ボールスポーツを控える

要約

大学生の読者の方々は、スポーツが好きな人が多いであろう。スポーツというのは、身体を動かすことが好きな人にとってはたまらないものだ。わたしにとっても50年以上に渡り、スポーツなしということは考えられなかった。というのは、もともと動くことが好きであって、家にじっと長い時間いることは耐えられない。そのためかよく散歩に出かける。

50年におよび、様々なスポーツを見て実際にしてきた。この経験を通して、自身で本を読み、また、人と話してきた。それを土台にどんなことを学んだのかを書いてみることにしよう。今は、スポーツ、特にボールを使ったスポーツを控えるようにしている。結論めいたものとして、いつかはボールを使ったスポーツを控えていくようにしたほうがいいのではないか、という内容の文章です。

このシリーズでとりあげるスポーツは三つ。バレーボール、テニス、そしてゴルフ。自身の経験、なぜ控えたほうがいいのか、そしてこれらから学んだことを書いてみる。次の記事でバレーボール、その次にテニス、そしてゴルフをあげる。

なぜ控えるのか、という要約としてはこうです。まず、やりすぎてしまう傾向があったこと。やりすぎのため、多大な資源を投入し、かなり浪費してしまったこと。資源とは、時間、手間、そしてお金のこと。実測値はないものの感覚的にこれらの資源の浪費は計り知れないものであった。

また、やっていく過程で様々な弊害が生じたこと。自分自身に起こったこととして病気やけががあった。そして他のプレイヤーとのトラブル、そしてそれらのスポーツを自主管理している組織の運営のまずさがあった。どう見てもおかしかった。

そしてついには、(現在地点ではあるが)、あまりにたいへんであるが故にやめてしまった。そのために別のスポーツをしなければならなかったこと。それはランニングだった。そこから得るものはたくさんあった。

バレー、テニス、ゴルフを例示したあとにまとめをし、失敗経験からどんなことを学んで結論にいたったのかを話してみます。読者にとっては面白くない内容があることはあらかじめいっておきます。その理由は、ややもするとマイナス面を事実に基づいて記述していくため。同じような経験をしたのなら、(まず、ありえないが)ひょっとしたら、いまの大学生の時点でやめてしまうかもしれない。それはよくない。

大学生の時点でスポーツをやめることはわたしの意図ではありません。むしろボールスポーツを楽しんでもらうことを推奨します。ただ、40歳を過ぎても同じように大学生の時のようにすることはお勧めできない。いつかは筋肉の質を遅筋にしたほうがよいです。食事も改良し、睡眠のとり方も改善する必要が出てくるでしょう。それが並々ならぬ、大変なことだという気がしています。

老化が進めば、ウォームアップ、クールダウンを念入りにする。ストレッチの中でも、柔軟性を持たせるため、つまりけがを予防する。疲れを残さないために可動域トレーニングをとりいれる。場合によっては科学的に運動することもでてくる。科学を意識しなくても。いまはある程度の身体づくりは必要でしょう。

四季のある東京では、意識して年に2回ほどだれでも身体をつくりなおす必要がありましょう。ひとつは、夏の猛暑に備えて。もうひとつは、冬に備えて。夏は30度以上の猛暑で7月から9月までの3か月は自然災害の期間。冬は、冷えによる免疫力低下のため、ある程度の脂肪を蓄えて保温する期間。普段生活するだけでもたいへんになってきた。

普段、デスクワーク、つまり、教室で講義を受け、友達と校内のテーブルで話、図書館で本を読むだけでもからだづくりは必要でしょう。その上でスポーツはする。ゲーム性の高いボールを使ったスポーツをする。それはいいことではあるけれど、注意したほうがいいこともありましょう。そんなことを書いてまとめていきます。

