見出し画像

英語をしゃべるための心構え

半世紀近く前のことである。わたしは高校三年生で昔でいうところの理系に属していた。理系というのは数学や理科を中心に勉強する。開けても暮れても受験勉強。そしてほとんど毎日が嫌で嫌でたまらなかった。こんな勉強をして何になるんだろう。ほんとうにどこに合格するのだろうか。途方に暮れていた。

天気にいいある日曜日の昼下がりのこと。これまで部活でやってきたバレーボールもやめて受験に集中。運動をやめた途端に集中ができなくなった。ぶらぶらとしてテレビをぼーっと見ていた。そこでたまたま見たのがNHKの英会話上級だった。そこで見た光景は忘れられなかった。

外国人の男性に対して日本人の若い女性がすらすらと英語でしゃべっている。なんの不自由もなくコミュニケーションをしていた。こんなことって見たことがない。日本人が不自由なく英語で会話することができるのだろうか。わたしは映像を疑った。

あれから50年近くが経過した。いまでも日本人の中で英語を勉強する人はたくさんいる。しかし長い年月が経過しても相変わらず英語を喋れる人はとても少ない。実際には多いのだけどしゃべれると思っている人が多い。日本人の中には英語でしゃべれるし、しゃべりたい人が多いのも事実だ。

わたしが4月から通い始めた生涯学習講座。自宅の近くの大学で開講されている。そこではアメリカ人の講師による英語の授業が行われている。

そこでは前の週に決められたテーマに沿って授業に参加してくる。9人参加してきて、皆60歳以上の年金生活者である。中には80歳近い人がいる。皆、しゃべることができる。10分程度英語でスピーチをする。

対照的に若い人でじゃべりたいのになかなかしゃべれないという。では、どのような心構えであれば英語がしゃべれるようになるのか。ちょっとだけに気づくとうまくいくかもしれない。そんな文章を書いてみます。

まず英語というのは日本語とは違うということを理解しておこう。当たり前である。英語は極めてロジカルに組み立てられる言語であること。ロジック、つまり論理であること。日本語は対照的に感情や感性によって感じる言語であってロジカルではない。

英語では脳内で結論を出しておかないといけない。そうでないと英語はしゃべれない。結論というのはほとんどの場合、賛成か反対かというものである。ここで最初から日本人がつまづきやすい。どういうことがというと反対意見をいうというものである。異議を唱えるというのを日本人はしたがらない。もじもじとしている同族民族であり、同調を基本とするためである。

異議を唱えると敵のように誤解され、それを恐れる。そうなると英語をしゃべることが恐怖になりしゃべれなくなる。ロジカルな言語をしゃべることが苦手になってしまう。

感じる言語ではないこと。その次に英語というのは主張をする言語であるということを気に留めておいた方がいい。自分の意見をずばりいうことを問われる。もぞもぞとはしゃべらず、切り口が鋭い言語だ。それは一種の攻撃性であって、攻撃的でないと英語はしゃべることができなくなる。たしかに聞いて理解するのは重要であろう。これはどんな言語においてもディフォルトとしてコミュニケーションの第一要件にあげられる。

しかしながら一旦、状況設定ができたのならば意見をいう。異議を唱えるようにした方がよい。それはなにかしら腹が立つことでもいいだろう。なにかしらあるはずであろう。

そこでむやみに腹をたてていると近くの人から感情的と揶揄される。しかしながらそこで屈することなく攻撃的に会話を展開することがよい。その方がアメリカ人には好まれる。アメリカ人にとってはなにを考えているかわからない日本人ほど不気味なものはない。

しゃべらない日本人のことをアメリカ人はずるいとさえ勘違いしている。いずれ日本人はまたあの真珠湾攻撃をするはずだ。奇襲をかけるに違いないと誤解されている。そこで論理的に組み立てて意見を強く主張する。これが心構えでないと英語はしゃべれない。日本人にはそこそこしゃべれるけど、アメリカ人にはレッドゾーンまで踏み込んでしゃべらないと理解してもらえない。

主張をする言語であること。攻撃的なために気分を害する言語であることを心得ておこう。しかしアメリカ人にはそのほうが好まれる。こいつは一体何なんだということがわかってもらえないといけない。

そして3つめは日本語のようにあいまいではないということ。あいまいさを残さない言語であること。一を聞いて十を知るというような都合のいい解釈をする言語ではないのだ。細かく描写をしないと英語をしゃべる人が理解できない。あいまいさを残すと誤解されたままになってしまう。

なので英語は語数をたくさんそろえて流れをつくって理屈っぽくしゃべらないと相手が理解できない。そのような言語だと心得ておいていいだろう。

SNS上で開催されている学習系のイベントがある。いくつか参加したもののいずれもよくない。無料ということで誘惑にかられるかもしれない。しかし必ず不快なことが発生する。そのため学習が中断してしまい続かなくなってしまう。やめとこう。

また、格安英会話というものネット上で見つけて申し込むことができる。これもやめておこう。会話の相手になる外国人はほとんどやる気がない。ネット上で会話ができるものでもそれなりの名の通ったものを選んでやったほうがいいだろう。長く続けるにはそれなりに時間が必要であるし、お金も必要である。ケチってはいけない。30万くらいはかかる。

50年前に比べたらわたしもしゃべれるようにはなった。あのNHKの番組では驚きと感動だけであった。いまのように英語をしゃべるということが途方もない長い道のりであったことは認めよう。

その過程において遠慮もしないようになった。データを使って論理的に話す。強く主張をする。そしてあいまいさを残さないようにたくさんしゃべる。そのようにしてきた。日本人に嫌われやすくなったことも事実である。

アメリカの大学を卒業をして、さらにアメリカでMBAまでとった。まわりにいる人たちは口から生まれた来たような人たちだった。とにかくクラスでは騒がしい。授業後も騒がしかった。ところがこれは日本人が独特に感じるものであって、アメリカ人にとっては普通。授業が静かであるとそれは不気味であるという。

これがしゃべりたいひとにとって心構え(マインドセット)である。これで英語をしゃべれるようになるかもしれない。とにかくしゃべることだろう。

参考になりますように。