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李達の毛沢東への忠告 1958/09

 李達(1890-1966)は中国のマルクス主義者のなかで、知識人として傑出した存在だったとその著書(社会学大綱や経済学大綱)を見て私(福光)は思ったのだが、日本では李達の業績を正面から検討した人はあまりいないように考えている。その李達は、新中国建国後、毛沢東(1893-1976)によって重用され、1952年からは武漢大学の校長を務めた。しかし結果として、激化する思想運動の嵐に巻き込まれて、1966年春から執拗な攻撃を受け持病が悪化するも治療も受けられず8月24日落命している。このとき毛沢東に救命を求める手紙を出したが、この手紙の毛沢東への配送は意図的に遅らされ、この手紙を受けた毛沢東の指示は間に合わなかった。実は毛沢東は別途、救命などの指示を責任者である王任重にしていたが、王任重はその指示を武漢に届けなかった。王任重は、毛沢東の信認が厚かった人物だが、李達を快く思っておらず、こうした個人的な確執が悲劇を拡大したのである。
 ところで李達は、1950年代の反右派闘争では、胡適や梁淑瞑を批判する著書を公刊するなど、左派の理論の旗手の役割を務めている。しかし他面、大学の校長として見ると、1958年に開始された教育改革に批判的であったほか、武漢を訪れた毛沢東に、極めてストレートに、大躍進運動の過熱を忠告をしたことなど、新中国の社会情況にあって比較的理性的に行動できた人のように思える。
 その李達が批判されるきっかけは1966年1月、中南局書記陶鋳が林彪の言い方を真似て、毛沢東思想はマルクスレーニン主義の頂であるとの報告をしたのに、頂ということはもう発展しないのか?と李達が直言したことに始まる。この発言をとらえて、李達批判が始まる。おそらくだが、校内の党書記をはじめ、湖北省書記王任重、さらにその上司の中南局書記陶鋳などは、もともと教育改革に批判的で、かつ毛沢東にも対等に直言する李達の態度を快く思ってなかった。李達が失言することを待っていたのではないか。
 つぎに1958年開始の教育改革だが、そこでは「半工半読」つまり工場労働と教育との結合が強調された。これに対して李達は、大学はあくまで教学が中心であるべきで、学校の教学および科学の水準を高めるべきことを強調、不必要な政治活動を極力減らして、教員は勉強すべきだと訴えた(1959年開催の学内会議)。また1961年の学内会議でも、1958年の教育改革は知識分子の積極性を損なうもので、学生が教授を批判することは馬鹿げていると厳しく批判した。こうした李達の言動に、湖北省の幹部と組んでいる校内党書記は、李達の校長辞職を中央高教部長に直接要請する。これに対して、李達は省幹部の王任重の眼前で自ら辞職を高教部に申し出るが、高教部長からはすぐに慰留の電話が入る。かくしてこのときの李達追い出しは一旦失敗している。(校長として大学の教学や研究の水準を高める観点から、政府の下す教育方針に疑問を呈した李達の姿勢は、政府の教育方針にまったく異を唱えなかったかに見える、北京大学の馬寅初校長に比べて、立派に見える。)  
 この伏線の上で、王任重は李達の周辺に、李達の言動を細大漏らさず記録報告する人物を李達周辺に配置した。こうした李達排除の準備の上で1966年に至ったのであった。
 では最後に1958年に起きた李達による毛沢東への直言とはなにか。この件を理解するうえでは、まず李達は毛沢東より3つ年上、ともに中国共産党の創立大会に参加した仲間であり、李達の「社会学大綱」を毛沢東が延安時代に極めて高く評価したこと、逆に解放後、毛沢東が「実践論」「矛盾論」を発表すると李達がその解説書を書いて両書の宣伝普及に貢献するなど、二人の関係がとても良かったことを考慮する必要がある。
 以下は陽雨《“大躍進”運動紀實》東方出版社2014年pp.140-142より、1958年の李達による直言事件をまとめたものである。

 1958年9月、武漢に来た毛沢東に対し、李達は(おそらく大躍進運動で掲げられたスローガンである)「人が多いと大胆になり、土地が多いと生産も高まる」は意味が通らない、また「考えつかないからといって、なしえないことはない」は非科学的だ」と毛沢東に問いかけた。

 毛沢東はこれはスローガンに過ぎないとしたうえで、その一つの意味は、人の主観能動性が発揮されることは、理屈にあっているからだ、ということ。そしてもう一つの意味は、もし「思いついたことはすべてなしうる、あるいはすぐにできる」というのが非科学的だ。」だと返し、さらにでは「(この)肯定はどうなるのか?否定はどうなるのか?」と反問した。

 これに対して李達は、「肯定は(つまりこのスローガンの意味は 訳者)人の主観能動性が万能で無限大だと考えることだ。(しかし)人の能動性の発揮は一定条件から離れることはできない。現在、人の胆力(胆子)小さすぎるのではなく大きすぎるのだ。あなたは火に油を注ぐべきではない。このままでは、災難が起きかねないよ!」
(ここまでくるとスローガンをめぐる二人の議論の意味は明らかだが、主観能動性という言い方で、李達は大躍進運動のスローガンからも読みとれる客観条件を無視して、主観だけを強調する狂熱に警告を与えようとしたわけだ。 訳者) 
 この時、座っていた王任重たちが李達の発言を止めようとしていることに気が付いた毛沢東は「かれに話させるんだ、彼は右派じゃない(不划右派)。」
 それを聞いた李達はさらに興奮した。「そんな大きな帽子はいらない。あなたの脳は発熱して39度の高熱になっている。すぐに40度41度42度になるだろう。」
 毛沢東もかなり興奮して言った。「僕を焼き殺せばいいだろう!」
 李達は激高して言った。「焼き殺すのは僕じゃないよ。このままでは中国人民が大災難に会うよ!認めたらどうか!」
 ・・・・・・・
 「今あなたの脳は熱くなりすぎているんだ。」李達は別れ際に毛沢東に言った。「あなたは頭を冷やすべきだ」

  資料   陽雨《“大躍進”運動紀實》東方出版社2014年pp.139-143
                  汪春潔《文革風暴中的九位大學校長》新銳文創2016年pp.159-163
                  對話變成了激烈的爭論 中國共產黨新聞網2015年12月16日   
                  李達的最後十四年  時代在綫


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