バレーボールに明け暮れる

10代は、バレーボールと過ごした。中学生になった時に始めて高校卒業までの6年間。この期間は、バレーボールなしでは考えられなかった。

きっかけは、新しくバレーボール部の指導教員になった人によるものだった。教育大学を卒業して教員免許をとりたての先生だった。その先生は、コートの横から見ているこれまでの年配の指導教員とは違った。自らコートにはいり、上級生である3年生といっしょにプレイした。そのプレイはこれまで上級生のスタイルをまねるだけといったものとは違った。

だれもがこの先生のプレイにあこがれた。サーブ、レシーブ、トス、スパイク、ブロック。どれもが際立っていた。わたしはたまたまトスの指導を受けたときにどうやったら柔らかいタッチでボールの距離を長く、短く、自在に調整できるのかを教えてもらった。それがあるときとても楽しくて、ポジションはセッターを希望した。

高校にはいってセッターを希望したけど、スパイク力のある人がエースの対角に必要だということでスパイカーに転向した。うまくボールをとらえてポイントが決まった時はたまらないほどうれしかった。そして同級生6人といつもクラブハウスにいて練習のこと、大会のことを話していた。

この6年間は、バレーボールをうまくなりたいという一心だった。毎日、授業が終わる4時半から体育館で練習した。6時すぎくらいに練習を終えて、校門にあるストアでパンをかじって帰宅した。帰宅後は、夕食をとり、お風呂に入って寝るだけだった。振り返るとその間、風邪をひいた記憶はない。視力も衰えることなく、バランスのとれた体であった。

身長173㎝。体重64kg。高校時代は、ずっとこの数値だった。その数値が狂いはじめたのは、高校3年生になってからだった。受験のため、部員が次第に辞めていった。しばらくは練習だけしていたけど、わたしもぱったりやめてしまった。あれ以来、バレーボールをしたことがない。

中学、高校と約6年よくやった。ただ、やりすぎたということがいえる。平日はほとんど毎日2時間練習をした。シューズは柔らかめのアシックスを使っていたため、すぐに傷んで交換が必要だった。何足はきつぶしたかわからない。むしろ、3,4足同じシューズを持っていて使った方がよかったのかもしれない。シューズ店によると一度使ったら2日ほど寝かしておいてほうが長持ちするということだった。当時、そんな知識はなかった。

そのため、シューズに費やしたお金は並々ならないものだった。硬いシューズは、足にあわず、選択肢にはなかった。

けがは常にあった。レシーブでスライディングをすれば腕を擦りむいた。強いスパイクを受ければ、突き指をした。また、プレイヤー同士とぶつかり、頭を強く打ったこともあった。それでも平気でプレイを続けて、練習をしていた。

トーナメントにも何度か出場した。勝ったときはいいけど、負けた時が他のプレイヤー、特に同級生と気まずい雰囲気になった。あそこで、こうしておけばよかった、というようなことが延々とささやかれていた。ただ、それを上回るだけの気軽さというか、仲の良さ、いい加減さがあったため、それほど深刻化はしなかった。単なる部活であったため。

ただ、高校時代には、バレーボール部を管理指導している指導教員はだれもいなかった。スポーツ系の高校でなく、指導教員もいないと練習はいつも同じであって、なにか各自が目標をもって練習をしているということはなかった。そしてウォームアップやクールダウンといった時間を念入りにとった記憶はない。科学的なトレーニング、例えば、筋力トレーニングをジムでやったことはなかった。むろん、トレーナーなどはいない。

このことからいえるのは、たとえスポーツ振興のところでなくてもきちんとした指導員、そして、トレーナーの指導を受けながらバレーボールを続けた方がよかったということであろう。とにかく、けがが多かった。けがには衝撃によるものと疲労によるものがあった。衝撃は避けられないにしても疲労によるものは気づいてさえもいなかった。

トレーナーがいなかったため、ウォーミングアップは5分程度ですぐに練習をはじめていた。そして時間がくると練習は終了。そのあとにクールダウンをする時間は各自にまかされていた。ほとんどだれもクールダウンをしていなかった。そのため、週末になると疲労が蓄積していたのかもしれない。筋肉痛の解消すらしていなかった。運動生理学などはだれも知らなかった。

