見出し画像

顧准 資本主義も変わった 帝国主義と資本主義(下) 1973年5月8日

 顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.103-107を翻訳したもの。手元にある《顧准文集》民主建設出版社2015年pp.257-261も参照している。
 日本では、中国の経済学者、顧准(グウ・ジュン 1915-1974)はほとんど知られていない。しかし、かれの到達した知的水準がかなり高いことが、以下の翻訳からもうかがえるだろう。学問的に不毛であった文化大革命が終わる時期、ただ一人病躯に鞭打って北京図書館に通い詰め、資本主義や民主主義の本質を理解しようとした彼のことが今少し知られてよいのではないだろうか。ここではケインズ、シャハトの比較が語られ、独占資本主義における技術開発、大労働組合、多元主義哲学と政権批判など、多様な論点が語られる。1973年の中国でここまでの認識に到達していたことは驚きである。

p.103     九、資本主義もまた変わった
 帝国主義は今にも死ぬ(垂死)段階の資本主義である。現在帝国主義は変わった。資本主義もまた変わった。
 マルクスは資本主義の必然滅亡を予言した。彼が帝国主義が変わり、ローマの滅亡の道を歩むと語ったとしても意外ではない。彼の主として述べたことは、(1)資本主義の生命線は資本の増殖であるが、高利潤は必ず低賃金であり、低賃金は消費不足を生み、恐慌を生む。(2) 資本の有機構成が高まるp.104   とともに、同量の剰余価値はますます低い資本利潤率で表され、資本利潤率はゼロに向かう趨勢にある。(3)社会構成から言って、資本がますます集中し、ますます多くの資本家も搾取されると、資本の私有制と社会性との間の矛盾はますます顕著になり、社会主義化は最後には容易に成し遂げられること(舉手之勞)になる。
    当然、マルクスが待望した(期望)社会主義は最も先進的な資本主義国家でまず実現するものであった。この予言は、20世紀の初期以来ますます時事と合わなくなった、レーニンによる(ロシア革命という 訳者挿入)発展によって。レーニンの発展はなお証明確実とされていないが、1929年の経済恐慌は、再びマルクスを思い起こさせた、それゆえ1930年代には「国際」的な資本主義総危機説が生じた。(しかし)以来40年、1929年の様な恐慌は一度も再現しない、また(今後も)再現しないように思われる、その原因はどこにあるのか?

        十、シャハトとケインズ
 (19)30年代の資本主義世界に、二人の特別な人(怪人)が現れた。一人はヒットラーの手下の”金融奇才”シャハト博士である。彼はヒットラーに対して、恐慌、失業、大量の工場閉鎖の状況のもと、紙幣を大量に発行する方法」で軍備を再整備することを教えた。その結果、軍備を整備する費用は触媒(藥引子)となり、多くの時間を要することなく恐慌と失業は消え去った。さらに重要なことは、ヒットラーが世界大戦を引き起こす前に、軍備整備で高揚した景気が、国民収入を増加させたことである。増加した大きさは、当時の再軍備費用を上回った。もう一人は英国の学者ケインズである。かれは(19)20年代から、貨幣価値は高すぎてはならない、(として)通貨膨張を宣伝提唱した。1936年に彼は「雇用、利子および貨幣の一般理論」なる本を書き、”赤字財政と公共工事(工程)”で恐慌に立ち向かう(對付)事を主張し、併せて資本主義経済の一般理論を提起した。「一般理論」は現在すでに西欧経済学の古典となっている。というのも本書が資本主義の病に薬の処方を提供し、また理論的証明を提供したからである。
 一人の実務家(そして)一人の理論家は、ともに19世紀前半期に開始された資本主義の周期危機の問題を”解決”した。しかし同時に彼らは資本主義国家の作用を大きく強めてしまった。現在の資本主義はすでにもはや古典的自由競争資本主義でもなければ、レーニンが描いたあの幾つかの特徴をもつものでもない。独占資本は存在するが、独占資本は自身で蓄積しており、基本的に(レーニンが描いたように)銀行資本にもはや支配されていない。
p.105   国家は資本主義に対し多方面に干渉(関与)している。一部の国家は(フランス。日本など)”計画”さえもっている。当然指令性計画ではなく、予測性計画である。国家の財政支出は国民収入の3分の1にさえ到り、超過累進所得税が基本税制である。・・・  

                                       十一、新技術,新製品、新材料
 現在の資本主義は、独占(資本主義)である。しかしなお競争があり独占競争と呼ばれている。独占競争の資本主義は、新技術、新製品、新材料の研究制作をその生命線とみている。かれらの技術には停滞はなく、ただ猛烈に突き進んでいる。すべての企業がみな研究機構を持ち、研究機構は企業の存在発展のとり基軸(關鍵)部門である。ソ連は、軍事科学方面ではなお遅れていないものの、民用経済のいずれの面でもすべて立ち遅れてしまった。
 この状態(局面)は、マルクスの”利潤率の傾向的下落”の予言が未だ実現しない根本原因である。もしも新技術、新製品、新材料の不断の出現がなく、古い技術の応用程度で十分であれば、競争がなお存在しても、競争は利潤を不断に押し下げ、ゼロになるまで下がるまでだ。現在は新商品が不断に出現している。新商品の経済上の意義は古い商品に比べてコストが安く、生産することで多くの利潤を得られることにある。この種の安価な新商品が不断に生産に入ることは、資本主義生産部門と生産総量は不断に増加させ、資本主義を常に発展成長させる。発展成長は利潤率を下げてゼロに至らしめることはない。
 新商品の出現と成長、(これに)加えるに通貨膨張という要因は、資本主義の物価を常に上昇させ、利潤率はいつも高い。19世紀後半期、金本位制が世界で一般的な貨幣制度の時、資本主義はいつも物価下降の脅威に直面しており、これが明らかに恐慌の根本原因であった。現在、状況(局勢)は変化した。

