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Janos Kornai 1928-

コルナイ By Gocalo L. Fonseca
Cited from History of Economic Thought

 ハンガリーの計画経済学者。1960年代と1980年代、Janos Kornaiはおそらく東ブロックの最も著名な経済学者だった。 
    Janos Kornai (生名Janos Kornahuser)は、ハンガリ―の裕福なブルジョア家庭の息子だった。(しかし)その運命はナチによるハンガリー占領により大きく変わった。Kornaiの家庭は、一時期、収容所campに収容された(彼の父親は奴隷的労働に送り出されshipped offその後Auschwizで殺された)。コルナイは自然とソビエトという解放者liberatorに共感するようになり、マルクス主義についてさらに学ぶ決心をし、自ら研究を始めた。マルクスにより開眼したコルナイは、ハンガリー共産党に入り、精力的な活動家になった。戦後10年間、コルナイは党の新聞Szabad Nepの経済コラムニストとして働いた。
 1955年、彼の信念は、共産主義ハンガリーの不愉快な現実によって揺り動かされた。Janos Kornaiは同紙を離れ、ブタペストにあるハンガリ―学術協会付属経済研究所に加わった。(その後)彼は、教師、研究員、そして最後は役員として、数十年間同研究所にとどまった。
 コルナイの1957年の論文は、社会主義中央計画の諸問題を詳述した最初の著述の一つであった。コルナイは1960年代に、社会主義計画への現代数学のプログラムの手法の導入を支援した。その最も有名なものは、巨大な線形計画問題を副次的問題に分解する「二層」計画(Kornai-Liptak)である。コルナイはまた、非中央化導入、そして社会主義経済における市場力の使用の、初期の推進者だった。コルナイの1980年の著作は、中央計画の慢性的困難と詳細な結果についての、広く読まれた暴露であった。
 コルナイは、ワルラスの一般均衡理論への批判(1971)そして、社会主義の実験の評価と批判(1992)により、方法論、哲学においても広く発信したdabbled。
 1986年にコルナイはハーバードの経済学教授に任命されたが、ブダペストの職位も保持した。共産主義後の世界において、コルナイは社会主義後の転換経済の専門家に転身した。

 コルナイモデル 1985年9月 
  小山洋司 富山栄子「コルナイの社会主義システム分析に関する試論」『新潟大学経済論集』第64号1998年3月, 81-101
 盛田常夫「コルナイ経済学をどう理解するか」『比較経済研究』第46巻第2号2009年6月、1-10
    コルナイの市場社会主義批判(1997)  (吳敬璉2013)
    コルナイは、社会主義では消費者主権が確立した消費者市場となっていないために、不足が常態化していると説明した。以下を参照。コウオトコ「社会主義なのか?資本主義なのか?そのどちらでもないもの」『比較経済体制研究』第25号2018年, 43-69


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