ある程度科学的な根拠に基づいたトレーニングをしないのであれば、バレーボールをしないほうがいいであろう。部活だからといってもあなどらないほうがよい。本や人から話を聞いただけでは正しい練習はできない。

40年後の今日、関東圏でバレーボールをすることはない。しないまでも観戦にはいく。Vリーグがはじまれば、車で地方まで出かけて観戦する。そこには、いろいろな気づきがある。試合は、そこそこにして、試合前と試合後に選手がしていることを見ている。

ウォーミングアップとクールダウンを念入りにしている。そのやり方でさえ参考になる。とにかく身体が硬かったため、けがをよくした。そしてけがをしてもアイシングをしていなかった。また、夏はプールに入るなどして冷やして燃焼を抑えるようなこともしなかった。

いまは、随分と運動生理学の普及が進んでいるようだった。

バレーボールはもうしていない。もうすることはないだろう。ただし、あの高校3年生でやめていなかったら、町の練習会くらいには出ていたかもしれない。そこでボールを使ったウォーミングアップ、そして練習終了後のクールダウンをしていただろう。とにかく、バレーボールはバランスのとれた身体づくりには適している。

大学に入ってから、バレーボールにとってかわったのは、テニスだった。

テニス中毒

テニスをした時期は3つに分かれる。20代、30代、そして50代。それぞれ2年、5年、4年と続いた。大学の時は、サークルにはいった。30代と50代には、スクールと市民クラブでやった。初めのころは、週1回程度でやりすぎてはいなかったけど、50代にかなりやりすぎた反省がある。それはかなりの時間の浪費とけがであった。

50代になって企業勤務をやめて大学講師になった。時間に余裕ができた。その余裕を使ってなにか身体を動かそう、体重を減らそうということで運動を探していた。大学のときには、バレーボールは身長が足りない。それにまわりにやるひともいなかった。それでテニスをしていた。体の使い方がやや似ているところもあり、テニスは気軽にできるものだった。

ほとんどの期間スクールには、週1回。家の近くで通った。全天候型ということもあり、シャワー、ロッカー室、また雨天には駐車場が使えた。コーチがついて90分間、それなりに打てる人たちと流し練習をした。練習後には、簡単なゲームをして終了。中上級というのは、そこそこ汗を流せる。そこまでにしておけばよかった。

次第にもう少し、スクールの形式では物足りない。連続して打ちたくなった。そうするとどこでやるのがいいか。市民クラブだった。千葉県の各市内にはいくつかあり、スクールのような形式をとるものの、それなりに打てる人たちが集まってやるレベルの高いところがあった。しかし、来る人たちはほとんどが65歳以上のひとだった。

クラブの数が多く、コート割が限られていることもあり、練習ができるのは早朝だけだった。その早朝というのは、朝6時。朝6時からテニスをするのかという疑問があるけど、ほんとうに6時からだった。それが近隣の住人からクレームがでたこともあり、朝7時になった。それでも朝7時からである。しかも年中である。夏場も冬場も。

5時に起きて準備、25分かけて自転車でテニスコートまでいく。それが1年中ほとんど毎日できる。そして年会費はたったの1万5千円であった。そんなこともあり、朝7時から1時間だけテニスをやってみた。次第に早朝テニスをやる時間は伸びて、9時にまでなり、週1日が、2日、3日、ときはほとんど毎日になってしまった。テニス中毒というものであろう。

このテニス中毒というものはどうにもならないもので4年間ではあったものの、朝の時間を浪費した。そしてラケットは御徒町や渋谷に出かけて買ってくる。ガットの張替えもそこでお願いする。1日がかりの手間になっていった。シューズでさえ、4足くらいは持っている。道具を揃えたら、次はそれなりにレベルアップの欲求が増してしまった。