          十二、大会社、大政府、大労働組合
 会社がますます多きくなったほか、政府がますます大きくなったほか、その労働組合もまたますます大きくなった。労働組合は大きく、集団で合同の談判の中で合意を文書化する力があるだけでなく(さらにストライキを継続もでき)通貨膨張で実質(実際)工賃が低下したものを取り戻す(撈回來)だけでなく、相応する労働生産性を引き上げることで、実質賃金を引き上げることもできる。大労働組合は工賃が国民収入の中で占める比率を一定の比率に維持して下がらないようにして、
p.106   資本主義の消費不足危機解決をたすけている。それゆえ、ある西欧経済学者は、労働組合は、現在資本主義の構造を組成する一部である、資本主義が恐慌を取り除くこと(消弭)を助けていると述べている。

                        十三、多元主義哲学、学術自由と民主政治
 これらすべてのことは、すべて一定の気分のもとで可能だったことだ。それは多元主義の哲学、学術の自由そして民主政治である。
 西欧の中世は神権的統治であったが、文芸復興、宗教改革が神権統治を打ち壊して(打爛了)ギリシャローマの伝統を復活させ、併せて古代ギリシャローマよりさらに自由化した。これまで人々は皆これを資本主義の上層建築だと言った。(19)30年代、ヒットラー、ムッソリーニの勢いが盛んだったとき、コミンテルンは指摘した。資本主義は瀕死(垂死)段階に達した、その政治の特徴はファシズムであり、ソ連が民主の伝統の継承者である。事実は、ヒットラー主義はヘーゲル主義の行動家であり、西欧民主の伝統がヒットラー主義に戦勝し、デューイやラッセルこれらの多元主義哲学家が神秘主義のヘーゲル主義に戦勝し、神権思想は一歩没落したのである。
 かつてデューイやラッセルの哲学に帝国主義の刻印をしようとした人がいる。イギリス共産党のコーンフォースはそのような本を書いている。1957年に彼は、激しい言葉(慷慨陳詞)を用いてデューイやラッセルがともに強調した話「哲学の任務は批判にある。」をしている。
 西欧思想は確かに批判にたけている。政治権威は当然批判対象である。いかなる既得権利もすべて批判対象である。米国で盛んな大衆的な人種差別もまた批判対象である。ただ公衆に関すること(訳注 公益に関することだろうか?)は秘密保持は際限なく維持される。米国の南ベトナムの汚い(骯髒)は批判され、最後は撤退するしかなかった、少なくともこれは一面の真実である。
 批判は新聞雑誌や学校で進められるもので、それはすべて精神貴族である。話すのもおかしなことだが、精神貴族にはもとより貴族主義分子が存在する、しかしその中の多数は、食事には困らず頭を使うことが求められている、ただ心を尽くして(挖空心思)大衆の好むところに身を寄せている、全体として言えば、彼らの批判は進歩を促進している。彼らは感謝されることは苦手である(不善感恩)。かれらの研究は常に「基金会」の「資金援助」を受けている。しかし彼らの話はより多くは既得利益集団の反対するものである。
 事実上。20-30年代のファシズムは神権統治の継続であった。50年代以後、西欧は
p.107   ファシズムを再生していない。また今までファシズムの復活現象を見ないのである。

   十四、改めて「比較考量(較量)」この言葉の意味を考える
 上述した様々な話のあと、米帝国主義が比較考量の末に退却した、という言葉の意味を今一度考えよう。
 批判の風がどれほど盛んだったにせよ、米国の政治は結局はその既得利益の維持にある。それゆえそれが出兵するのは、その既得利益維持のためである。もしうまく運んでいたなら、米国の軍部(軍権)は勢いを増し(煊赫起來)反動の炎は高まり(囂張起來)、「批判」の声は弱くなったことだろう。こうした意味からいえば、比較考量において批判に利益があったわけではないが、進歩的批判が起きたのである。内外から攻められ、米国は退却した。比較考量は少なくなかった。
 しかし批判の面は軽く扱われてはならない。批判が十分存在できれば、批判は十分その作用を発揮できる。比較考量この言葉は含んだまま進むことはできない、それはさらに内因をもっている。君は、ヒットラーが最後まで、批判がなかったことを見なかったか?この方面で確実なのは、内因では勝利はなく、ただ滅亡されることによって止まるしかなかったことである。
 さらに一歩進めていえば、帝国主義このレーニン依頼の概念は事実上すでに過去のものだ。資本主義は必ず滅亡する、この概念はなお変わらない。資本主義は永遠存続は不可能で必ず滅亡する、しかしその滅亡は必ずしも労働者階級が政権を奪取する道ではなく、おそらく別の道を通ってである。この方面については、かつてある現代人がいくつかの興味ある意見を示している。しかしこれらについてはあとで再び述べよう。
                         1973年5月8日

#顧准      #レーニン #マルクス #ケインズ #シャハト  
#独占資本主義   #ヒットラー #恐慌

main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp