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静かな退職を支持する理由

いまから約20年前わたしは失意の中にいた。これこそはとつかんだ仕事のチャンス。それがITバブルがはじけどこかにいってしまった。その仕事はわたしのスキルにぴったり合っていた。サプライチェーン・マネジメントのソリューションを売るインド系のベンチャー企業だった。加えて仕事仲間はわたしと同じような経歴でやる気満々だった。大学院卒の経歴者が9割という異常に高学歴の職場だった。高給でやりがいもあった。

なのに2002年9月180人のうち4割近くがリストラされた。わたしもリストラ対象のひとり。頭を抱えてしまった。マンションは買ったばかりでローンが2600万円以上あった。新しい職場の受け皿がありどういうわけか財閥系の総合商社というのを勧められた。それは晴海にあるIT子会社だった。

1年過ごした後商社の方に出向を命ぜられた。都内のど真ん中にあるオフィスに移動した。いくつか部署を移動して事業投資先(子会社)を管理する仕事をすることになった。事業投資先管理というのは商社の出資でたちあげたスタートアップを管理する部署のことだった。そこでやや不可解な光景を目にした。

部門の長を後ろからちらちら見ると左の手のひらをあごの下についてパソコンを眺めていた。そして右手でなにやらゆっくりとマウスを動かしている。どうやらYouTubeをながめているようだった。日中そればかりでほとんど動きがない。会話もかわさない。会議すら主催しなかった。

あれかれ20年経過しTikTokで瞬くままに「静かな引退」が話題になり広がった。これは英語ではQuiet quittingといって仕事で決められたことだけをする職員のことをいう。一歩踏み込んで新しいことをしないワークスタイル。

そこであるオンライン会議で質問してみた。静かな引退を支持しますか。そこは4人のシニアのひとがいて意見は二つに割れた。この文章ではわたしの意見としてZ世代の人が静かな引退をすることについて書きます。どちらかというと静かな引退をすることに賛成です。その理由をいくつか書きましょう。

まずその昔窓際族というのがあった。主にシニアの人たちで職場に来てもやりがいがなく窓際にいて目立たず一日を過ごす。机で新聞を広げて読むだけで過ごし9時から5時まで。そうやっていてもリストラはされず引退をしてそこそこの年金をもらう。

Z世代からすればそういった窓際族を放っておいて新卒のわたしたちが一生懸命仕事を覚えて働く。それはどういうことなのか。そういった疑問があるだろう。最もだ。ずっと新聞を読んでいるだけで給料をもらえていたのではないか。であればわれわれもそういった態度で仕事を続けていいのではないか。別に解雇されるわけでもない。給料は入る。

窓際族や働かないおじさんを放っておく。一方でZ世代にだけ仕事をさせるのは間違っているのではないか。都合のいいことをいわないでほしい。われわれだけにつらく当たるなという言い分。的を得ている。

つぎに一生懸命仕事をして燃え尽き症候群になったらどうするかという問題がある。コロナ過であり普段よりもストレスが高い。そういう環境にあって労働生産性は下がっている。普段よりも通勤のストレスは減ったもののコンピューターを使ってZOOM会議をする。1割くらいはコンピューターを使っている時間が増えたという報告がある。

そうなるとコンピューターによるストレス。テクノストレスが高まる。燃え尽きが懸念される。一度燃え尽きてしまうとなかなか立ち直れない。数年あるいは数十年かかる。メンタル的にきつい。場合によっては仕事が手につかず失職してしまう。失職すればお金が入ってこない。生活に困る。病気にはなれないというものです。これも最もな意見であろう。

そしてコロナ過とウクライナ情勢で企業としては大きな投資をしようとしない状況が続く。上場企業の内部保有高は600兆円を超えておりGDP540兆円を上回った。いたずらに投資をして損を計上したらつぶれてしまうかもしれない。守りの経営をせざるをえない。そんなことを考えている企業が多い。

しかもコロナ過で倒産件数が増えると人々はさらに貯蓄を増やす傾向にあります。インフレにより物価高が押し寄せると人は貯えをするようになります。一般家庭の貯蓄高は全体で2千兆円を超えた。つまり多くのひとが将来の危機に備えている。貯蓄は大事だ。

企業による投資は増えず一般家庭も消費をしない状況です。これはだれでも理解できる。リスク回避を反映している。出口が見えない。それによって人材投資も控える。この状況でガンガン仕事をするのはどうなのか。しないであろう。するというのは相当変わっている。

静かなる退職というのはやむを得ないのではないか。会社からとがめられなければ仕事をするふりをしてのんびりオフィスで過ごす。それでもいいでしょう。この写真に写っているひとのように過ごす。

出典 The conversation

20年前外資系企業から日本企業に移ったばかりのことだった。そのとき部門長が朝から晩まで動画を見ているのに違和感があった。それでも結構いい給料がもらえるんだ。今日から振り返るとそれはそれで先を見越したワークスタイルだったのだろう。日中動画を見ていても1年以上だれも指摘しない。今頃あの人は無事に引退をしてゴルフをしているだろう。

オフィスでバレなければ静かな退職をしてのんびりと過ごす。だらだらと過ごす。はたして65歳までの43年間そうやって過ごせるかどうかはわからない。けど会社がなにもいわなければいいであろう。