2014年、テニスプレーヤー錦織圭選手が全米の決勝戦まで進んだ。その放送を吉田記念テニスセンターで見ていた。ずっとこの施設が気になっていたこともあり、そこで指導を受けようと会員として入会した。そこでは、ジュニアの育成や車いすテニスがさかんである。本格的な指導を受けれるがそれはジュニアのみで指導料だけで月6万円かかるということであった。

わたしが入会したのは、年3万円でスクール1回1,000円でできるというものだった。週1回、好きなコーチを選んで受けていた。また、トレーニング室でジュニアの指導をしているプロのコーチから簡単なトレーニング方法を教えてもらった。コーチは、アメリカでトレーニングの修士号を持ち、日本ハムファイターズの専属コーチを経て、吉田記念でコーチをしているひとだった。

この人から教わったのは、体幹トレーニングだった。30分ではあったけど、体幹トレーニングがテニスをするのにどれほど重要なのかはそこでわかった。そしてこのトレーニングがひとりではほとんどのひとができないのではないか、ということ。鏡を見ながら、できるのではないか。そんなに簡単でない。姿勢、時間、ずれ、呼吸、やっている間はすべて細かく外の目でチェックを受ける。

そのような指導を受けているジュニア選手とは、明らかに球筋が違った。

入会して8か月くらいしたころ、あるコーチがいった。テニスでは、減量はできないですよ、と。考えてみるとあの運動は、減量向きではない。瞬発性、機動性、ボール感覚は必要ではあるものの、有酸素運動ではない。ゆっくりと長く時間をかけてするスポーツでなければ減量はできない。

テニスでは減量などできない。できないのに週1回、車で片道1時間かけて柏市にいくのはどうか、と。そこで吉田記念テニスは退会して、市民クラブだけにした。50代でテニスを再開して、3年目のときである。

市民クラブの早朝テニスもほどほどにしておくのならよい。だが、わたしはここでもやりすぎてしまった。けっこう毎日のようにいくこともあったし、少しばかりプレイがうまくなってきたので、連打を繰り返した。そして自分ではウォームアップ、クールダウンをしているつもりではあったけど、それが十分でなかった。そのため、左の上腕二頭筋を断絶してしまった。全治、3週間の診断だった。

ただ、そのくらいのけがであればまだましなほうであった。市民クラブの会員に聞くとそれよりはもっと深刻なけがが多いという。中には、アキレス腱断裂で全治6か月というものもある。松葉杖をついていなければならない。さらには、十字靭帯断絶というのを聞いたことがある。それを断絶すると2年間は再起できないという。また、再起してももとにもどらないという。

そんな危険を冒す必要があろうか。冬場の寒いときにウォームアップをしないでいきなりコートにはいるひとをよく見かけた。市民クラブでは、ほとんどそういうことを注意はせず、会員に任されている。また、夏場の炎天下でも高齢者がプレイをして熱中症で倒れて救急車で運ばれる。

冬場(12~3月)と夏場(7~9月)にテニスをするのかというと市民クラブのひとたちはおかまいなしにする。しかもけっこう激しい、競技指向のテニスをする。疲労回復には、わざわざマッサージ室にいく。そして接骨院にひんぱんに通いながら、翌日練習をする。

自分はそこまでするはずはないと意識しながらも、2014年には、そうなっていた。明らかなテニス中毒だった。しかもテニスでは、減量などできない。2015年の10月末に市民クラブを退会し、わたしのテニス中毒が少しづつ治まっていった。しかし、これは相当つらいものだった。

テニスは時間がかかる。プレイをしているときだけでなく、基礎となるトレーニングをする。しかもある程度トレーニングの知識や経験のある専門家から教わるのがよい。そうでないとうまくはならない。ラケット、シューズ、バックなど費用やメンテナンスも重要。そしてけがが多い。

