家族というもの

60年以上も前に生を受けた。生まれたところは愛知県豊田市。人口400人の小さな部落のようなところだった。そこには川が流れいて魚釣りをよくした。楽しみといえば川で遊ぶことくらいだった。

小学校4年生くらいだったと記憶している。初めてテレビというものが家の中に置かれた。ブラウン管から映し出される歌謡番組に浸り、土曜日の夜8時だけはドリフターズの全員集合というお笑い番組を見た。

もうそんな豊田市に帰ることもない。40年くらい前に東京に来てからすっかり住み着いてしまった。

この文章ではわたしがこれまで過ごしてきた中で家族というものがどういうものであり、家族をどういった理解をしているのかを書いてみます。

最初にお断りします。この文章には普遍性はないということです。どこのだれにでもあてはまるものではない。ひとりのエピソードから導き出された考えであってすべての地域の人にあてはまらない。たとえ同じような境遇で東京にきていたとしても普遍的な事としてとらえないようにしてください。

再現性はありません。わたしひとりの身に起きたことから導いた答えであってこれを読者にあてはめてみても同じことになるわけでもありません。ですので読者である大学生の皆さんは必ずしも同じ境遇ではない。

しかしながらこういった家族に対する考えがあっても不思議ではないということもいえます。それは読者の解釈次第であって同意いただいても、いただかなくても構わない。

家族というものを3つの視点から考えています。まず自分の生まれた家庭のこと。そして兄弟のこと。さらには自分で作った家族のことです。どこに中心をおくか。それによって仕事やプライベートに少しづつ変化が起きます。またその逆もいえましょう。


親からは離れる


まず最初に自分の生まれた家庭のことです。結論からするとどのような家庭に生まれようともいずれは親から離れるというものです。離れたほうがよい。わたしはたった400人の小さな町に生まれた。家には母がいて生活はいっしょでした。父は家業で忙しくほとんど家にいない。帰ってくるのはお正月とお盆くらいでそれ以外の時は家の中にいない。一体、どこにいるんだろうという思いでした。しかし母がいてくれることでなにかしらの家族観はあった。

どちらかというと学校の友達といっしょに外で遊んでいた時間が長かった。中学校まではそういった外で遊びながら学校の授業をうける。単調な毎日でした。しかし高校がクルマで1時間もかけていかないとないというところでしたのでやがてその町を離れることになった。

自分がうまれた家庭からは離れて高校から大学に進学をした。しかし名古屋市には自分のやりたい仕事がなかった。そのため東京で就職活動をすることなります。なかなか仕事が見つからない。しかし運よく見つかった。見つかったものの来る日も来る日も一人暮らしの中で東京で仕事をするのは簡単ではない。そんなときにひとりの女性に会うことができました。

15年ほど家庭からは離れていたこともあり自分の家族をつくりたいというのは念願でした。結婚したのが28歳のとき。そして小さなアパートで一人暮らしをしていたところから、ファミリーというのを実現できる環境へと移っていきます。いろいろな形があるのですけれどもこのファミリーというのは生活の基盤であり、健康、お金、そして結びつきという人として幸せになるための土台です。

ですのでわたしは若い読者の人たちには結婚をすることを勧めます。どんなに親のことが好きでも頼りになっていたとしても親からは離れる。そのほうがいいと思っています。というのは親もやがては年老いていくからです。そのときになにかと同じ空間を共にするパートナーがいたほうがいい。それがひとつの大きな安心感、安定感をもたらします。親ではない方がいいといえます。

兄弟はそれぞれ


わたしは三人兄弟の末っ子。上にいる兄は15歳も離れておりつねに力では優位でした。身体がいつも大きい。わたしが身長で兄より大きくなったのは高校のときです。もうひとり上にいる姉は10歳離れている。あまりいっしょにいたことはありませんでした。たまに実家に帰ってくるとこういう姉がいるんだなということくらいでした。

