見出し画像

いつまでも成長する

大学受験はうまくいかなかった。地元の大学に合格することを目指して勉強したものの成績が伸びない。模擬試験の結果を見るとがっくりと肩を落としていた。そんな時にたまたま受験仲間の一人が読書会をはじめた。そこに居合わせた運があった。彼とは授業が終わると部屋にいき、仲間5人といっしょに勉強をした。読書会を始めた親友は現在、南山大学の教授として大学生を指導している。

彼とわたしは受験合格まで交流が続いた。有志による勉強会に集まった5人は1年後に全員希望大学に合格した。なんとしても成績をあげよう。1年間かけて徹底的に勉強した。当時使っていた教材は元駐日大使のエドウィン・O・ライシャワーが書いた文章だった。それを丁寧に一文づつ読むことを心掛けた。受験生にとっては難解であった。

やり方はこうだった。当時知られていた長崎玄弥氏の読解法を使うというものである。まず英語をみんなの前で読む。そして日本語にする。その時に文章の後ろから訳してきれいな日本語にはしない。後ろからではなく、頭から訳すという方法をとった。

例えば、Japan needs to maintain a solid base of bilateral relationship with the United States. という文章があったとする。すると普通は日本は日米同盟のしっかりした基盤を保持する必要があると訳すことが多い。

そうするのではなく玄弥式というのは同時通訳者がするようなことだった。Japan needs to…ときたところですぐさま頭の中で、日本に必要なのは・・・と理解して、言葉を口にして皆の前でしゃべることだった。すると日本に必要なのはしっかりとした基盤と続く。(その基盤は)日米同盟にある。といったやや二重の訳になる。これは重複でありいい日本語ではない。しかし理解はしやすい。これは後に英語脳にするための練習でもあった。

この方式を徹底して進めた。この効果は絶大だった。しばらくすると偏差値があがっていった。60を超えたのがはじめてだったため、わたしは正しい理解をすることがこれほど大事なのかという喜びを覚えた。するとどうだろう。英語だけではない。それまで苦手だった国語や社会の成績も伸びた。相乗効果というものだ。

ただしこう書くほど現実は簡単ではない。仲間の中にはフラストレーションで怒り出すものもあらわれた。またリーダーを馬鹿にするものまで出てきた。しかし1年後の結果は全員合格だった。正しい選択だった。

わたしはあの時の経験からいつまでも成長するにはどうしたらいいかということを考え続けてきた。どんな失敗を繰り返そうとも成長と変化を続けていく。それにはどうしたらいいか。いろいろな本を読み、成功してきた人たちの話を講演会で聞いてきた。

するとわかったことは成長するには特別な才能や知識が必要なのではないことだった。ごく簡単なことを習慣化することだった。いまでもその方法を続けている。それはきっかけ、集中、継続というものだった。

まずきっかけをつくること。見つけること。あるいは決意することでもいいであろう。ある日突然決意してもよい。偶然巡り合うこともあろうし、突然歩いているうちにどこからか語りかけてくることもある。

きっかけが必ずある。その時にどんな目標を持ち、どのような姿になっているかをまず頭の中に描けるかにかかっている。

18歳の頃は大学合格という目標はあった。それ以外の選択肢はないといってもいいものだった。そして大学入学後はアメリカの大学院に留学し卒業するというものだった。この目標をつくった20代にはぼんやりとした目標だった。何年かかるかわからないけど卒業をしているときの姿を描いた。

こういった目標とビジョンがあること。これをきっかけとしていいであろう。ただし道のりは険しく、途方に暮れるような毎日を過ごし、屈辱と失意の連続だった。日本の大学を合格する程度でアメリカの大学院でMBAなどとれるはずもない。成功よりはるかに失敗の方が多かった。けど少しづつ確実に成長する。

いろいろな方法を試し、正しい方法が見つかるまではあきらめない。試行錯誤することだけはやった。これは友達が授けてくれた皆と一緒に勉強することで軌道に乗った。ひとりでやってうまくいかないのなら、一度成功者から授かった英語勉強法は徹底して貫くということだった。

