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魯迅《社戯》1922/10

 社戲は農村で昔、お祭りのときに演じられた出し物のこと。ここではその思い出を述べた魯迅(1881-1936)の1922年10月の小説のこと。この小説を魯迅は自分は2回「中国戯」を見たことがあると話を始める。最初は民国元年(1912年)北京に来て間もない時。二度目は湖北省で水災義援金として切符を買ったとき(手元の竹内好訳は、「水災」をなぜか「火災」としている。岩波文庫1981年改訳版p.188)。いずれも席にゆっくり座って鑑賞するといったことにならなかった、顛末が描かれている。てっきりこの「中国戯」の話しを続けるのかと思うと、魯迅は話を転じて、昔十一、二歳の子供の時、母の実家の田舎に泊まったおり、夕方になってから、地元の子供たちと子供たちだけで船に乗って、別の大きな村で行われた芝居(社戯)を見に行った時の思い出を語り始める。北京で「中国戯」を見た時の、人にあふれ、立ったまま遠くに舞台を遠望する世界とそれはかなり違いがある。くったくなく子供たちは、舞台を論じている。帰途、みんなで豆を煮て食べる様子も語られる。「真的,一直到現在,我實在再沒有吃到那夜似的好豆,――也再看到那夜似的好戲了。」以来私は、あのときのように美味しい豆、おもしろい芝居に出会っていない。
 魯迅の小説には何か暗いものを感じるのだけど、このお話しは明るい。それはなぜだろうかとあれこれ考える。魯迅の狙いもそこにあるのだろう(写真は魯迅《呐喊》北京燕山出版社2013年p.101より)。


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