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劉國光 対経済学教学和研究中一些問題 2005/07

劉国光改革論集 中国発展出版社 2008   pp.147-163 《対経済学教学和研究中一些問題的看法》本文原載《高校理論戰綫》2005年第10期。(写真は富坂。街路樹はハナミズキdogwoodであろう。大変美しい。)
p.147   現在経済学の教学と研究において、西欧(西方)の経済学の影響が高まり、
p.148   マルクス主義経済学の指導地位は弱まり周辺化している。マルクス主義政治経済学はわが国では教え導く側(指導)、主流で、西欧経済学は参考、参照(借鋻)するもので、西欧経済理論や新自由主義経済学に対しては正確で科学的な態度で接するべきである。経済学の教育には、意識形態の教育もまた分析工具の教育もある。経済学の国際化は、マルクス主義を排斥し(排擠)西欧の経済理論に連結する(接軌)するものであってはならない(不能)。中国の経済改革と発展において、西欧の理論を指導の教えとするのは現実と合わないし、中国経済の改革と発展の方向を誤って導きかねない。経済学の教学と研究領域において、教学の方針、教材研究隊伍,指導権などの方面で、一連の毀誉褒貶(傾向性問題)を克服、解決しなければならない。

(1)   目下、経済学の教学と研究において西欧経済学の影響が高まり、マルクス主義経済学の指導地位が弱まり周辺化する状況は人を悩ませている(太字 原文)
 しばらく前からだが、理論経済学の教学と研究において、西欧経済学の影響が高まり、マルクス主義経済学の指導地位が弱まり周辺化している。この情況はすでにはっきりしている。経済学の教学と研究においては、西欧経済学が主流になってしまった。多くの学生が自覚的にか不自覚にか、西欧経済学をわが国の主流経済学とみている。私が江西の某高校の先生に聞いたところでは、学生はマルクス主義経済学を聞くと滑稽(好笑)に感じるとのこと。共産党が指導する社会主義国家である中国において、学生がマルクス主義を嘲笑する現象は著しく異常(很不正常)である。ある人は西欧経済学がわが国経済改革と発展の指導思想だと考えているし、一部の経済学者は、公然と西欧経済学をわが国の主流経済学として、マルクス主義経済学の指導地位と置き換えることを主張している。西欧資産階級の意識形態が経済研究工作と経済政策決定工作のいずれにも浸透している。この現象を私は憂慮している。

