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從百草園到三味書屋(2)魯迅 1926/09

魯迅(ルー・シュン 1881-1936)。 魯迅は浙江省紹興県生まれ。その子供時代を思い起こして書いた散文である。写真は『魯迅作品選』大安1967年発行より採録した『三味書屋』内部。日本の寺子屋とは違い、机と椅子であり、天井も高い。中央に先生が座っていたのだろうか。散文の後半は魯迅がその子供時代に通った三味書屋という書塾の思い出である。なるほど書院ではなくて書屋というのだと感心する。勉強の方法はただひたすら朗読するというもの。その後習字。さらに先生による暗唱のチェック(対課)が続いた。読む教材は少しずつむつかしくなる。散文ではその塾の先生(ここは阿長という手伝いの先生に聞いたようにも読める)に魯迅は東方朔が知っていたとされる「怪哉」について聞こうとする。しかし先生はうるさそうに「知らない」と一喝する。
 ところでこの先生というのは、塾の博学の老先生なのか。あるいは博学でない阿長(先生)なのか。文章の流れからはどちらとも読める。
 いずれにせよ魯迅は大人は往々にしてそういう態度をとるものだと納得する。このくだりは、先生と生徒のやりとりとして、とてもよくわかる。つまらないことに気を回さず、ただ勉学に励めという教え、あるいは老先生の前で知らないことを聞かれての阿長の照れ隠し、と解釈できる。

我才知道做學生是不應該問這些事的,只要讀書,因爲他是淵博的宿儒,決不至於不知道,所謂不知道者,乃是不願意說。年紀比我大的人,往往如此,我遇見過好幾回了。

 なお「怪哉」とは。漢の武帝が道中、人のような顔面を持つ異様な虫を見つけ、東方朔に質問したところ、これは無実の罪で牢獄につながれた民の化身「怪哉」だと答えた。そしてこの虫は酒に放たれると消え去ったとされる。つまり「怪哉」とは民の怨念を示すものと考えられる。おそらくだが、若い魯迅は「怪哉」の話を知り、先生の知識を試したくなった。しかし先生はこれに一喝で答えた。大人になった魯迅はこのときの問答を振り返って、大人はそういう対応をするものだと思う。確かに学生と教師の間のそうした受け答えを私も見てきたと。
 老先生が質問を受けたとすれば、この部分の私の解釈はこうだ。魯迅の知識を試そうとする意図を、先生は見抜いてしまう。「私は知らない」(そんな質問には答えないよ)と先生は答えたのである。そして阿長が質問を受けたとすれば、ここは知らないと一喝して、老先生の前での場を繕う阿長の策を示しているというのが、いま一つの解釈だ。

#魯迅 #三味書屋 #怪哉

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