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欧米からの動物実験抑制圧力にどう反応するか

コロナが始まって3年が過ぎた。始まった頃は家にいるしかなくわたしにとってはストレスのたまる日々だった。しばらくすると規制が次第に緩和されて外に出かけられる。近くにあるショッピングモールにいった。車で1時間以内にいけるところがいくつかある。北には越谷レイクタウン。北東にはららぽーと柏の葉。南側には幕張イオンモール。中でも浦安にあるイクスピアリにはよくいった。

気分転換にはショッピングモールしかなかった。ところが頻繫にいくようになると慣れてしまいどこか他のところで他のことをしたい。ウィンドウ・ショッピングでは飽き足りない。そこでスポーツ観戦をするようになった。なるべく外でゲームをしているところがよい。そこで見つけたのが野球かアメフトだった。アメフトは外で試合が行われる。よくいったのが神奈川県川崎市にある富士通スタジアムだった。

周辺も散歩するようになり川崎というところが身近になってきた。川崎大師もある。いいところではないか。

あるオンラインイベントで動物実験について話をした。川崎市に動物実験をするところがある。CIEA(公益財団法人 実験動物中央研究所)といって財団が資金を提供して難病の薬を開発しているという。難病の中でもアルツハイマー型認知症を治癒する薬を開発している。

そこでは実験用のネズミだけでなく猿が使われている。人工的に猿を誕生させるようなこともしている。マーモセットもそのひとつ。このような実験に対してどういう意見を持っているか。

わたしは短時間であるもののイベントに参加してきた人たちに耳を傾けた。5人の構成はシニア3名、うち女性2名。比較的年齢の若い女性1名だった。どんな反応をするのだろうか。

あるひとはいった。この実験が行われていることに賛成する。過去において薬の開発には人間ですら使われていた。ここでは人間は使われていない。より治療効果の高い薬の開発には人間に近い猿を使うこと。それに違和感はない。アルツハイマー型認知症が治療できるというのならばそれでいいのではないか。それが医学の進歩といえる。川崎で世界最先端の研究がされているのだ。資金を投入するのは間違いではない。

別のひとが加わった。シニアの男性だった。わたしは実験には反対だ。違和感を覚える。猿を使わなくてもいいだろう。マウスではだめなのだろうか。猿を使うということは実験により苦しむ。そして多くの猿が死ぬ。そのようなことが許可されていることに驚く。

そこでわたしは口をはさんだ。欧米特にドイツやアメリカ。その中でもボストン、ニューヨーク、サンフランシスコといったリベラルなところでは動物愛護者が多い。動物からでさえも合意をとらなければいけないと考えている人たちもいる。猿からの合意なく実験に使ってはならない。(猿とコミュニケーションできるのだろうか)

別の人が加わった。人というものには寿命というものがある。それは運命であろう。その命に関わることがそれほど議論がされてこなかった。議論されてきたかもしれないが人々が関心を持っていなかったのかもしれない。それに税金やなんらかの資金が使われている。またこういった実験施設があることすら最近まで隠されていたのではないか。

若い女性はいった。たしかに運命というものはある。人間は寿命が延びていて100歳以上まで生きる人がいる。(その数は全国で8万人を超えるという)そこまで生きる必要があるのだろうか。わたしは若いけどその年齢まで生きることもないだろうと思う。

そこでわたしが反応した。だれにでも運命はあることは確かであろう。しかしこの実験施設では人間が猿の運命を決めている。しかも人工的につくりだして実験をして命を絶っている。これはどうなのか。そのようなパワーを人間が持っているのだろうか。そしていつまでもアルツハイマー型認知症に向けての特効薬の開発は成功していない。この実験に何年間どれだけの費用がかけられたのか。今後どのくらいかけられるのか。

ここでイベントは終了した。

わたしは千葉県東葛区から川崎市までドライブするのがとても楽しみだった。ときどき首都高を使い川崎までいって帰ってくる。湾岸道路は片側3車線で広々としている。トライブは最高だった。ただちょっとしたことから川崎市にある動物実験施設のことを知ってしまった。

欧米とくにドイツでは実験が禁止され動物愛護団体の圧力が増しているという。それでドイツの科学者が中国や日本に実験ラボを移した。研究者自身も研究のためにドイツを離れたという。ニューヨークやサンフランシスコでは実験用に使う猿の輸入を中国から減らしている。そのため猿を使うのではなく実験にはコンピューターを使ったシミュレーションで代替しているという。

マウスは人間に近い生物ではないため研究の正確性は劣る。薬物は確かな再現性をもって効果が一定でなかればいけない。

さてドライブをしながらこんなことを考えることもあるまい。しかしニューヨークやサンフランシスコといったリベラルなアメリカ人からの疑問にどう霞が関の役人たちは反応するのだろうか。猿を使わなくてもいいのではないか。中国で行われている実験を支持するのか。お金儲けのために猿を実験代にするというのはどうなのか。こういった圧力がある。

大学生の読者の方はどうだろうか。賛成か反対か。実験はいまも行われている。しかも財団による資金提供がある。病気は治るのだろうか。

わたしは動物愛護推進派ではない。というのはこのようなことがエスカレートすれば人間同士が不必要な争いを起こす。実際に動物愛護団体やそれを装う組織が破壊行為をしかけている。千葉県館山市にある漁港。そこに捕鯨組合がある。非営利団体として捕鯨をしてきた人たちが集まるところだった。そこのホームページがサイバー攻撃の被害にあいサイトがダウンしてしまった。

愛護のためにそこまではしなくてもいいだろう。推進をどうするか。考えればわかるのではないか。政府がどのような姿勢を表明しているのか。このような疑問に対して政府が先延ばしにしたり施設そのものを隠していたのではないか。欧米の一部の人たちからの疑いが増すだろう。