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趙紫陽「レーニンの独裁理論を批判する」1995年5月1日

宗鳳鳴『趙紫陽軟禁中的談話』開放出版社2007, 161-164

1995年5月1日
1. レーニンの領袖独裁(専制)理論批判
 趙紫陽は最初私(宗鳳鳴)と次の問題を話した。レーニンの建党原則によると、党は人民を代表している。しかしわが国の実践の中で一部の党組織責任者は、自分がすなわち党を代表しているとしたいために、自分に反対することは反「党」であり反「人民」だとした。趙紫陽はこうした意識形態と市場経済は相いれないと明確に述べた。
 私(宗鳳鳴)は、ここで趙紫陽はまた重大な課題を提起したと理解する。すなわち意識形態の更新問題(意識を改める問題)であり、改革を進める必要である。
 私は言った、過去社会において、また党内にこのようなある慣例が創られている。無論党内、党外ともにあえて指導者にあえて意見を提起しない。とくに各クラスの党の指導者の欠点や誤りをあえて実事求是をしない、公開批評や監督についてはいうまでもない。人々は党を攻撃し社会主義を攻撃したとする帽子を被せられることを恐れている。ただ賛成し、あえて話さない。(中略)
 趙紫陽は又言った。この種の情景は革命戦争の時期には避けがたいことだ、時には許される。しかし今日はそうあるべきではない。この種の意識形態の源は、あるいは淵源は無産階級度独裁(専制)の学説にある。マルクスは無産階級独裁の観点を提起したが、この「指導者こそ党だ」という学説はレーニンが創ったもので、マルクスではない。レーニンは第二国際共産党の提起に答えた中で、党独裁あるいは階級独裁は、指導者独裁(指導者の党)あるいは群衆独裁と同じかという問題に答えた時に(述べている)。両者を対立させることはできないと。群衆は階級に区分される。階級は通常は政党により指導される。政党は通常は最も威信、影響力、経験があり、選出され重要な職務を担任する指導者たちが組織する安定した集団により運営されう。言うまでもなく(不言而喻)すなわち、無産階級は無産階級の覚悟ある先鋒隊である共産党に指導される。そして共産党はまた最も知識、知恵、威信のある指導集団と指導者により指導されている。それが発展して、私こそ党である、 私は人民を代表しており、私は社会主義を代表しているとなった。私に反対することは反党であり、反人民、反社会主義である。こうして主要指導者と領袖は個人独裁(専制)に走った。趙紫陽は明確に言った。無産階級独裁(専制)、この理論を放棄しなければ、民主政治,法治建設は実現がむつかしい。


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