(2)現在、西欧経済学の影響が上昇し、マルクス主義経済学の指導地位が下降している原因
 この種の状況には内外両方面の原因がある。外部の原因(として)は、米国を筆頭とする国際資産階級は、私たちの社会主義体制を堅持する心が不滅であることを忘れて(亡我之心不死),中国社会主義は米国にとりソ連の後消滅すべき目標であり、この目標は既定であるので、不断に我々の西欧化、分裂(分化)を促している。第二に、社会主義陣営が瓦解したあと、世界社会主p,149   義運動は低調であり、多くの人が社会主義は駄目(不行了)でマルクス主義理論も駄目だと考えている。第三に中国は計画経済から社会主義市場経済に転変したが、一部の人はそのために、マルクス主義は駄目で、ただ西欧経済学がよいと、誤認している。これ(ら)が外部要因(外部原因)である。
    内部原因は比較多く、まとめるなら、新形勢のもと、我々は意識形態闘争の経験不足である。警戒を緩めてしまい、政策の掌握は十分でなかった。具体的には以下の諸点である。
 第一に、高等院校の経済学教育で、教学の方針と目標が不明確である。一体、マルクス主義経済学で学生を教育訓練(教育和培養)するのか、あるいは二線教育(雙規教育)、すなわちマルクス主義経済学と西欧経済学を並行させるのか?現在多くの人がみな「雙軌制」を語っている。北京の某大学の経済学部長は数年前に、現在「雙軌制」を実行し、学生はそのために学ぶことが多く疲れ切ってしまい(疲於奔命)とても苦しいと語っている。学生はマルクス主義政治経済学をすでに学ばねばならなかったのに、さらに西欧経済学を学ばねばならない。表面上は同等に重視(并重)であるが、実際上は西欧経済学の氾濫(汎濫   良くないものが溢れ流行することを指す)である。同等に重視する結果はマルクス主義経済学の地位下降であり、西欧経済学の地位上昇である。一部の大学(高等学校)では経済学、経営学(管理学)などの学科の本科生、院生(研究生)教育の中から政治経済学の課程が取り消され、科学的批判も受けない西欧経済学の原書教材の把握をただ求めている。一部の学校の院生、たとえば経済専業、経営(管理)専業の院生は、入学試験にマルクス主義政治経済学がなく、ただ西欧経済学で受験している。これは経済学教育、教学における方針問題である。
 第二に教材問題である。マルクス主義政治経済学は時代とともに発展すること(與時俱進)が必要で、現在の教材も改善されており、この数年は大きな進歩があった。特にマルクス主義基礎理論の研究建設の工程において。しかし十分成熟しておらず、数量も多くなく、学生の広範な関心を引き起こしていない。同時に、西欧経済学の教材の大量流入が起きている。ある学校では工作室を設けて、専門にこれに対処している。当然これはとても貢献的であり、外国文献の導入もよいことだが、しかし大量に導入された西欧経済学教科書は、国内経済学の教学に打撃作用となっている。ある大学の教授は言っている、前世紀の90年代中ごろから中国の経済学教材には重大な変化が表れ始め、中国の経済学教育は政治経済学すなわちマルクス主義経済学を主とするものから、西欧経済学を主とするものに向かう変化が始まり、最近では西欧経済学がすでに主流の経済学教育システムになってしまった、教材の改p.150   変は教学の重点の改変を反映していると。ある人は、世界の中で中国のように外国の経済学教材をこのように高い割合で導入している国はないと言っている。彼は語っている、伝統経済学の教学モデルの転換(転型)の主要の標識は西欧経済学理論であり、教学体系と教材の採用(運用)とくに重要なのは教材の採用(運用)であると。これはわれわれにすでに生じた変化(転変)を説明している。
 第三に教師集団(隊伍),幹部集団の問題である。海外留学帰国(海歸)組が戻られるのは大変良いことで、我々の経済学集団が充実し、我々の西欧経済学の知識を充実させた。これは良い面である。しかし彼らの中にはマルクス主義の再教育を受けることなく、直接、研究者集団に加わった人がいる。批判することなく、原本そのまま西欧のものを紹介することは問題である。もとはマルクス主義の教育を受けていても、出国後マルクス主義を忘れたもの、理工科の学生で出国後、経済、経営を学んだ人の中にはマルクス主義教育を受けていない人が本当に多い。某大学のある研究所長が言うには、彼はこの局面が強まることを希望する、彼は外に出て教育を受けることは中国経済学の水準を最も早く高める方法だと考えている。彼は言う、訓練を受けた海外軍団の帰国ラッシュは、国内主要大学の経済学教学集団を絶えず充実しており、その勢いは止めようがない(勢不可擋)。私は彼のこの言い方は問題だと思う。マルクス主義の再教育を受けていないものが、訓練をうけることなくすぐに演台に立つ。このような仕方の弊害はとても大きい。このほか我々が自ら訓練(培養)するマルクス主義政治経済学教師の集団は一貫して減りつつある(不断萎縮)、大学(高校)によるマルクス主義経済学教師集団の訓練と投入はとても少ないし、奨励もまたとても少ない。ただ海外で西欧経済学をするものだけ奨励されている。この情況は腐っている(很糟糕的)。孫冶方獎は国内を対象としており、学界では重視されているが、その影響力(實力)は限られている。というのは
 さらに幹部集団の影響問題がある。例えば中央党校省部クラス幹部班の教育で、もし西欧経済学を主流とする教師が講義に行けば、結果がどうなるかは、推して知るべしである(可想而知)。現在幹部の思想も変わりつつあり、多くの幹部は西欧経済学出身ではないが、その影響を受けている。地方の一部の幹部は国有企業改革問題で、公有制と私有制問題で、大衆(群衆)の利益保護の問題で、我々共産党の対立面に立つ、たとえば不動産の領域で開発業者の利益を守る側に立ち、一般大衆(老百姓)の利益を完全に頭の隅においやっている、これはまさに影響を受けた現れである。さらに一部の地方は幹部の選抜において、ハーバード大学ケネディスクールの履修を選抜の条件に規定している。これは異常で、西欧崇拝だ。
p.151   第四に指導権問題である。指導権はとても重要(關鍵)である。大学(高校)の学長(校長)、学部長(院長)、系、研究室、研究所の主任、校長助理などなど、さらに主要部委員会の研究機構の指導(者)は一体マルクス主義者かどうか?私は彼らの大多数はマルクス主義者だと信ずるが、一部の指導権は簒奪されている。中央は今一度強調(すべきである)、社会科学単位の指導権はマルクス主義者の手中に掌握されるべきだと。というのはひとたび非マルクス主義者の手中に掌握されると、教材は改変され、集団も改変され、なんでもすべて改変されるからである。復旦大学の張薫華教授はこの状況をとても心配されている。彼はもしも指導権が西欧化された人の手中に入ると、彼らはすぐにマルクス主義経済学の力を奪い(取消)マルクス主義経済学を排斥するに違いないという。それゆえに私は、各クラスの指導者は真正のマルクス主義者でなければならず、表は赤いが中が白ではだめだと固く注意を申し上げたい。私が上に述べた四つの問題は、中央にも注意してほしいことである。しかし関係部門の自己点検(檢查)がなければ、何も変わらない(落實)。(中略)

