お金は40歳までに稼ぐ

このところ過去のことを振り返ることが多くなった。特に30年前の忙しくしていた頃のことを思い出す。もうすでにあれから何年も経っている。何もかも職場は変わってしまったのかもしれない。ただ大学生の読者の皆さんに何か参考になることはないか。何年たってもそれほど大きく変わらないことはないか。それを題材にあげて読者が大きく失敗しないように。成功する方法は簡単に書けない。そんな思いで書いている。

これまでそういったことを自分のエピソードを通じて主張してきた。家族というものという文章ではパートナーを見つけて一緒にいること。とにかく一緒にいることだ。そのため30歳までに親元を離れる。いつかパートナーの見つけ方というのは文章にしてみます。

その後病気にはならないようにと文章を書いて投稿した。健康であることがいかに大切かということ。こんな当たり前のことにもかかわらず、東京ではとても難しい。読めばわかっていただけるでしょう。

もしパートナーといっしょにいて比較的健康であるとしましょう。診察券の数も少なくて毎週医者にいくこともない。そうすると次に必要なものはお金です。これが最初に来るように思っている人も多いかもしれません。ただ私の考えでは優先度からしたらパートナー、健康の次になる。家庭といっしょにいて健やかに生活すること。そのために安定した収入を得る。働き方について文章にしてみます。

やり方としては40歳までに転職を繰り返し年収をあげておくこと。40歳を過ぎたら会社にしがみつき、兼業・副業を持つ。そうしながら75歳まで働く。これがお勧めです。どうしてでしょうか。

40歳を過ぎてからの転職は簡単ではない。私の経験では転職をしてから相当苦労します。原因は仕事ではなく新しい職場の環境にあります。まず企業文化が違いすぎて慣れることができない。そしてハラスメントに耐えることができない。最後に周りからの批判。こういったことがいえます。ひとつづつ見ていきましょう。

企業文化


まずは文化です。会社組織というのは入社して職場に行ってわかることがあります。しばらくいっしょに働くと職員がどういう行動特性を持っているか。それがどういったものを基盤につくられているか。形成しているのは企業文化といわれるものです。これは長年かけてつくられてきたもので外部環境が変わったからといってすぐに変わるものではありません。

会社案内を読んでもわからない。有価証券報告書を読んでもわからない。アニュアルレポートにも書いてありません。わかるというのは頭だけでなく身体でわかるかどうかです。

わたしは42歳のとき外資系企業をリストラになった。その後に日系企業で働き始めました。三菱商事グループという財閥系の会社でそこはアイ・ティ・フロンティアといいました。オフィスは晴海にありました。そこから1年してから三菱商事に出向になったのです。品川へ異動です。

外資と日系の違いには驚いたこともあります。上司は部下をさん付けでは呼びません。呼び捨てにします。またあいつと俺は同期だよ。この同期という言葉は外資系では聞いたことがないのです。42歳ではじめて同期という言葉を社内で聞いたのです。

こういったものに比べてさらに大きいのが外資では個人プレイが許される。主張が強いものが勝つというのがあります。そうでないと待遇が悪くなることさえあります。日系は集団思考です。

そういうものに慣れるまでにしばらくかかってしまうのです。日系間での転職でも同じことがいえます。46歳で三菱系から三井系の日本ユニシスに移ったときのことです。三菱と三井は違うのです。よく組織の三菱、人の三井といいます。これはうまくいったものでほんとうにそのとおりなんです。

三菱商事では組織の掟が先にきます。組織で選ばれた上司は絶対であって部下は上司の指示のもとで働きます。そのため上司を超えてパフォーマンスすることは難しい。ところが三井物産では人なんです。なので上司が理不尽であるとその上の上司に許可をとって仕事をする。それができちゃうんです。ビジネスはうまくいくかどうかわからない局面がいくつもあるからです。

それでも三菱では上司を超えることは許されず。そうやってしまった場合はやらかした職員としてどこかに飛ばされるでしょう。上司が相当理不尽でもそれは許されない。上司は絶対だからです。こういうものが文化としてある。

ところが三井は許される。皆わかっています。そうすると勝手にふるまう社員が多い。どこからこんなことが来るのかというようなことさえあります。サプライズです。上司が部下に向かって好きなようににやれといったりします。そうです、三井は自由です。三菱にはサプライズはありません。

