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SVB破綻から推察する銀行で働くということ

40年前にアメリカから帰国して仕事を探していた。とくにあてもあるわけではなくかったぱしから電話をかけて面接をとりつけた。なかなかうまくいかない。いかないけど面接でちょっと思い出深いところもある。それは浜松町駅に直結する東芝。そこの最上階に面接に行くとオレンジジュースが置いてあった。どうぞということでおいしくいただいた。その後東芝にいくことはなかった。これはいまからすればよかったのかもしれない。

職探しは難航した。気晴らしに飯田橋にあるユースホステルに泊まった。夕食後にいろいろな国から来る宿泊者が集まる会があった。その中で面白い方がいてこんなことを話してくれた。留学経験があるのなら外資系で働いたらどうか。その方はずっと外資系で働いていて仕事を紹介してくれる斡旋業者を紹介してくれた。赤坂にあるケンブリッジ・リサーチということころだった。そこからスイス銀行を紹介してもらった。

わたしはスイス銀行ってどんなところかよくわかっていなかった。なんども交渉をして職を得た。そして泥沼の中を這うような銀行員になった。それは1987年11月にバブル経済がはじけたからだった。わたしは7年という短い銀行員生活を終えた。二度と銀行では働かない。そう誓ってアメリカのビジネススクールに留学した。キャリア・チェンジにはこの方法しかなかった。ただあとから振り返るとわたしはほんとうは金融が好きだったのではないか。お金のことにはよく頭が回るからだ。

あるオンラインイベントでシリコンバレー銀行(SVB)破綻を話題にする。2週間ほど前になる3月9日には一日だけで約5.5兆円の預金が引き上げられた。それにつられて銀行株は3月だけで17%減の30兆円下落をしたという。これは金融の負の連鎖によるものであろう。

連邦準備銀行が利上げを継続した。それにより銀行が保有する国債の価格が下落。これは市場メカニズム上致し方ない。そうすると銀行の資産が目減りをしてバランスシート(貸借対照表)の資産が減る。そうすれば負債側の価値も下がる。投資家はそれに反応して価値の下がった銀行株を売り始める。そうすると次々に売りが先行して株価が下落する。それを見た預金者が何かがおかしいと気づいて預金を安全な銀行へ移す。この預金の引き払いが急激に起きて銀行はこの連鎖に対応できず破綻宣言をする。

国債の価値が下がり預金が底をつけば銀行は事業を継続できない。銀行というのは国債から得られる利息収入と貸付と預金の金利差でお金儲けをする。それができなくなるということだろう。

さてこれは日本で働く銀行員にとってどんなことを示唆しているのか。また大学生の中で銀行で働きたいと希望している人にどのような意味があろうか。ひとつは銀行で働くことはそれほど簡単でなく安定していないということ。次に銀行の中でも地方銀行ではそれほど給料はもらえずしかも結構退職する人が多いということ。そして一度銀行員になるとなかなか別の職種には変えられないことを覚悟すること。これら3つの視点で文章を書いてみます。

まず銀行で働くときに理解したいこと。それは金融というのはそれほど簡単には理解できない。会社に入ってからもかなり学ばないといけない。毎日、日経新聞を読み、日経金融新聞に目を通して金融特に市場で何が起きているかを理解しないと仕事にならない。そして最低でも理解するのに3年はかかるということでしょう。そうすると25歳になります。そして仕事が安定しているかというとそうでもありません。

ひと昔は融資部とかいって比較的のんきにやっていたこともありましょう。しかし融資しているだけではそれほどもうからないことはすぐにわかるでしょう。それは安全で確実に成長するような事業に融資する、すなわち貸付をできれば問題はありません。銀行はあらゆる規模のビジネスに貸し付けをしていってかつ住宅ローンを組むことの利ザヤで稼ぐのです。

ところがそれほど自由に無鉄砲に貸し付けができる時代ではない。しかも財務省がちゃんと銀行法に沿って事業をしているかどうか厳しく目を光らせているのです。それはもし破綻してしまえば預金者がお金を引き出せない。そうなったら国庫から救済するしかない。つまり税金を使うということです。そんなことはできないし国民が許すわけはありません。そのため大元締めの日本銀行が各銀行に一定の額の預金をもたせておりバランスシートの管理までしているわけです。そのためそれほど自由に事業ができない。ある意味がんじがらめです。

そうなると規模の小さい銀行はそれほど儲からなくなってきています。特に地方銀行。地方ではビジネスの規模が大きくなく大型のローンを長期に組むことは稀です。預金者もそれほどいるわけでもなく住宅ローンも少ない。そうなると経営が難しい。地方銀行で働くひとたちもいます。ところがある話ですと地方銀行に就職をした新卒のうち半分は5年以内に退職してしまうということです。それは給料がそれほど高くないという理由だそうです。30歳で5百万円。それでは生活していけません。

さて銀行で働いて30歳になったとしましょう。8年の職務経験があります。ただほかに就職するといってもなかなか仕事が見つからないという事情がありそうです。これは銀行というのは転職を前提に働くところではないということがいえましょう。職種でいえば財務をすることになります。ただメーカーの財務といってもいきなり銀行員の人を雇うということにはならないでしょう。

わたしはバブルがはじけたときにいろいろ仕事探しをしました。しかしメーカーに面接できたことはまったくありませんでした。なので一発勝負でアメリカのビジネススクールにいくしかなかったのです。

働き始めてからの7年間は泥沼の中を這うような生活でした。はじめの3年間はなにがなんやらよくわからず。なにがわからないのかわからない。ちょっと慣れたといったところでバブル崩壊。崩壊後に仕事探しをしても見つからず。銀行以外の所は相手にしてくれません。銀行で働くということはずっと銀行で働くということでしょう。

シリコンバレー銀行破綻。そこで働いていた人はどこに再就職するのでしょうか。利上げの影響は連鎖しており米国ではどこかが雇ってくれるということもあろうはずがありません。

帰国して職探し中、おいしく飲んだオレンジジュース。あれだけは美味しかった。スイス銀行の上司がこんなふうに日本人をからかっていました。どうして日本のビジネスマンはオレンジジュースの入ったグラスにストローを指して飲むんだろう。しかもほっぺのくぼみをつくって飲んでいる。あれでは小さな子供がストローで飲むようだ。スイスではそんな大人はいないよ。

あの上司のことがなぜか気に入っていた。彼の指摘どおりいまでもオレンジジュースはストローを使って飲まない。そうやってグラスに直接口をつけながらこうも考える。銀行員はオレンジジュースをストローなしで飲む。

でもやっぱりわたしは金融のことが好きだったのではなかったか。いまでも金融のことは本で学んでいる。バブル崩壊がなければいまでも都内のどこかにいた。仕事を抜け出してよくいった日比谷図書館。オレンジジュースを飲みながら金融のことを考えているだろう。