイベントにきた5人は皆日本人だった。海外に旅行にいったことがあることはあったとしても日本人だけの集まりだった。そういう場所で注意しなければならないのはひとりのひとがまともそうな意見を先にいったとする。そうするとそうだ、そうだという連呼になって同調してしまう。不協和音を取り入れることなくあたかもだめだ、だめだという声高になっていく。

キス行為をした会長も感情のエスカレートがあろう。ただそれを批判する側においても同調が高まり、けしからん、処罰をしなければならない。そういった意見で終わることがある。そこで話が終わるわけではないだろう。

わたしは大学のキャンパスでキスをしたときにはなにもいわなくてもお互いに気持ちの同意はあった。一瞬であっても相手がそのような表現を望むのであればこちらとしてもお返しの挨拶としてキスを受け入れた。それをなにもいやらしいことだとは考えていない。これは感謝と別れを惜しむ気持ちの表現である。

しかも暗くはなかったしだれもが通る側道での行為であった。たとえそこに日本人がいたとしても同じことをしただろう。親しい友達がいたとしたらちょっとわからないけど。ただ行為をした場所。行為をした人の気持ち。場面を冷静に振り返ってどうなのかという意見がなければならない。

ひとによっては別に大したことではない。悪いことではない。そういう意見もあるだろう。ではその理由は何か。そこを話す必要がある。

東京にいる大学生の皆さんはこの文章を読んでどうだろうか。クラスの中で意見が分かれそうな話題があった。そこで賢そうな人が意見を言う。そして先生がそれに対して同調をする。具体的な証言やデータをもとに話を早く終わらせようとする。そうするとそこでいかにもそうだ、それに違いないとして終わらせてしまうことはないだろうか。

東京であればボーイフレンド、ガールフレンドであればデートでキスをすることはあろう。合意であってそれを良い悪いということはもはやない。友達の家に招待されて、別れ際にキスをしたいという相手の親はまずいない。いたら驚きだが、非公式の見解として、あったとしても自由な表現として受け入れることはありえるのではないか。