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コルナイの市場社会主義批判 1997(吳敬璉2013)

 東欧の市場社会主義、そして中国における「改革開放」をコルナイはどう評価したか。吳敬璉は、1997年のコルナイの著書から、市場社会主義への批判を読み取り、それを記録している。吳敬璉  馬囯川《重啓改革議程》香港中和出版有限公司2013年·123-126

p.123     吳敬璉:私が見るところ、国際学術界で、ハンガリーの経済学者コルナイは「市場社会主義」に対し、最も全面的で深い(深刻)批評(評論)を行った。コルナイは
p.124   経済学素養の高い、また人文に造詣の深い学者であり、また東欧の元社会主義国家の改革に積極的に参加、また若い時はハンガリーその他東欧国家の社会主義改革を支持した。1997年、彼はソ連式社会主義体制を総括した有名な著作『社会主義体制―共産主義政治経済学』のなかでまるまる1章を使い、南スラブ(ユーゴ)、ハンガリー、中国、ベトナム、ソ連など社会主義国家の社会主義市場改革をそれぞれ見たうえで、市場社会主義の理論と実践に批評(評論)を行っている。
 コルナイは指摘している、市場社会主義改革は政府の企業に対する行政統制(管制)を緩和し、企業の自主権を拡大し、良い効果と有益な影響を確かに生んだ、例えば国有企業の製品の質は高まり、企業は消費者(購買者)の需要を重視するようになり、多くの領域の欠陥情況をした。また、改革は中央集権とあらゆるものへの(無所不包的)計画とに対する人々の盲目的信頼を動揺させ、私有企業と市場に対する人々の偏見を減少させ、さらに徹底した社会運動への意識形態を高めることになった、などなど。
 しかしコルナイは市場社会主義改革が進歩的なことを進めたことを肯定すると同時に、その限界(局限性)を繰り返し指摘している。制限を部分的に緩和すると同時に、計画経済と国有制主導の基本形式(格式)を保持したり、政府が利率、税率、価格など多種の間接調整統制手段を採用して市場と全国民経済を統制し、国有企業をして、「行政協調」と「市場協調」の『二重依頼』の中で前者を主とさせたり。このような情況のもとでは、国有企業は伝統社会主義体制下で染みついた陋習(痼疾)を改め難い。
 コルナイは指摘している。市場社会主義の体制のもとで、市場の横からのp.125   依頼は強まっているが、なお重要でない(次要的)。政府の縦向きの依頼の形式は変化し、間接行政統制が伝統的直接行政統制に置き換わったが、縦向きの依頼はなお主導地位を保っている。こうした情況のもと「国有企業管理者の命運と等級制度中の職位の高さは、彼らがあの種の人と緊密になるかにかかっている。彼らの一方の目は市場に注がれているが、もう一方の目はしっかりと自身の上席者を見る必要がある。事実上さらに重要なのは、上を見る目ははっきり知るべきである。彼らの賞罰や将来の昇進はすべて上級指導者が決めるということを」。同時に、企業の利潤に対する関心は増加したが、実践が彼らに与えた教訓は、「企業の利潤は生産や市場で生まれるのではなく、行政官員たちがその事務室で決定している、ということである。」

馬国川:コルナイの批判は一言ずつ深い(怎可謂一語中,“入木三分”。)。
吳敬璉:コルナイはさらに述べている。企業の予算において、決まり事が守られない状況では、質や技術の発展は持続的に高まりようがない。このほか、市場社会主義改革は新たな緊張や不均衡を生み出す、たとえば「半分ゆるんだ統制市場社会主義の下、混乱した非公式な水路(溝通)がますます盛んになり、企業と上級組織の間の関係は曖昧模糊、規則逃れ行為を行うものであふれるようになる。「非常に低級な商業精神が、全社会体制に浸透し、国有企業と私人企業は生産方面において、政府官員との私的交友を利用しており、個人の事務もまた同じで賄賂は当たり前になっている。」
 彼はさらに中国を例示として指摘している。「上述の現象は中国の経済改革過程でとても顕著に表れた。計画指導と企業の自由決定を基礎とする双軌制建設はおよそ非正当(操縦)行為を促していたのだ」。「企業は名義上公有制だが、実際上は
p.126  多少なりとも管理者の私人財産に変わっていた」。「これは官僚機構と私営部門の相互浸透開始だった、これは法律上の合資企業と私の個人取引を包括していた。私人企業の多くは、政府の高級官僚あるいは企業管理者の家族が設立したものだった、というのも彼らは裏道をいかに歩くかを知っているからである。」
 コルナイは官と商の結合(勾結)が重大な社会政治結果をもたらしたことを指摘している。「高収入階層の出現は上述の現象と緊密に関係している。ある人たちの致富は、市場での真正の成功であるが、別の人の致富は不正(歪門邪道):賄賂、国家あるいは消費者を騙したことによるものである。」別の一部の人の致富は、「自身の努力もあり、特権のたまものでもあり、市場で得た利潤であると同時に、自身の汚職腐敗の収入でもある。かくして、投機者そして汚辱腐敗に対する憎悪の感情が併せて高まるのである。改革は自らを躓かせ道半ばで挫折し、群衆からますます離れている。」

馬国川:80年代末中国社会で引き起こされた不満である「官を倒せ」現象は、(六四事件につながる 訳者補語)政治風波につながった。現在大衆が権貴現象(権力を得てそれを利用して致富を図る現象 訳者補語)に憤懣の気持ちを持つことを考えると、コルナイの批判は的確で深い。(以来)多くの道を歩んで(中国は)すでに安泰だろうか?改革が自ら挫折する危険は(現在)なお存在するのだろうか?改革途中の諸問題に中国は真剣に向き合う必要がある。


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