こういった企業文化の違いに40歳を過ぎてから慣れるのは難しい。そして仕事をしていくのはとてもストレスがたまります。三菱にはマニュアルがあってそれを覚えるのはたいへんです。細かい指摘があります。しかし一度覚えてしまえば仕事はしやすい。たとえばメールの文言にしても常用の言い回しがあります。三井はそうでもない。くだけた文章でも通ります。

ハラスメント


次に40歳を超えては職場のハラスメント行為に適応できない。なんのかんのといっても職場のハラスメントはなくなりません。外資系企業はとくにお金がかかっているので闘争や摩擦は消えることはない。証券会社ではマーケットにいるトレーダーたちがいます。そのひとたちは損得がいまその職場にある。

そのためひどいことをついやってしまう。ストレスの高い仕事です。

コーヒーのはいった紙コップをぶつけてくる。あるいは輪ゴムを額に向かってとばしてくる。そんなことに加えてケンカ腰の暴言もありました。これはスイス銀行の証券部にあるトレーディング・ルームでは日常的にあったものです。

またシステム部というところはITエンジニアで占められています。人間付き合いの苦手な人たちがいるところです。ハラスメント行為をうけてしまうとうつ病になってしまいます。わたしの同僚がそれで会社を1年休職し自宅で療養しました。しかし回復してからでもよくならなかったといいます。これは青山にある日本コカ・コーラであったことです。

経営コンサルティングはゲリラ部隊の集まりですからハラスメント行為は毎日起きると考えていいでしょう。是正よりもまず数を数えることからはじまる。日常茶飯事です。

このようなことは外資系だけでなく日系企業でも起きています。いま完全になくなったということは聞いていません。霞が関にある厚労省に寄せられた件数は全国で9万件といいます。これはかなり悪質なものであり、実際に起きているものは相当な数に上ります。というのは多くの被害者が泣き寝入りをしている。まあ、このくらいなら忘れよう。そうすましていることが考えられます。

こういったハラスメント、きつい職場、そしてストレスの高い仕事。40歳を過ぎるとなかなか適応できなくなるというものです。回復にも時間がかかります。

周りからの批判


最後に40歳を超えてからの転職は周りからの批判が絶えないということがいえます。すでに大学を卒業してから20年近く経過しています。その間に2回くらい転職したとします。そうすると仕事でかなりの実績をあげていないといけません。転職する先では即戦力として期待されます。

ところが新しい職場で新卒社員のようなことをしていてはいけない。なるべく早いうちに職場に慣れて実績を出さないといけない。周りも新しい人のことをよく見ています。そこでがんばらないと周りから批判されます。すると空回りし始めます。

わたしの場合は外資系が長く転職もしてきました。5社めの三菱ではジョブホッパーともいわれました。ホッパーというのは仕事を転々と変わって会社に忠誠をつくさない。年収の高いところだけに惹かれて周りの人のことをかまわず。いつでも勝手に辞めていくというイメージを伴います。いくら一生懸命仕事をしてもそのように見られていたのかと失望したりもしました。これは40歳を過ぎてから職場で味わう。とてもつらい。

また日本ユニシスでも40歳を超えてからの仕事はハードでなじむのに時間がかかる。まず社内で使われている用語がわからないということもありました。そこでよくランチをする人から転職組がつくった日本ユニシスの用語集というものを紹介されました。こんなものまであるのかと驚いたくらいです。

まとめ


これである程度納得してもらえたでしょうか。このようなことはわたしだけに起こったこと。読者の皆さんには起こらないかもしれません。ただ組織は生物のようなものでそれほど進化していません。たかだが30年でそれほど変わったわけでもないでしょう。

体力面においてもいえます。わたしは中学、高校と一度も学校を休んだことがない。バレーボールをしていたこともあり体力には自信があった。それでも40歳を過ぎると職場には耐えられなかった。

40歳までにたくさんお金を稼ぎましょう。そのあとはどこかの会社に落ち着く。しがみついて、なにがあろうがある程度お金さえはいってくればよし。それで家のローンの返済もできます。クルマも買えるでしょう。もし子供がいるのならば教育費もまかなえる。ファイナンシャルプランナーによるとひとりオール公立で770万。私立ですと2200万かかるといわれます。

パートナー、健康、そのあとはお金です。

参考になりますように。