ところが途中で誰もが手抜きをしたくなる。うまくいかなくなるとそうする人が増える。準備をしてこなくなる。積極性を失い他人任せになる。仲間割れをする。気づかれないようなことをする。わたしも人には気づかれないことをたくさんしてきた。

しかし一度でも物事を流すようなことをするともとのもどらない。必ずどこかでしっぺ返しが来るものだ。誰も見ていなくても神々が見ている。ここまでが決意という局面だ。

次にやるとなったら集中することであろう。これは時間を決めて集中して勉強をする。英語を勉強して、アメリカの大学院にいくには多くの時間を必要とする。毎日1時間と決めて英語を勉強する。すると7日間で7時間。一年360日として360時間である。実際にはこの3倍程度を必要とする。すると1年間で必要な時間は1000時間である。どこにいても英語を一日3時間勉強する。

これを1年やっただけでは英語は伸びない。これを10年続ける。1万時間になる。この10年で1万時間集中したメリットは大きい。必ずTOEICでも満点に近い点数がとれるであろう。この集中して勉強をするというのがなかなか難しい。ひとというのはなにかしらの理由をつけて集中しなくなるためだ。

そして3つ目は継続のためにすること。記録をつけることであろう。いきなり大学院に合格することはない。そのためには長い道のりと道筋が描かれていないといけない。1年でどこまで達成したのかという記録をとることだ。客観的に評価できる指標を持っていないといけない。そして半年に1回、それを達成できたのかどうか。振り返りをする。

そしてできないのならばできるようにする。それには何を改めないといけないのかを考える。何に時間を奪われているのか。その時間を省略する。無駄にしている時間をつきとめて排除していく。阻害する要因である。そのうちの一つにメールを頻繁に見るというのがある。

計画通りにはいかない。わたしもこれを何年も続けたが計画通りに行ったことは一度もなかった。

それはひとつには計画を忘れるということがある。また計画はつくったときの状態である。やっているうちに状況は変わる。また計画時には楽観的な姿勢でつくられており、うまくいくはずだと思い込む。現実ではないことを考えてしまう。私生活で結婚をし子供ができたとするる。それを勉強しない理由にしてしまう。それではうまくいかない。遅れる。

わたしが大学院に入学できたのは31歳の時だった。だいたい大学院に入学する平均年齢は28歳である。3年も遅れるとその後のハンディは多い。働く期間が失われてしまう。30歳を超えてからの大学院への入学はハンディになることすらある。

アメリカの大学院に入学するには何が要求されるのかを考えないといけない。それは英語だけではない。アメリカの大学院生といっしょにやっていくためには学力とお金が必要であるということだ。学力がないと大学院ではやっていけない。

またお金がないと入学し卒業できない。いま、アメリカのビジネススクールでは2年間で3500万の学費がかかるところがある。これは一日、勉強しても野球を見に行っても7万円かかる計算になる。20科目の授業で1コマあたり5万円かかる。90分で5万円が消える計算になる。

90分で5万円を出費するなら、その元をとらねばならない。すると1コマで科せられる100ページ近い宿題を読む。それほど簡単ではないのだ。必死で勉強をしていい成績をとる。わたしが卒業をした30年前は2年間で学費は600万円程度だった。1コマ7千円くらいで授業をとることができた。それでも必死だった。科目によっては理解が進まず失敗も多かったことを覚えている。

実際には6百万円で済むどころかその倍を出費した。それはフロリダのディズニー・ワールドにいったり、カナダを旅行したりしたこともある。しかし旅行先ではなるべく贅沢はせず楽しむ方法を覚えた。女房はそれに対してちょっと不満なこをいっていたが致し方ない。

さてこういう経験をしてみると大学院卒業後もいつまでも成長を続けたくなる。それが自然の欲求としてある。成長と変化をすることでもあって、やって見ると実は失敗が多い。これでもかというほど失敗をしている。

しかしこれからも失敗を繰り返すであろうが、いつまでもあきらめず、何か完全に近いものを仕上げていきたいということは心掛けている。次に書く文章は、この文章よりもいいものを書こう。これだけは本気でやっている。

多くの人が勘違いしているのかもしれない。特別な才能はいらない。きっかけを持ち、集中して10年間続ける。この簡単なことをする。これがいつまでも成長するための方法であろう。