たしかにゲーム性があり、気軽に楽しく続けられる側面を持つ。週1回、天気のより春、秋にラリーをする程度であればよかった。それはとても爽快であり、ほどほどにしておいて、練習後にシャワーをあびたときはたまらない。そしてビールがおいしい。しかし、やりすぎたために負担が増えて、やめることになった。いまもラケットをにぎるのは控えている。

そんなこともあり、大学生の読者の皆さんにはテニスをやるときには十分に注意して意識してほしい。大学生の方がテニスをするのに平均年齢60歳の市民クラブに入会することはお勧めできない。市民であるからしていろいろなひとが集まってくる。

不必要な意見の衝突や不快なことも起きる。不可解な儀式もある。それを克服してまでもやるものではないでしょう。月1,000円ならば、月1回でも十分もとはとれる。どうしてもというのであれば、入会して3年くらいは、よく会員の言動を観察し、一貫性のある行いをするかどうかを見極めたほうがいいであろう。

テニスはまだそれでもましなほうだった。ゴルフはさらに時間の浪費、そして手間がかかる。次回はそのゴルフを控えるに至った理由を書きます。

ゴルフする浪費

ゴルフは、テニスよりも控えていくのが苦痛だった。それは最初がとてもよかったこと、そして終わりが突然きたことだった。結構、最初は夢中になった。ゴルフははまりやすく中毒になりうるスポーツだった。

まず、とっかかりから。アメリカにいた30代にゴルフをはじめた。大学院の勉強が少しづつ楽になってきた2年目、そして卒業まであと半年。そのころ、大学とアパートの中間地点にパブリック・コースがあった。

そのコースは、ボビー・ジョーンズという著名人が設計したらしい。ジョージア州アトランタにあるキャンパスから数十分のところにあった。その小さなクラブハウスに立ち寄ると料金表が掲示されていた。30年前とはいえ、$300(3万3千円、Yen/$=110)とあった。これは一か月の会員費かと問い合わせた。するとそこの職員から答えが返ってきた。

いえ、この価格は年会費です。そうですか、では、1ラウンドあたりいくらかかるんですか。その職員はなにか不思議な顔つきをしてわたしを見つめた。いえ、ラウンド毎の料金は発生しません。ただし、カートの貸し出しには追加料金が発生します。$10です。

それ以外は、この価格に含まれています。一度お支払いしていただければ、年中いつでも、何回でもできます。月2750円で年間、やりたいだけできるのか。

予約は必要ですかと問い合わせた。必要ありません。午前中に終えれば、午後からもできます。早朝から午前中で2ラウンドする方もいます。2ラウンドできるのか、ほんとうなのか。それはほんとうだった。

クラブはどこで買えばいいでしょうか。Buford Highway沿いのゴルフ店を教えてくれた。なんて親切なんだろう。そこでハーフでなく、フルセットを$50(5千円程度)で買った。こんなに安いのか。その店にはPractice Rangeといってうちぱっなしが隣接してあった。1球10円かな。

$5だという。その金額でバケツにボールを盛り放題であった。いっぱい盛ると120球はあった。とりすぎてボールをもどしたこともある。

ゴルフは不思議と性に合った。気軽にアメリカ人のだれとでもゴルフをした。なんといっても芝生の緑が目に良くて、ゆっくり歩くと心地よかった。だれもいないので後ろからせかされることもない。帰宅してよく眠れた。

アメリカから帰国して日本コカ・コーラに勤務すると職員の中にはゴルファーがたくさんいた。部内でコンペがあり、近辺に何度かいった。いったのはいいが、前日から宿泊をして、宴会、早朝8:00からゴルフ、そして午後になってお風呂、また宴会、表彰式(なんの表彰かよくわからない)で日が暮れた。もちろん、翌日から出勤だった。はじめは、それほど苦にはならなかったが、これらに時間がかかりすぎることに違和感を覚えた。