p.154  (5) 西欧経済理論と新自由主義経済学に正確に対峙する
 西欧の非マルクス主義経済学(あるいは政治経済学)は、古典的西欧政治経済学が現代西欧経済学に発展したものである。古典的西欧経済学の科学成分には、通俗的成分もあるが、その科学的成分をマルクス主義経済学も吸収しているところである。現代西欧経済学にもまた科学的成分があり、現代市場経済の一般規律成分を反映しており、また資産階級の意識形態成分を反映してもいる。私有制の永久不変(永恆)とか、経済人の仮定などなど。その科学成分は我々が吸収して(藉鑒)学習するに値するが、その資産階級の意識形態の理論前提と我々は根本的に異なる。それゆえにその全体は社会主義の中国とは適合せず、中国経済学の主流,主導とはなりえない。西欧経済学のなかでかつて主流の地位を占めた新自由主義経済学、その市場経済一般問題の研究や分析方法を大いに吸収し学習すること、我々はそれを完全に否定することはできないが、しかし新自由主義経済学の核心理論は、我々が受け入れられないものである。
 西欧経済思想特に新自由主義経済理論の前提と核心理論はおおよそ以下でp.155  ある。第一、経済人の仮定。自己利益を図るのが(自私自利)人の本性だとする。この仮定を我々は受け入れられない。マルクス主義者は「社会人」そして「歴史人」という人の本性理論(人性理論)をもっており、当然、私有制のもとの人の自己利益を図る面を否定する。第二に、私有制を最も効率的で、永久不変でもっとも人間の本質に合っており、市場経済の唯一の基礎と考える。これは歴史事実と符合しない。第三に市場自由化を盲信し(迷信)、市場を教義として、完全競争の仮定と、完全情報の仮定を盲信する。実際にはこのような仮定は存在せず、いわゆる情報が完全という仮定は不可能で、消費者の情報は生産者に及ばず、独占者の情報は非独占者大衆に及ばず、両者は市場において不平等である。第四に政府の作用の最小化を主張して、国家の経済関与・調節に反対する。おおよそ以上の4点だが、その他の点を挙げることもできる。これらの点は、マルクス主義とも、社会主義とも、中国の国情ともすべて合わず(格格不入)当然用いることはできない。ここで私は一つずつは分析しない。というのもどの一つをとっても大論文になるからである。(中略)