いっしょにいたこともあり、いっしょに出かけたこともあり。それでもやがて兄は結婚し家庭を持った。奥さんとの間に3人の子供が生まれ、それぞれも結婚をして家庭を持っている。そのことが姉の家庭にもいえます。旦那さんとの間に2人の子供が生まれ、それぞれ結婚をして家庭を持ち始めた。するとやがて兄弟3人でいることはなくなります。

それぞれの家庭、家族のことが中心になって兄弟のことは忘れる。仕事もいっしょにはしていない。趣味も違う。最近ではお盆やお正月でさえ、いっしょに過ごさないようになりました。兄弟同士の結びつきは次第に薄れていく。それはそれぞれが家族を持ち始めたことによります。そのことからたとえ小さい時は兄弟で遊んだとしてもやがては家族をもち、それぞれの家庭に目が向いていくようなります。連絡さえとらなくなる。

兄弟はそれぞれの道を歩み始めます。

ファミリー・ファースト


さて親から離れる。兄弟もそれぞれの道を歩む。すると自分の家族のことが中心にならざるを得ない。それは当たり前のことであり、最も理にかなった生活スタイルになります。つまり結婚をして自分の家族を築く。これが安定基盤であり、人として生きていくための条件にもなりましょう。

さてそれがなかなかできにくくなってきたというのが東京です。40歳を超えて独身である男性が3人にひとりともいわれています。女性の場合は4人にひとりともいわれています。このことから何がいえるでしょうか。

まず男性ですが40歳を過ぎて独身でいると健康的な生活はできません。一人暮らしをしている場合だと生活の基盤が家族にないために生活全般のこと、つまり家事をすべて自分でしなければならない。これは東京で生活をしていくうえでは大変な負担になってしまいます。それが長いと健康面で支障が出てきます。

次にお金です。お金が少ないから結婚を控える。そういう理由もあることでしょう。しかしながらひとりでいることは生活に必要な道具や環境をすべて自分で揃えなければならずかえって高くつきます。パートナーと生活空間を共にすることで同じものを共有する。それだけでもコストをかなり抑えることができます。結局はひとりのほうが高くつきます。

そしてこれがなによりも大切なことです。ちょっとしたことがなんでも相談できるということです。たわいもない世間話でもいいでしょう。近所の変わったことですとかブームになっていることでもいい。また会社での出来事や趣味の集まりで変わった人の話をするのもいい。ちょっとした悩みといったことが相談できる。これがなによりも自分の生まれた家族でなく、兄弟でもなくできるところがいいでしょう。それには常に話をしておくこと。

そういった環境にいることが助かります。

時には喧嘩をすることもあるでしょう。お互いのことが嫌いになったり誤解を生むようなこともあります。これがどうしてもがまんできないということも出てくる。ただそれはがまんすればいいことであって、それをはるかに上回ることが期待ができるのが自分で築いた家族です。

まとめ


15歳で親から離れました。それから13年後結婚をしました。それはある意味において兄弟から離れたともいえます。結婚してから自分の家庭のほうに目が向くようになり親や兄弟のことには関心が向かなくなったことを覚えています。たまには身近な話題として話は聞いたのですが、仕事は違う、趣味は違う。となるとそこから他人のようになってしまい関心が向かなくなるのです。

すると自分の家庭の方にはどうしても目をむかざるを得ない。健康に留意しながらお金を稼いでくる。そのお金で家族を養い住んでいるところにずっといるわけです。パートナーと子供がいてお互いに健康のこと。それぞれのお金のこと。そしてどんなことが好きか、嫌いかといったことを知っている空間があるわけで優先的なところになっていく。

離れ、それぞれになり、そして自分の家族を築く。東京では普遍的ではないかもしれません。読者にとっては再現性がないかもしれません。しかし、60年以上の時を経てやはりこういった家族というものの付き合い方、あり方が自分には一番合っていたというふうに振り返ります。

わたしにとっても家族とはこういうものでした。