40代になって商社に勤務をするとそこでもゴルフ好きなひとがいた。40代になると電車を使わず、自家用車を運転してゴルフ場にいった。朝早く出発して、夕食どきに帰宅した。ところがこの12時間くらいがとても苦痛になってきた。常に高速道路が渋滞で腰が痛くなった。近郊のゴルフ場にいっても片道3時間くらいかかっていた。4時に起きて19時に帰宅。それだけでも随分と時間を使った。

ゴルフの用具はテニスよりもさらに高額だった。加えて宿泊、交通費がかさんでいった。たしかにゲーム性があり楽しい。芝生の上をゴルフシューズで歩くのは心地が良い。アスファルトの上を歩くよりは格段に足に良い。ウォーキングとともに空気のいいところは都心から離れている。お腹が自然に空いて、食事がおいしい。

しかしなによりもゴルフ場の往復とプレイに時間がかかりすぎた。コースを回るとなると1日がかりである。とにかく苦痛になってきた。そして40代、練習中にとんでもないけがをしてしまった。そのけがは今でもなんであったのか謎である。

その謎のけがとは、日曜日の朝、子供を連れて、練習場で打ちはじめたときだった。普段と変わらなくスウィングをした。そのとき、突然バチッという音がした。なんなのかよくわからなかった。

そして1週間後、2週間後、右手の指先がみるみると膨らんできた。これは一体なんなのか。キーボードが打てなくなってきた。どこの病院にいってもなんなのかわからなかった。5つの病院を渡り歩いた後に地元の皮膚科のかかりつけ医に相談した。そこの医師の紹介で虎の門病院にいくことになった。

そこではレントゲンをとって症状を解析した。それでもよくわからない。そこで全身の血管造影を撮ることになった。それでもよくわからない。1年程度、経過を見てまったく治療方針が立たない。ついに皮膚科の副院長が手術を勧めてくれた。それは中指を部分麻酔をして、膨らんだ部分を切開手術するというものだった。

そして長い手術が終わった。術後に副院長が話してくれた。手術はここまでにしておきます。これ以上は切開はできない。できないが、なにかシャープペンの芯のようなものが異物として出てきた。心当たりはあるか。ない、そんなものが皮膚を通って指にはいるわけがない。しかし、それが炎症を引き起こしたのではないか、という。

術後、3年くらいは違和感があった。あれが治るとは考えにくかった。手術をしてくれた医師には感謝している。わたしは感謝状を送付した。虎の門病院でも周りから人目置かれているという。ラッキーだった。ただ、3年にもおよぶ症状、手術、術後の対応でかなりまいってしまった。あまりに多くのものを失った。

あれ以来、ゴルフクラブを手にすることはなかった。中学・高校6年やったバレーボールに代わったのがテニスだった。そしてアメリカでテニスに代わって覚えたのがゴルフだった。親切なひとたちと楽しくゴルフをし、結構回れるようになった。しかし、そのゴルフは、けがで終わりを告げた。あれはつらかった。

身体を動かすのが好きなので、なにか運動をする必要はあった。なにをすればいいんだろう。選んだのはランニングだった。ランニングは、これまでのボールスポーツとは違った。ゲーム性、意外性はないものの地味な効果があった。減量に役立った。時間、手間、資金面においてもよい。競技指向でやらなければ、そしてはまらなければよい。そこから食事の改良、睡眠のとり方を改善していった。

ボールスポーツはさんざんだった。次回は、その理由について一般的なまとめをして終了とします。

控える理由

これまで書いてきたことをまとめてみます。ポイントとしてはいつかはボールスポーツを控えていったほうがいいのではないかということ。のめり込みすぎると代償が大きい。場合によってはまったくやめてしまう。それはちょっと惜しい。本来の楽しみが失われてしまう。

