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♪ 魏佳艺 我來人間一趟 2022


 2022年6月に关剑(グアンチエン)や魏佳艺(ウェイ・チアイー)などが一斉にこの歌の音源を発表した(曲:徐信 詞:陳紅衛-裏の経緯は不明だが実は2022年5月に、同名の歌が泰博(タイ・ボオ)により発表されている。泰博のものは、祁松涛作曲、李冠軍作詞で、徐信のものとは全く別物であるが、二つの曲の歌詞には似た部分がある。正直に言うと泰博のものは完成度が低く、あまりいい曲とは思えない。同名の曲が複数出た背景には、同時期の同名のネット小説が絡んでいるように思えるが、ネット小説との正確な前後関係などは把握できていない)。
 徐信(シウ・シン)と陳紅衛(チェン・ホンウェイ)の曲は、現在の中国の繁栄をつくりながら、報われなかった多くの中年世代の共感を誘うとされるが、歌詞を細かく見ると、もう少し多義的に読める。検索したが和訳が見当たらなかったので、以下に試訳を示すとともに、歌詞の英訳が入っているものを二点引用する。なお、「來人間一趟」は、この世に生を受ける、と言った意味。
    この歌の歌詞は徹底して暗い。これまで働き詰めでなにも良いことはなかった、人生はあっという間で、何事もなしえなかった、と続く。コロナ下の中国で、将来の展望が見えなかったことが、こうした歌詞を生み出したのだろうか。私が一番関心があるのは、この歌の流行は何を意味するのだろうか?ということである。
 この歌詞はもちろん、中国の富裕層にはあてはまらない。では底辺の庶民だけの歌なのかというと、それだけではないように感じる。歌詞のなかで「无意打碎夕阳却被劝返天堂」は、古い体制(夕陽)を覆す意思をもたず、さっさと死ねと言われたとも解釈できる。最後の「回顾前尘过往徒留满腹惆怅」はお腹が一杯になったことはこれまでなかったというのが直訳だが、もう少し多義的に受け止めることもできる。

 一路上跌跌撞撞    受过不少伤
    (道のりは穏やかでなく悲しいことが多かったが)
   再回首半生   已过犹如梦一场
    (振り返ると まるで夢を見ているようだ)
 我望着天空   愈发地迷茫
   (空を高く仰ぐと 意識はますます遠のき)
 不知道未来究竟在何方
    (未来がどうなるかも結局分からなくなった)
 一辈子匆匆忙忙虚度著时光
    (一生はあわただしく何事もなく過ぎ) 
 所谓的诗与远方还只是奢想
   (歌や旅行はかなわぬ夢となった)
 我随着人潮四处在漂荡
   (私はただ人とともに右に左に漂ってきたが) 
 心中的话却不和谁讲
   (本音は誰にも話していない)
 我来人间一趟本想光芒万丈
    (本当はこの世で輝きたかったが)
 谁知世人模样只为碎银几两
    (ただわずかなカネのために働き)
 我来人间一趟历尽风雨沧桑
    (困苦に満ちた変化を経験することになった)
 无意打碎夕阳却被劝返天堂
    (今は何も考えずに天国に早くゆけと言われる)
    我来人间一趟也曾年年少轻狂
   (かつて若くて何も知らなかった)
 怎奈世事无常終难如愿以偿
    (この世ではすべてが思い通りにならず)
 我来人间一趟受尽世态炎凉
    (カネのあるなしがすべてだった) 
 回顾前尘过往徒留满腹惆怅
  (振り返ると心が満ちたことは一度もなかった)
 

 


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