魯迅《一件小事》1920/07
これは経験談のように思える。執筆は1919年11月と推定されている。魯迅《呐喊》北京燕山出版社2013年pp.31-33 (なお写真は白山神社のアジサイ。2020年5月29日撮影)。
乗り合わせた人力車の車夫の話。それは民国六年(1917年)の冬のこと。車夫と白髪で衣服もボロボロの老婦人がぶつかって、老婦人は倒れてしまう。魯迅はたいしたことではないと思い、それを口にしてしまうのだが、車夫は、老婦人を助け起こしてケガをしたといわれて、婦人を伴って交番の警官に「事故」を届け出るに及んだ。魯迅は、車夫の判断と行動が自身にまさっていることに気が付き、自分の人間としての小ささを反省する。自分の中に車夫や身分の低そうな老婦人への軽侮があったことにも気が付く。さて以来、数年間の時間が経っている。いろいろなことが記憶から消えるなか、この小事が魯迅の中で、自身への反省と、希望そして勇気として膨らんで止まないと文章を閉じている。
這是到了現在。還是時時記起。(中略)獨有這一件事,卻總是浮在我眼前,有時反更分明,教我慚愧,催我自新,并且增長我的勇氣和希望。
この散文だが、文章の中では交番に老婦人を連れて行ったとあるだけである。交番に行ったのだから「事故」として届けたのであろうというのは、私の解釈である。事故として届けることで車夫は、不利なことがあるのかもしれない。それでも交番に届けて、車夫は警官に判断を仰いだのではないだろうか。車夫と老婦人がその後どうなったかは書かれていない。散文では、警官が魯迅のもとに現れて、車夫はもう車を引けなくなりましたと報告している。この話の結末だが、車夫は老婦人を自宅まで送り届けたのかもしれない。あるいは「事故」なので、始末書になったのかもしれない。短い話だが、いろいろなことを想像させる。1920年7月の日付けが入っている。
この魯迅(ルー・シュン 1881-1936)の話しから14年後の1934年6月。巴金(バー・チン 1904-2005)がやはり北京で出会った車夫の話しを書いている(《一个车夫》载《给孩子的散文》中信出版集团2015年, 71-74)。つぎのようなお話しだ。14年の間にやはり変わったものがある。
方の家に寄宿していたときのこと。ある日の夜、晩御飯も終わり、雨も止んで空は次第に晴れてきた。空気は爽快。方は公園に行こうと提案した。そこで、公園まで二人で人力車に乗ることになり、乗ってから私(巴金)は驚いた。私の車夫がまだ十四にも満たないと思える子供だったからだ。しかしその走りは早く、肉体は力にあふれている。
やがてこの子供との会話から、父親が妹を売り消え去ってしまい、自身は車庫の中で寝泊まりしている生活だと知る。並走する中年の車夫は、そんな親父でもお前の親(天伦)だ。もし現れたらカネを恵んでやれと諭す。するとその子は、カネなどやるもんか、もし出会ったらただじゃ置かない(我碰着他就要揍死他!)とはっきり言い放った。
公園に着いて車を降りるとき、私は彼の眼を見た。彼の眼にはこの世のすべては存在しなかった。権威を示すものはない。(しかし)このような威張った(骄傲)屈強で堅い意思の眼光を私は今までみたことがなかった。
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