バレーボール、テニス、ゴルフといったボールを使ったスポーツをいう。

バレーボールは、中学、高校と6年間。ほとんど毎日のように練習した。腕を擦りむいて、突き指をよくした。競技ではなく、部活であったため、スポーツ専門の指導教員はいなかった。そのため、運動生理学にもとづくこともなく、ただ同じ練習をしただけだった。週末はよく疲れ果てていた。

テニスは、50代からのめり込んでしまった。市民のテニスクラブに入会して毎日のように頻繁に早朝練習した。テニスは中毒になりうるスポーツだった。用具やシューズを渋谷や御徒町に買いに行って1日がかりになり、時間を費やした。ウォームアップ、クールダウンの不足のせいか上腕二頭筋をけがした。全治まで3週間。疲労回復、けが予防に接骨院にまでいった。

ゴルフは、けがにより突然終わりがきた。はじめは、会社関係のひとたちと楽しくやることもあった。ただ、1日がかりで車で移動。時間がかかる。高速は常に渋滞で腰が痛くなることもあった。そして指のけがをした。奇跡的にいい先生に治してもらったものの、失ったものがあまりにも大きかった。

このようなことが起きるとは限らない。むしろ少ないのかもしれない。ただ、将来ボールスポーツを職業としない大学生にとってはいずれものめり込むほどのスポーツではなかろう。はじめてから20年、40歳くらいで少しづつ控えていくほうがいいであろう。それは、時間を多大に使い、けがをする危険さにあり。そして代償が大きいこともありうるから。

これらの3種目は確かに楽しい。ゲームとしてもその意外性からも。ゲームをやれるようになるまで相当な時間、手間、お金がかかることを覚悟しないといけない。

手間のひとつとして専門的なトレーニングがある。いずれも瞬発性を競うところがあり、速筋を鍛える必要がある。そうでないといいプレイができない。そのためには、ある程度の筋力トレーニングをしなければならない。、筋肉の鍛え方として、毎日筋力練習してはいけない。1日おきに違うところを鍛えて筋力の過不足をバランスしないといけない。

そのような練習は特別なものであって、ある時からは遅筋のほうが重要になってくる。遅筋は同じような動きを長く繰り返しできる筋肉であって、インナーマッスルのトレーニングがいるともいわれる。それらは細いゴムのようなものを用いて、ゆっくりと何度も負荷をかけていって柔軟性と持久性を鍛える。

生活していくうえでもそちらのほうが外にむきでる速筋よりも遅筋のほうが重要。柔軟性を持たすには、可動域を保つために初動負荷トレーニングをとりいれる。これは、負荷の低いものでゆっくりといろいろな角度をつけてマシーントレーニングを行う。主にアスリートが試合後やシーズンオフに身体を柔らかくするために行う特別なトレーニング。千葉県にもそのような初動負荷トレーニングことを行える施設がある。

そのための知識、練習、試行錯誤は半端でない。

普段、運動をする、しないにかかわらず、生活するだけでも年2回ほどは身体をつくりなおさなければならない。夏場3か月の猛暑に備えるため、汗のかきやすい身体にする。そうしないと身体は冷えない。冷えないと疲労が蓄積する。

冬場にはさらに寒さに備えるために身体に脂肪分を蓄えておく。そうでないと免疫力が落ちる。痩せてばかりいると身体の保温機能が低下して、風邪をひきやすくなる。

夏は、スリムに、冬はややぽっちゃりと、年間3キロくらいの増減は必要でしょう。それを意識するだけでも結構大変。それをボールスポーツを通じて長い期間達成するのには限界がありましょう。ではどうするか。ランニングは推奨できる。時間がそれほどかからない。けがが少ない。

時間をかけ方、手間のなさ、そして金銭的なものからいって負担が少なく、体調管理には向いている。特別な用具を揃える必要がない。お気に入りのシューズを3足くらい、そしてウェア、パンツ、スパッツくらいで続けられる。走るところは家のまわりの5キロくらいでよい。