p.160  (8) 中国の経済改革はどの理論によって指導されるか
 これは重大な問題であり、中国がどこに向かうかに関係している。ある人は現代市場制度を建設するのに、西欧の理論の指導がなければ、この大きな歴史任務を完成することはできない。と考えている。あるいは、わが国の経済体制改革はずっと暗中模索であったが、西欧経済学の原理に出会い、中国問題へのその分析の運用により、市場作用の発揮が必要だと提起され、商品経済建設の主張がなされた、といわれている。私はこのような話をする経済学者を尊重するが、かれのこの観点には同意できない。
 第一に中国の経済改革と発展は西欧理論の指導によるという言い方は現実(実際)と合致しない。中国共産党が指導した経済体制改革は、十一届三中全会(1978年12月 括弧内年号は訳者が入れたもの)が計画と市場の結合を提起し、十一届六中全会が商品生産と商品交換を確認し、十二大(1982年)が計画経済を主、市場調節を補とすることを提起し、十二届三中全会が中国社会経済は公有制を基礎に計画のある商品経済だと提起し、十三大(1987年)が計画のある商品経済体制は計画と市場を統一した体制だと提起し、国家が市場を調節統制し、市場が企業を指導(引導)するとした。十三届四中全会はさらに計画経済と市場調節の結合を提起し、最後に十四大(1992年)は社会主義市場経済の建設は、わが国経済体制の改革目標だと提起した。十一届三中全会(1978年12月)から十四大(1992年)までこの間曲折を経験したが、主要には我々中国人が我々の中国の歴史経験教訓を総括し、また前ソ連の歴史経験教訓を含む外国の歴史経験教訓をも参考にしながら、時代とともに発展したマルクス主義の指導のもと、目標を一歩一歩明確にしてきたものである。その過程で西欧の経済理論がなにか指導作用をしたことは見たことがない。これはとてもはっきりしている。この過程において、鄧小平同志はかなり大きな役割を果たした。1979年に彼は米国のEncyclopedia Britanicaの副編集長と接見したとき、1985年に米国の企業経営者代表団と接見したとき、彼は社会主義は市場経済を行えないことがあるだろうかという問題を提起した。1992年には彼は理論上、p.161  計画と市場は方法と手段の問題だと明らかにし、社会主義と資本主義の選択問題ではないし、姓が「社」か「資」のいずれかという問題でもない、しかし社会主義と資本主義の違いが、手段の違い以外のどこにあるかはなお研究に必要があるとした。このような重要な理論的成果(創造)はすべて西欧の経済理論ではない。(それなのに)中国の改革は西欧理論の指導の下で進行できるとなぜ言えるのか?中国の経済改革理論に参与形成してきた一経済学者として、薛暮橋,孫冶方,顧准,卓烔などの社会主義条件のもとの商品経済、市場経済に功労のあった開拓者はいずれも確固としたマルクス主義者で、彼らは西欧理論に左右された人ではない。その後の理論工作者には西欧経済理論の影響を受けた人もいるが、大多数はマルクス主義を堅持している。西欧の影響が比較的多い中青年の経済工作者の大多数も市場経済の一般理論を社会主義に服務させるには十分である。ただ少数の人が、自由化や私有化を、金持ち階級に代わって唱えて、マルクス主義を攻撃し、社会主義建設を妨害している。このような人の妨害行為は、中国経済改革を進めるものではない。私はこのような人の西欧経済学をマルクス主義経済学にとって変えようとする方向性は、歴史の挿話に過ぎないと考える。努力によって彼らを正しい道を歩ませることはあるいは可能であろう。
 第二に、中国の経済改革と発展を西欧理論で指導するという議論(説法)は中国の経済改革と発展の方向を誤らせるものである。中国は社会主義的市場経済を建設(建立)するのであって、資本主義的市場経済を建設するのではないからであり、公有制を主体とし、多様な所有制経済がともに発展する基本経済制度を堅持するのであって、私有化あるいは不断に私有化に向かうものではない。マクロ調整下の市場調節を堅持するのであって、市場原理主義や市場万能論を主張して、すべての正確な調整を官僚行政の干与として(非難する)ものではない。効率を保証するために適切な収入の差異は認める(堅持する)が、同時に社会公平、福利保障を強調する。社会の分離(鴻溝)が拡大しないように極力務める。為暴富階層説話。ここにいたるのは、マルクス主義政治経済学の指導が必要で、西欧理論を用いることはできないし、とくに新自由主義経済理論で指導はできない。中国の経済改革と発展を西欧の新自由主義で一度でも指導すれば、中国の基本経済制度をすぐに変えねばならず、かならず向かうことになるのは「悪い資本主義経済」の深みである。経済の基礎を変えれば、共産党は最後には政権を失い、私有制の代表が政権をすぐにとるだろう。中国の改革を西欧の理論とくに新自由主義主導に一旦すれば、表面上あるいは共産党がなお
p.162   政権をにぎっていても、実際上の容貌は次第に変わってしまう。多くの人にとりこれは悪夢である。(以下略)

(この論文は中国におけるマルクス主義やマルクス経済学の退潮を詳細に議論している。経済学の基礎としてはマルクス経済学に一本化すること、教育機関の指導者をマルクス主義者で固めるべきことなどを主張している。ただ新自由主義などへの批判も書かれていてこの論文は、中国の思想を考えるうえで示唆的なところも多い。)

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