そんなこともあってか、2015年から3年間、定期的にランニングをした。年間800キロ、1200キロ、1000キロといった記録をつけた。減量に成功。64キロという大学時代の体重にもどった。マラソン大会に出ることはなく、家の周りと江戸川河川敷を走った。それで十分であった。

これまでのことからボールスポーツを控えていったほうがいいという結論に至ったのです。

結論

ここまで書いてきて締めくくりには何を書こうか。書くとしたら、今のことを書くのがいいかな。

今もこれまでやってきたボールスポーツをするのは控えている。控え始めてから6年が経とうとしている。そうやって控えてはいるけどいつかちょっと練習だけはしてみたい気持ちもある。競技やゲームとしてではなく。また、ムクムクと湧き上がるような欲求にかられ、身体が動きそうなときもある。

そんなときのためにもう一度、欲求を抑えるようなことを気に留めておこう。

それは何かというと、これまでやってきたボールスポーツ、つまり、バレーボール、テニス、ゴルフについてもう一度考えてみる。そうするとどうもそれらは欧米で発祥したものだろう、そして発展してきたスポーツではないか。ひょっとしたらこの東京では、いろいろな面で不向きではないのかということ。

それをいう根拠は、プレイヤーにとって外的要因と内的要因がある気がしている。外的要因としては、施設、交通手段、用具、人員、そして天候があげられる。内的要因としては、体格、食事、筋肉のつき方があろう。ひとつづつ分解してみる。

バレーボールは、体育館でするスポーツであること。いまは比較的体育館を併設している学校も多くなってきた。年中できる、全天候ではある。そうはいうものの、夏は暑い、冬は寒いといった環境面での整備はまだできていないのではないか。人員としては、スポーツ科学を習得してきたひとがまだ少ないだろう。

テニスは、基本的には屋外でするものだ。しかしながら、テニスをやるのに適した気候は、5、6月、そして10,11月くらいであろう。5月は紫外線が強い。ラケット、シューズがそれぞれ3万円、一側1万円以上と高価なものが多い。よいクラブがない。

ゴルフ場は、関東圏に少ない。そのため、車を長い時間運転してコースまでいかなければならない。用具も高く、プレイフィーもまだ高いであろう。経済的なスポーツとはいえない。

内的要因としては、どれをとっても上半身が丈夫で、つまり、肩が強く、うでっぷしが強いプレイヤーにとって有利なスポーツといえよう。よく欧米の選手がうでひとつでボールをひろい、打ち返すようなプレイがある。身長でない日本人にとっては、遠心力がつかない。上半身をうまくつかってプレイするスポーツであろう。

食事は、欧米のような肉中心、つまり、牛肉をたくさん食べるような習慣がない。野菜、魚をたくさんとりいれる日本食中心。そうなると速筋はそれほど発達しない。そのため、瞬発性、機動性は劣る。

ある程度のプレイはできるであろう。ただ、一定のレベルまできたときには、そのレベルを維持するのに時間がかかり、手間もかかる。楽しむだけならいいが、メンテナンスも必要だろう。そこが整備されていない。けがも多い。

ずいぶんと反省をしたけど、ボールスポーツのも最低限にしておけばいいところもあろう。バレーボールを使ったウォームアップ、テニスの乱打、そしてゴルフのうちぱなっしや芝生を歩く行為はときどきやるくらいならかまわないであろう。不必要にゲームや試合にでたりしなければ。それにしてもボールスポーツとの付き合い方は難しい。

それでもバレー、テニス、ゴルフくらいでまだよかったのかもしれない。アメリカにはこれらよりもさらに中毒性、依存性の高いスポーツがある。そのスポーツによって時間を浪費し、けがを誘発することがあろう。

それらは、プロスポーツとしてよく知られている。4月からの野球、9月からのアメフト、そして11月からのバスケットボール。どれも魅力的だがほどほどにしておいてほうがいいだろう。

それよりははるかに簡単なランニングをして体重を維持する。ストレッチをして身体を柔らかくしておく。